第21話 中学生のみちる

「みちるちゃんが相手だと卓球つまんない」


「みちるさん、強いから他の人がいいです」


「うわー、お前と勝負かよ。もう負け決定じゃん」


「わたし、ザコいから手加減してね。みちるさん」


「へっへー、次勝てば5連勝だぜ。…ってみちるかよ。はい、終わりー」


「ねえ、審判。ハンデちょうだいよ、ハンデ。だって相手みちるだよ?」


「ぼ、僕が相手じゃ退屈ですよね。ほ、他の人に変わってもらいます」


「いいよね、強い人は。こっちは負けてばっかで辛いんだよ?」


 あたし、奈鬼羅みちるが小学6年生になって過ごした部活動は、そんな言葉を浴びせられる地獄だった。タッ君が中学校に上がっていなくなった。寂しかったけど仕方のないことだ。気分一転、部長に就任したあたしは自分が部を引っ張って行くんだと意気込んでいた。そんな考えは脆くも瓦解してしまうことを、当時のあたしは知る由もなかった。自分で言うのもなんだけど、あたしは周りの子たちとはレベルが違う強さだった。正直、試合をしていて退屈だと感じることは何度かあった。もしかしたら、そんな感情を対戦相手は察知したのかもしれない。あたしと試合することになると、部員は達観したような態度と諦めたような口振りを隠さなくなった。隠さないというのは、普段からあたしに対して負けて当然的な雰囲気で打ってきていたからだ。それでもタッ君がいたときは気にならなかった。部員にハッパをかけて周囲のやる気を引き出していた。本人も強いからあたしの一強って訳でもなかった。それが環境が変わった途端にこうも悪化するものか。誰もあたしと対戦したがらない。やる気のない人に勝ったところで嬉しい訳がない。自分が何を求めて卓球しているか分からなくなる。このスポーツは個人競技ではあるけども、少なくとも相手がいなければ成り立たない。あたしのをしてくれる人は、最早そこにはいなかった。


 こんな状態で大会に臨んでも良い結果なんて出る訳がない。パフォーマンスを出し切ることができない。不完全燃焼を体現するかのごとく負けた。疲労はなく、内容もほぼ自滅に近い打ちミスばかりだった。前年には華々しく優勝した大会もこの年はベスト8止まり。汗はほとんどかかなかった。涙は流れなかった。まあ、こんなもんだろうと思った。そんな自分が嫌だった。


 ある日の部活中。いつものように無気力な部員と試合をしていた。浮いた甘い球が来たので、踏み込んでスマッシュを決めた。あたしの得点になったが、不可解なことに相手がボールを回収しに行かない。無表情な相手は深いため息を吐いてから言った。


「いや。あのさ。何マジになってんの?ダルいんだけど」


 一瞬、上手く呼吸ができなくなった。今まで浴びた言葉の数々とは明らかに違う敵意を感じた。嫌味なことはさんざん言われてきたけど、ここまで直接的な発言はなかった。完全に怯んでしまったあたしは立ち尽くしてしまう。こんな正統性のない発言にごめんね、と呟いている自分がいた。本当に、あたしは何をマジになっていたんだろう。でも、胸のつかえはスッと消えた。きっとあたしはここにいたらダメなんだ。うん。卓球、やめよ。


 翌日から部活に行くのをやめた。部長なのに。顧問や担任の先生が心配してくれる一方、部員で気にかけてくれる人はいなかった。事態を重く見た先生が部員を叱ったらしく、部員全員から謝罪されたけど正直どうでも良かった。戻ったところで何かが変わるとも思えなかった。大会で強い人と対戦しても、心踊るような気持ちを抱くこともできない。卓球が嫌い…ではないけど、モチベーションが皆無なのだ。もしも、タッ君があたしと同学年だったら、こんな想いをせずに済んだはずなのに。大好きな幼馴染に理不尽な呪いをかけずにはいられなかった。


 中学生になった。志望通りにタッ君と同じ中学に入ったあたしは卓球部には入らなかった。タッ君は驚いていたけど事情を明け透けに伝えると真剣な顔で聞いてくれた。さらには抱きしめられた。ギュッて。ちょっと痛かった。気付いてやれなくてごめんって何度も謝られた。タッ君は悪くないのに。そんなことされたから泣けてきちゃった。張り詰めていた糸が力なく緩んでいく感覚のあと、ぽろぽろと涙が止まらなくなっていた。タッ君はもう大丈夫だからと背中を優しくポンポンしてくれた。泣き止んだらスッキリした。辛い思い出とようやく決別できた日だった。


