第26話 救出

 固い石の感触を頬に感じ、グレイルは目を覚ました。身を起こそうとして、自分が後ろ手に縛られて床に転がされていることに気付く。ぼんやりとした視界がハッキリするにつれ、そこが集会所であることに気付いた。顔だけを動かすと、口許についた血が乾いた音を立てる。口に残る錆の味に、グレイルは先程までの記憶を呼び覚ました。

 レティリエが連れ去られたことに怒り、暴れた所、複数によって羽交い締めにされ暴行を受けたことを思い出す。殴られる際に見たセヴェリオの薄ら笑いを思い出すと吐き気がするほど胸糞が悪い。と同時に集会所の中に連れ込まれたレティリエの姿を思いだし、グレイルはハッとする。


(レティリエ……!)


 セヴェリオは彼女に子供を生ませると言っていた。連れ去られた彼女はどれだけ酷い心の傷を負ったのだろうか。


(くそっ……! くそっくそっ!! 俺はまた守れなかったのか)


 自分自身に激しい怒りを感じて唇を噛む。自分の目の前で無理やり辱しめを受けた彼女の気持ちを思うと、殺してやりたいくらいの激情に駈られる。グレイルが怒りと共に咆哮しようとした時だった。


「グレイル」


 微かに聞こえる女の声に、グレイルがピクリと耳を震わせる。声がした方に顔を向けると、集会所の窓の外からクロエが顔を覗かせていた。


「クロエ! 無事だったのか」


 思わず声をあげてしまい、慌てて口をつぐむ。腹に力をいれてなんとか上半身を起こすと、立ち上がって窓の側へ歩み寄った。足を拘束されていないのが救いだ。微かな声でも聞き取れるように、壁面の通気孔近くに寄ると、クロエの金色の目と視線が合う。


「ここに来るまでに誰にも見られなかったか?」

「大丈夫。今は誰もいないわ。見張りも置かれてない。多分皆、あの子を探しに行ったんでしょうね」

「あの子? レティリエのことか? 彼女はどうなったんだ!」


 グレイルが血相を変えて問うと、クロエは人差し指を口にあてて彼を制する。


「安心して。彼女は無事に逃げたわ。セヴェリオが怒り狂っていたもの。でも彼女の行き先はわからない。そういう意味では、無事かはわからないわ」

「くそっ……レティ」


 グレイルがギリッと歯噛みする。クロエはそんな彼の様子をじっと見つめていた。だが、その顔は青ざめており、どこか呆然とした顔をしている。クロエの微妙な表情に気づいたグレイルが口を開いた。


「クロエ、どうしたんだ。怪我でもしたのか」

「グレイル、マーシュがいたの」


 グレイルの問いには答えずにクロエがポツリと呟く。その言葉にハッと目を見開くと、クロエは目に涙をためながらグレイルを見上げた。


「さっき元村長の家の前を通ったら、窓から子供が顔を覗かせていたの。すぐ奥に引っ込んでしまったけど、あれは絶対にマーシュだったわ」

「本当か?」

「ええ、見間違うはずないもの。あれは間違いなく私の息子だわ」


 クロエが震えながら言う。あれだけ探しても見つからなかったマーシュがアッサリと見つかったことにも驚くが、無事を確認したのであれば一刻も早くここを出て村から逃げなければならない。


「マーシュがいたのなら、すぐにここを出る必要があるな。クロエ、セヴェリオ達はどこにいる」

「セヴェリオもジルバも今はいないみたい。多分……総出でレティリエを探しているに違いないわ」

「見張りも置かずにか」

「ええ。だって少なくともセヴェリオはあなたを殺すつもりはないもの。ここに閉じ込めたのも仕置きの為であって、明日の朝にはあなたをここを出すと言っていたわ。数時間後に解放する黒狼よりも、ドワーフの指揮権を持つ銀狼の方が彼らにとっては重要ということね」


 確かに彼らは、グレイル達がクロエの息子をつれて村を出ようと画策していることは知らない。万が一グレイルがここを逃げ出したとしても、数時間後にはどのみち解放されるのだから、彼らにとってはどうでもいいことだと思っているのだろう。そう考えると、クロエの言うことは一応筋が通っている。だが、いつ彼らが捜索から帰ってくるかはわからない以上、時間がないのは同じだった。


