第13話 選別

 レティリエ達の群れはセヴェリオの支配下に入った。長であるローウェンの死体は見つからなかったが、自分が長だと名乗り上げる者がいない以上、その群れは襲撃者のものとなる。自分達は今すぐにこの村から出ていかねばならない。

 レティリエは眼の前に立つ狼姿のセヴェリオを静かに睨み付けた。ローウェンは逃がした。自分達も一時的にこの村から追われるだろうが、村の外でローウェンと合流し、奪還の為の作戦を練ってまた戦いを挑めばいい。

 だが、レティリエの思惑とは裏腹に、セヴェリオは吐き捨てるように言い放った。


「選別を始めろ」


 彼の声を皮切りに、敵の狼達が一斉に行動を開始した。突如、敵の狼がレティリエ達の村の狼に次々と襲いかかる。あちらこちらで悲鳴があがり、強靭な牙と爪に仲間達が逃げ惑う。レティリエの背後で聞き覚えのある声が響いた。


「クルスー! いやぁ! 助けて!!」

「ナタリア!!」


 振り返ると、敵の狼に追われるナタリアの姿が見えた。クルスも敵からの攻撃を交わしながら彼女のもとに走ろうとするが、行く手を阻まれて思うように前へ進めない。執拗に追いたてられ、ナタリアは逃げるようにその場から消えていった。


「ナタリア!! ナタリアーー!!」


 クルスの悲痛な叫び声が聞こえ、レティリエの胸が激しく痛む。またしても背後で聞き覚えのある声が聞こえ、そちらに視線を動かすと、妻を庇いながら方々の体で追いたてられるテオの姿も見えた。


「そんな……こんなの酷いわ……」


 突如として周囲で起きる狼達の闘争に、レティリエが震えながら胸の前で両手を握りしめる。

 レティリエの目の前にいるグレイルにも、敵の狼が飛びかかる姿が見えた。だが、グレイルは持ち前の瞬発力で交わし、逆に強靭な牙で一撃を食らわせた。前足の付け根に一噛みいれられた狼は悲鳴をあげて後ずさる。迎撃の構えをとるグレイルの目には映ったのは、想定外の出来事だった。

 グレイルに一撃を浴びせられた狼の元に敵の狼──彼にとっては仲間だろう──が駆け寄り、そのまま勢いよく彼に噛みついた。噛まれた狼は悲鳴をあげてその場でのたうち回る。

 突如として起きた仲間割れの様子にレティリエとグレイルが瞠目していると、倒れた狼は立ち上がり、セヴェリオの方を懇願するような目で見た。


「長! 私はまだやれます! たまたま強い狼にあたってしまいましたが、他の狼相手であれば私はひけをとりません!再度私にチャンスを!」

「うるさい。お前は弱者だ。群れを出ろ。そうでなければ殺す」

「セヴェリオ様!」


 懇願するように吠えたその狼は、だがそれが最期の言葉となった。コバエを払うかのように五月蝿そうに首を振ったセヴェリオが近づき、倒れている狼の首に静かに牙を立てる。悲鳴はない。ただ胸がつかえるような声が喉から漏れたのみだ。

 だが、その狼が動くことは二度となかった。


「─────!!」


 レティリエが声にならない悲鳴をあげる。口許を両手でおさえ、今しがた目の前で起こった残酷な事実に体の震えが止まらない。


「貴様!! 今何をした!」


 グレイルが吠えた。怒りで全身の毛を逆立て、牙を剥き出しにして威嚇の姿勢をとる。だが、セヴェリオは鬱陶しそうにグレイルを一瞥しただけだった。


「言っただろう。これは選別だ。力のあるやつは俺の傘下に入り、弱いものは追放する。俺が望むのはより強く、力のある群れの形成だ」

「群れを分断するだと?! ふざけるのも大概にしろ!」


 グレイルが怒りに声を震わせながら言い放つ。

 通常、群れが縄張り争いをする目的は、自分の群れを守る為だ。群れの存続を第一とし、子繁繁栄の為、より豊かな土地を求める。だが、彼──セヴェリオは自身の目的の為なら仲間ですら容赦なく切り捨てるのだ。 