 あたしは書道部に入部した。2年では茶道部、3年ではボランティア部にお世話になった。とにかく文化系の部を転々とした格好だ。活動はそれなりに楽しかったし、知らなかった知識が身につく度にタッ君に教えてあげた。帰路が同じなので会話のタイミングは山ほどあった。幼馴染の特権だね♪ちなみに運動部の方がどうしても遅い時間まで練習する関係上、学校で勉強しながらタッ君が来るのを待っていた。これが習慣になったおかげで成績は割と良い方だった。帰るときにタッ君は、もっと練習時間が欲しいといつも嘆いていた。十分練習しているけど、卓球にかける情熱がそうさせるのだろうか。あたしには解せない。でも、タッ君の望みなら叶えてあげたいなあ。思考を巡らせたら一つ方法が思い浮かんだ。なんだ、あるじゃないか。あたしのおじいちゃんが公民館の管理人をしているのだ。ほとんど使われていないが体育館もある。以前、年配の方々が卓球クラブ活動を行っていたらしく、卓球台やピンポン玉を始めとした物品は一通り揃っていた。活動は現在、行われる予定もなく代わりの利用者もいない。チャンスだ。あたしはおじいちゃんに話をつけた。トントン拍子に快諾されて逆に心配になるレベルだった。ともかくこれで準備は整った。いざタッ君に提案してみると、目を輝かせて喜んでくれた。続けて質問される。


「でも、流石に部員全員ってわけにもいかないよな。…というか何人まで使えるんだ?利用料とか発生する…よな」


「あれ、なんか勘違いしてる?使っていいのはタッ君だけだよ。あたしが相手するからあと、タダだから」


「え、いいの?じゃなくて、みちる卓球嫌いじゃないの?」


「あたし卓球全然好きだよ。対戦相手が残念だっただけで」


「それなら卓球部に入れば良かったのに」


「…いや、流石にまだしんどい」


「あっ。悪かった」


「いいよ。まあ、遊びで打つ分には大丈夫っていうか、そんな感じ」


「そっか。無理はしないでくれよ。でも、みちるが相手か」


「ん?あたしが相手だと不満?そのケンカ買おうじゃないか」


「みちるの運動センスは信用してるから。売られていないケンカを買うんじゃない。そうじゃなくて、久々にみちると打てると思ったらワクワクしてきたんだよ」


「…あ、…そう」


「どうした?顔赤いぞ」


 そういった経緯であたしとタッ君は、毎晩卓球で遊ぶのが日課となった。タッ君は様々な練習がしたいはずなのに、あたしに合わせて打ってくれた。ミニゲームの時間を多めにしてくれた。楽しさ優先で卓球のワクワク感を取り戻していけた。その中で技術のレクチャーをあたしに施してくれた。嬉しくて幸福な時間が流れていく。でも、ダメだ。これではタッ君のためにはなっていない。あたしは一人の時間を使って素振りやフットワークなどの基礎練習に励んだ。タッ君に喜んでもらうためには、あたし自身が強くて優良な練習相手にならなくちゃいけない。対等になりたい。意識し始めた頃、タッ君に試合を申し込んだ。結果は惨敗。相手が誰であれ負けるのはメチャクチャ悔しかった。だから練習量をさらに増やした。何度も挑戦した。対戦しているうちにタッ君のクセや弱点も見えてきた。あと少しで勝てそうなゲームも増えてきた。でも、まだたりない。何が?あたしは勝ち負けの重みだと考えた。負けた方が罰ゲームを受けることにした。その日、あたしは初めてタッ君に勝利する。最初の罰ゲームはデコピンだった。この日を境にあたしは連勝し続けている。タッ君は負けても変わらずにいろんな技術を教えてくれた。対戦しているから分かるけど、タッ君は弱くない。どんどん強くなるから、あたしは抜かされないように必死だ。そして、勝ち続けることこそが、あたしがタッ君のためにできること。あたしの存在理由だ。タッ君と対等でいたいから、タッ君にだけは負けられない。

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