「クロエ、窓を壊して鍵を開けてくれないか」


 グレイルの言葉にクロエが頷き、すぐに拳ほどの大きさの石を拾ってくる。石を何度か窓に叩きつけると、窓にピシリと亀裂が入り、小さな穴が開いた。少しずつ窓を叩いて穴を広げていき、彼女の細腕が通るくらいのサイズになると、クロエがそこに手を通して窓の鍵を開ける。ガチャリと音がして鍵が開き、窓を大きく開け放つと同時にそのままクロエがするりと部屋の中に入ってきた。


「クロエ、でかしたぞ」

「次はこの縄を切らないといけないわね」


 クロエがグレイルの背後に回り、きつく縛られている縄に牙を立てる。だが、太い荒縄で結ばれている為に文字通り歯が立たない。


「この縄、固くて切れないわ」

「ここは集会所だ。台所もある。そこに刃物が置いてあるはずだから取ってきてくれないか」

「ええ、わかったわ」


 クロエが扉の鍵を開けて外に出る。暫くするとクロエが果物ナイフを持って部屋に戻ってきた。ナイフを縄にあてて何度か動かしていくうちに、プッと音がして縄がハラリと床に落ちた。


「助かった。ありがとう」

「お礼は後。早く逃げましょう」


 痛々しく跡が残る手首をさすりながらグレイルが礼を言うと、クロエが彼の服の裾を引っ張って促す。二人して開け放たれた窓から外に出ると、驚くほどに青白い銀色の月が闇夜を照らしていた。

 急いで村長の家に行くと、無人であるはずの家の二階に、微かに光が灯っているのが見えた。


「確かに誰かいるな」


 グレイルが窓を見上げながら呟く。近寄って中の様子を伺おうとした途端、二階の窓が開いて子供が顔を出した。


「おかーさん!」

「マーシュ!!」


 息子の姿を捉えたクロエが叫ぶ。だが、マーシュはすぐに誰かに手を引っ張られ、部屋の中へと姿を消した。


「他にも誰かいる。中に入るぞクロエ」

「ええ」


 グレイルの言葉に、クロエが狼の姿にその身を変える。グレイルは近くに落ちている大きめの石を拾うと、一階の窓へ向かって思い切り投げつけた。ガシャァァァンと派手にガラスが割れる。グレイルも狼の姿になると、真っ暗な部屋の中へと飛び込んだ。

 中は明かりがついておらず、無人だった。マーシュは二階にいるのだろう。二人が階段を目指して走り出そうとしたその時だった。

 突如横から衝撃を受け、グレイルは床に叩きつけられた。机に乗っていた花瓶や椅子、棚などが派手な音を立てて辺りに散らばる。大きな狼が自分に馬乗りになり、今にも噛みつかんとばかりに大きく口を開くが、グレイルは逆に身を起こしてその肩に食らいついた。同時に闇夜をつんざくような悲鳴があがる。


「クロエ! お前はマーシュを見つけろ!」

「わかったわ!」


 グレイルが吠えると、クロエが猛スピードで二階へと駆け上がって行く。敵の狼が立ち上がり、クロエを追うように階段へ向かって走り出すが、グレイルが背中に飛びかかり、二人は激しくもつれあった。


「お前はこっちだ」

「くそっ! てめぇ離れろ!!」


 暴れまわる敵の狼の首筋に噛みついてねじ伏せる。子供の見張り程度の役割だった為か、相手はそれほど強くない。

 そうこうしているうちに、ドタドタという足音がして、クロエが階段を駆け降りてきた。


「グレイル! いたわ!」


 クロエの背中に子供が乗っているのを確認すると、相手に噛みついて突き飛ばし、グレイルも敵から離れる。先程開けた窓から外に出ると、三人は村の外を目指して走り抜けた。

 村長の家から東門を目指して走る。いつもは閉じられている門が、今夜は総出でレティリエの探索に入っている為か運良く開いていた。猛スピードで走ってくる狼の姿に門番が誰何すいかするが、構わずに横を通り抜ける。だが、自分達の姿は確実に見られた。グレイルとクロエが結託していたことはこれでセヴェリオ達に伝わるだろう。

 次に帰ってくる時は、この村を奪還する時だと胸の中に決意を秘めながら、グレイルは故郷を後にした。

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