 仲間意識の強い狼からすると、その考え方は理解しがたいものだった。


「今殺されてしまったのは、あなたの群れの仲間じゃないの?! あなたは、仲間をなんだと思っているの!」

「俺に必要なのは力だけだ。弱者はいらない」


 セヴェリオが吐き捨てる。彼の金色の目が獰猛に光っていた。他の狼とは違う、何か異質な空気を纏った彼に、レティリエは本能的な恐怖を感じてゾクリと震えあがった。


「そこの銀色の女。こっちへ来い」


 突如腕を引っ張られ、グイと体が持ち上がる。見ると、人の姿をした狼──敵側の狼だ──が、自分の腕を掴んでいた。


「レティリエ!」


 グレイルが血相を変えて駆け寄るも、それは横から割り込むジルバによって阻まれる。


「邪魔だ! どけ!」


 グレイルが吠えながら真っ向から突っ切ろうと地面を蹴る。だが、間髪いれずにジルバがグレイルに飛びかかり、二人は激しくもつれあった。長の危機に、敵側の狼達も一斉にグレイルに飛びかかり、多勢に無勢で押さえつける。


「グレイル!」


 レティリエが悲鳴をあげる。今すぐ彼の元に駆け寄りたいが、自分の細腕をガッチリと掴む敵の手がそれを許さない。


「おっとジルバ、殺すなよ。そいつは戦力になるからな」


 セヴェリオが口の端に笑みを称えながら、あらんかぎりの力で拘束をとこうともがくグレイルを見やった。残忍な光を称えるその金色の目が楽しそうに弧を描く。

 セヴェリオは人の姿に戻ると、レティリエに近づき、グイと乱暴に引き寄せた。そのままレティリエの首に手をかけ、ぐっと肌に指を食い込ませる。


「女、今から俺をドワーフの所へ案内しろ。従わなくばこの場で首の骨を折る」


 セヴェリオが指に力をこめ、レティリエの肺が空気を求めて悲鳴をあげる。反射的にセヴェリオの腕に手をかけて引き剥がそうとするが敵うはずもなく。

 セヴェリオはなぶる様に一瞬指に力を入れると、唐突に指の力を緩める。急に肺を膨らます酸素に咳き込みながらも、レティリエは目の前の横暴な男を睨み付けた。


「嫌よ! 絶対に言うものですか!」

「俺もいちいち女の悲鳴に付き合うほど暇じゃない。さっさと言え」

「私はあなたに屈しない! 例えここで死ぬことになろうとも!」

「そうか。ならば死ね!」


 怒りに総毛立つセヴェリオが指に力を込めようとしたその時だった。射殺すよう鋭い殺気がビリビリと大気を震わせ、彼は反射的に狼の姿になり、レティリエから退く。だが頬に熱を感じたセヴェリオが思わず顔に手をやると、手から鮮血が滴り落ちた。


「……貴様」


 セヴェリオが目の前の黒狼──グレイルを鋭く睨み付ける。あと一瞬退くのが遅れていたら、その爪は間違いなく彼の喉元にぐっさりと刺さっていたはずだ。怒りで牙を剥き出しにするセヴェリオを、グレイルが眼光鋭く睨み付けた。


「彼女に近づくな」


 黒狼姿のグレイルが、レティリエを守るようにセヴェリオと対峙する。敵意をむき出しにする金色の瞳を見て、セヴェリオは眉をひそめた。


「なんだ? その女はこの群れにとってそこまでして守るべき者なのか? でき損ないのくせに、随分と大切にされているようだな」

「彼女は俺の妻だ。侮辱することは許さない」


 グレイルが吠えると、セヴェリオが目を見開く。まるで信じられないものを見るかのように瞳孔が開いていた。


「妻……? 妻と言ったか……? その女が? お前の?」


 セヴェリオが信じがたいものを見るような視線をよこす。二人のことをよく知らない狼から見れば、実力者である黒狼と戦いの場に立つことすらできない銀色の女か夫婦であることは理解に苦しむようだ。だが、一瞬の思考のあと、セヴェリオは合点がいったように薄く笑った。


「そうか……ドワーフを操れるのがその女の持つ力か。なるほど、そう考えれば辻褄があう。理由はわからないが、やつらを指揮できるのがこいつだけということだな。でなければその女がこの群れにいる意味がない」


 セヴェリオがくくく…と声を押し殺して笑う。


「ならば力ずくで奪い取るしかないな。だが、それにはあの黒狼が邪魔だ」


 セヴェリオの言葉に、ジルバを含め五匹ほどの狼が背後から現れてグレイルと対峙する。


「あの女をこちらに連れてこい。黒狼は死なない程度に痛め付けておけ」


 セヴェリオの言葉に、敵の狼が姿勢を低くして跳躍する構えをとる。一対多数の状況に、グレイルも全身の毛を逆立てて迎撃の構えをとる。不利な状況を悟り、レティリエはグレイルと狼達の間に迷わず飛び出した。


