第4話 ラスボスとして、後輩として

 ピシィッ!


「痛っ」


 おでこに痛みが走った。みちるが打ち抜いたスマッシュがダイレクトで俺のおでこに炸裂していた。…わざとやったな、こんちくしょう。軽くて小さなピンポン玉と言えど、少しの時間だけジーンとした感覚が残る。


「よそ見してたらメッ、だよ。あたしの愛のスマッシュをお見舞いしてあげたんだから、タッ君には感謝してほしいところだね」


 持参したシェークラケットでこちらを指して、ウインクしながらみちるに言われてしまう。


「お前の愛のスマッシュとやら、卓球台に入ってないから点数にならんぞ。てか、確信犯だろ。あと、タッ君は禁止の約束だろ。人前では恥ずい」


 そのままラリー再開。


「あたしもジャージ着て卓球するの、周りから浮いてて恥ずい。そんなことよりも、2人の先輩の方ばっか見すぎだし~。どっちか狙ってんのかよ~」


 先輩方には聞こえない程度の声量でタメ語を使ってくるとか、器用なことをするものだ。


「全く…。後でやり返してやるから覚悟しておけよ」


「え…ヤリ返すって、タッ君…。その、優しくしてね」


「どういう思考回路だ。どういう」


 何故、頬を赤らめておられるのか。

 そこに、試合というかミニゲームを終えた凛さんと風香さんが合流してきた。


「…上手い。…やはり経験者なのですね」


「さっきから全然ラリーが途切れないわね」


 実は先ほどの顔面スマッシュを食らった後、すぐにラリーを再開して、今の今まで打ち続けている。ダベりながらラリーをするのは、みちるといつもやっていたので、クセでやってしまった。俺としては、ついていくのでいっぱいいっぱいなのだが、みちるがラリー中に話しかけてくる。黙っているのも負けた気がするので、こうして会話しているのだ。みちるは涼しい顔でラリーと会話を両立するので、常軌を逸している。


「あ、先輩に1つお聞きしたいことがあるです」


 ラリー中の玉を手のひらでパシッと受け止めて、先輩方を見据えるみちる。


「…いいですよ」


「私たちに何でも聞いていいわよ」


「ありがとうございます。では、遠慮なく」


 スゥと息を吸って話し出す。視線の先には風香さんがいた。


「どうして、風香先輩は本気で試合をしないです?」


 クリアな声でそう言った。


「は?!おい、みちる、何を言っているんだ!」


 悪い予感がして、みちるの声をかき消すように声を出した。


「タッく、じゃなくて卓丸先輩もやっぱり分かっているですね。そういう反応をするってことは、です」


 っ!確かに、そう受け取られるか。実際、俺も思うところはあっただけに、墓穴を掘ってしまったか。弁明を考えていると、真剣な顔をした風香さんが、みちるに歩み寄っていく。


「どういうことかしら、みちるちゃん。私は手を抜くようなプレーをした覚えはないのだけれど。確かに体はまだ温まっていなかった。それで怠慢プレーに見えたのかもしれない。でも、それをわざわざ指摘してくるなんて、思いやりが足りないし、何より失礼ではないかしら」


「失礼なのは風香先輩だと思うです。あたしが言っているのは体の動きというよりはメンタル面のことです。凛先輩に対して、風香先輩自身は『勝てない』と考えているのが丸わかりです」


 風香さんの 言葉に臆することなく、みちるは躊躇せずに言ってのける。


「私は…、そんなこと考えていないわ」


「絶対にそうだと言い切れるですか?」


 間髪入れずに追及していく。


「それは…、今までの対戦成績から考えたら、簡単には勝たせてもらえないのは分かっているけど。客観的に見たらね」


「ほら、そんなこと言っている地点で、勝負は大方決してしまっているです」


 みちるの言い草に風香さんは、ムッとした表情を浮かべる。剣呑な雰囲気を支配する中、言い返してこない風香さんに痺れを切らしたみちるが再度、口を開いた。


「風香先輩は勝つつもりで試合をしていないです」


「…っ!」


 露骨に風香さんの表情が歪む。そんな表情を見られたくないのだろう。すぐに俯いてギュッと拳を握りしめる姿は見ていられるものじゃない。もう十分だ。これ以上は2人の関係の悪化にしか繋がらない。すでに手遅れに思えなくもないが、俺がみちるを止める必要がある。


「みちる、もう…」


 そんな俺の肩に華奢な手が置かれた。凛さんだった。


「え…?凛さん?」


 俺の問いに対して、凛さんは静かに、首に2回横に振った。おだやかな動きの中でも、瞳には確かな意思が宿っている。嗚呼、ここは俺の出る幕ではないのか。俺が矛を収めたのを見てとった凛さんは、耳元で「…ありがとう」と心地良い響きを残して微笑んだ。俺たちの様子を気にしていたみちるは、俺が止めに入らないことを認識すると、改めて風香さんを見据えた。


「あたし、別に風香先輩に因縁をつけたい訳ではないですよ?でも、あんな試合を見せられたら、これくらい言わないと気が済まなかったです」


「…うん。そうよね。…みちるちゃんの言っていること、分かっているつもりだわ」


 風香さんは悔しさもあったろうに、落ち着いた口調で訥々と言葉を紡いでいく。それはみちるを言っているようでもあり、自分自身に言い聞かせているようにも見受けられた。


「あの、これだけ言ったのに、あたしを怒らないですか?」


 一転、不安そうに風香さんを見上げるみちる。フフッと、風香さんは軽く笑った。


「そうね、さっきまで怒って喚いて、叫んでやろうかと考えてしたところよ」


「そ、そんなにです?!」


「でも、できないわよ。『勝てない』と思っているのは、私が最も知っているのだから。他でもない私が産み出した弱い感情なのだから。むしろ、指摘してくれて感謝しているわ」


「ん…、気づいてはいたですか?」


「なんとなくね。でも、そんな感情を直視できなかったわ。そんなはずないって 考えていたの。割りきれていないからプレーに出ちゃったのかしら」


 風香さんの反応が意外だったからであろう。みちるが目を丸くする。


「驚いたです。こんなに即座に、自分の弱点を受け入れるなんてです。しかも、あたしみたいな生意気な新入生の戯れ言を…。風香先輩、あたしはあなたを心から尊敬するです」


 みちるは姿勢良く、気を付けをして、腰を90度に折った。入学式で行ったお辞儀とは比べ物にならないほどの整然さと敬意がこもったお辞儀だった。

 これは謝罪ではない。風香さんの人間性を敬いたいという感情を目に見える形で表したのが、このお辞儀の意味だ。みちるは風香さんを、先輩としてということ以上に、1人の人間として敬うことを誓ったのだろう。


「ちょ、ちょっと、頭をあげなさいよ、こんなところを誰かに見られたら―」


 ガチャッ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る