「あなたの言う通り、この村でドワーフを指揮できるのは私だけだわ! もしそこを一歩でも動いたら、私は舌を噛み切る。私が死ねば、あなたが彼らを動かすことは永遠にないでしょう!」


 レティリエの言葉にセヴェリオの耳がピクリと動く。その小さな体に宿る強い眼差しで、彼は彼女が本気であることを悟った。


「チッ。どうするジルバ」


 セヴェリオが吐き捨てると、背後から静かにジルバが進み出る。


「セヴェリオ、私は今この場であの黒狼を殺しておくことを勧める。我々も痛手を負うだろうが、この場に味方がいない今こそ、やつを殺しておく絶好の機会だ。力を持つものは、いずれその力で反旗を翻す可能性がある。危険分子は排除しておくに越したことはない」


 ジルバの言葉に、セヴェリオの耳がピクリと動く。


「ジルバ、俺の言うことに従えないのか? 俺はすべてを手にいれる。肥沃な大地も、種族をこえてすべてを支配できる力も。俺が強い力を手にするためにはこいつもいた方がいい」

「だが、あの二人は夫婦なのだろう。一方が傷つけばもう一方は必ずお前に牙をむくぞ」

「はん、ならば今はまとめて生かしておいてやる。だが、いずれ俺は全てを手にいれる。ドワーフの力も含めてな」


 セヴェリオの言葉にジルバは顔をしかめたが、何も言わずに引き下がった。息のあった連携を見せる彼らだが、こと群れの在り方においては意見が食い違うこともあるらしい。 

 レティリエはその事実を頭の片隅に置いた。

 二人を生かしておくことを決めたらしいセヴェリオが、目の前のレティリエとグレイルを見つめ、小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「見れば見るほど釣り合いの取れない夫婦だな。黒狼、お前を呪縛から解放してやろう。お前には別の女をあてがう。お前には群れの為に強い子孫を儲けてもらう必要があるからな」

「……なんだと?」


 グレイルの声が怒りで低くなる。


「ドワーフの力がこの女の持つ力だとしても、こいつ自身は狼になれない非力な女だ。狼になれない子供なぞ生まされたら、お前の強さを無駄にする上に、穀潰しをもう一人抱えることになる」

「お前に何がわかる!! お前ごときが彼女を語るな!!」


 セヴェリオの言葉にグレイルが激昂する。だが、彼はそれを意に介さず不適に笑った。


「さあどうかな。お前も狼の雄として生まれてきた以上、いずれは強い雌を求めるようになる。貴様らはぬるま湯につかりすぎているんだ。断言してやろう。お前はいずれ、目的を果たすためにこいつの存在が邪魔になる」

「ふざけるな! その薄汚い口を閉じろ!」


 グレイルが吠える。だがレティリエには、今のセヴェリオの言葉に、それこそ心臓を鷲掴みにされたような衝撃を受けていた。


 自分の存在が彼の邪魔になる──それは、レティリエが一番恐れていることだった。


 レティリエは震えながら自分の前に立つグレイルを見上げた。まさに今の状況がそうだ。この場に二人いるにも関わらず、自分は守られているだけ。自分が戦いに臨む度に、彼はいつも二人分の命を背負い、孤独に戦うしかないのだ。

 こんなことで、自分は彼の役に立っていると言うことができるのだろうか。

 

 いや違う。


 もう既に邪魔になっているのかもしれない。戦闘以外の場面においても……現に今、子供が欲しいと言う彼のささやかな願いすら叶えてやれないのは他ならぬ自分のせいなのだ。

 セヴェリオがつと前に出て、口の端に笑みを称えながらグレイルを見据える。


「安心しろ。お前にはちゃんと相応しい優秀な女をあてがってやる。クロエ、こっちに来い」


 セヴェリオの言葉と同時に、美しい黒狼が前に進み出た。艶のある黒い毛に引き締まった体。凛とした佇まいからは、己への誇りを感じられる。


「命令だ。こいつをお前の伴侶にしろ」


 セヴェリオが言い終わる前に、激昂したグレイルが飛びかかる。迷わず首を狙いにいくが、それは横から割り込むジルバによって阻まれた。


「貴様!! 殺してやる!!」


 グレイルが吠えながら、真っ向から突っ切ろうとするが、ジルバと助太刀に入る多数の狼によって阻まれる。もつれ合いながらあらんかぎりの力で拘束をふりほどこうとするグレイルに一瞥をくれると、セヴェリオはその場に背を向けた。

 

 彼の姿が見えなくなると同時に、グレイルを押さえつけていた狼達も一斉に離れ、それぞれ別の場所へ消えていく。後にはレティリエとグレイルだけが残された。

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