第12話 闇夜の戦い

 それは白銀の薄明かりが柔らかく包み込むような夜だった。

 突如闇夜を切り裂くような絶叫が響き渡り、レティリエは寝台から飛び起きた。反射的に辺りを見回すと、隣で寝ていたはずのグレイルの姿がない。耳を澄ますと、遠方で何かが騒ぐ音が微かに聞こえた。

 ただならない不穏な気配に、レティリエも急いで身支度を整える。うるさいくらいに胸を叩く心臓を押さえながら部屋を飛び出ると、玄関扉に向かう途中で、同じくとび起きてきたらしいマザーとはちあわせになった。


「レティリエ!! これは一体何の騒ぎだい?」

「わからないわ! でもグレイルがいないの。多分様子を見てきてくれているはずよ!」


 安心させるようにマザーを抱き締めて背中をさする。子供達がまだ寝ているのが救いだ。じっと息を潜めながら彼を待っていると、孤児院の玄関扉が勢いよく開き、グレイルが部屋に飛び込んできた。


「レティリエ! すぐに来てくれ! 敵が襲ってきた!」

「敵? まさか……!」

「ああ、この前と同じやつらだ。北門の外にセヴェリオとジルバというやつの姿を確認した」

「そんな……だってこの前あなたが追い払ったはずじゃ」

「前回はおそらく様子見だ。あの時点では退いたが総合的に見て、やつらはこの群れなら乗っ取れると思ったのだろう。以前と違って、強引に村に押し入っているのがその証拠だ。今はまだ門の所で食い止めているが、破られるのは……おそらく時間の問題だろうな」


 グレイルが悔しそうに顔をしかめる。拳を握る腕の血管が、彼の激情を表していた。


「俺達はやつらに完全に手の内を知られている。前回と違って夜に襲撃をしているのは、おそらくドワーフの手を封じる為だろう」


 その言葉でレティリエも瞬時に理解する。いくらドワーフが武器を持っていたとしても、夜戦において夜目がきく狼を相手にするには圧倒的に分が悪い。

 レティリエの腕の中にいるマザーがきゅっと胸の前で両手を握りしめる。再び絶叫が響き渡り、グレイルは眼光鋭く外をみやった。


「マザーは子供達と一緒にいてくれ。絶対に外に出るな。レティリエ、お前は自分にできることをやってくれ、頼んだぞ」


 グレイルの言葉にレティリエも力強く頷く。揃って玄関扉を抜け、二人は外に出た瞬間左右に分かれた。



 黒く寝静まっている森を背景に、怒声や悲鳴が闇夜を切り裂く。思ったより声が近い。 

 グレイルは北門でセヴェリオ達の姿を見たと言っていたが、声の方角から考えると、ここから一番近い東門の辺りでも争いが起きているようだ。孤児院は村の南東に位置するために、まだレティリエがいる場所からは敵の姿は見えない。だが、重なりあう怒声が段々と大きくなっていることを考えると、村の中心部に入られるのが時間の問題であることは明白だった。


 レティリエは村の中を飛ぶように走った。狼になれず、戦闘に向かない自分にできることは少ない。だが、できることがないわけではない。

 レティリエは南東の孤児院から、村の南側にあるローウェンの家を目指して駆け抜ける。彼らの家が視界に入ると同時に、家の外に出て指揮をとっているローウェンとレベッカの姿が映った。仲間の斥候達が一様に彼の元へ集まり、口々に戦況を告げる。


「長! 北門は突破されました! 敵の狼が五匹程村へ侵入しています!」

「後続は?!」

「後続の侵入はなんとか阻んでおりますが、正直時間の問題です!」

「北東と北西の群れを北門に動かせ! 門を破られれば終わりだ! 西と東は?」

「西門と東門も踏ん張ってはいますが、西に関しては重傷者が数名出ています!」

「南西の群れで西門を固めろ! 東門は南東の群れを援軍に向かわせろ!」


 斥候の報告に、ローウェンが次々と指示を出す。だが、やはり力に圧倒的な差があるのかじりじりと追い詰められているようだ。ローウェンの切羽詰まった顔がそれを物語っており、後方に控えるレベッカの顔も蒼白だった。


「ローウェン」


 レティリエが呼び掛けると、ローウェンが強ばった顔で振り向く。彼の顔を見るに、ここから戦況を覆すのは絶望的であることがレティリエにもわかった。


「ローウェン、遅かれ早かれここはいずれ敵がやってくるわ。あなたは今すぐにレベッカと一緒にここから逃げるべきよ」


 レティリエの言葉に、ローウェンが悔しそうに眉根を寄せる。


「……いや、俺はもう少しここで指揮をとる。レティリエはレベッカを連れて逃げてくれ」

「いいえ、敵がやってきた場合、まず真っ先に命を狙われるのは長であるあなただわ。あなたもよくわかっているでしょう!」

「レティリエ、俺はこの群れの長だ! やるべきことを果たしていない以上、この場を離れることは許されない!」

「敵が来たら終わりなのよローウェン! 早く決断して!」

「レティリエ! ちょっと黙っててくれ!」


 レティリエの必死の説得に、ローウェンが言い返す。だが、彼もわかっているはずなのだ。今のままでは、この戦況を覆すことができないことを。だからこそ、レティリエの役目は、頭に血がのぼっている彼に冷静な判断をさせることだった。

 レティリエが無言でしかと見据えると、ローウェンがぐっと唇を噛み、ぎゅっと拳を握った。

 その時、一際大きい絶叫が耳を穿ち、三人はビクッと耳を震わせる。慌てて声がする方に目を向けると、斥候の狼が息急ききってやってくるのが見えた。


「長! 北門が破られました…! 敵が……こちらに来ます!」


 斥候が持ってきた情報は絶望的だった。言い争う声がどんどんとこちらに向かってくる。


「ローウェン、早く」


 レティリエが叫ぶ。


「あなたが死ねばこの群れは終わりだわ! でも、生きていればまた戦うチャンスは来る! 今は逃げるのが先よ!」

「だが俺はこの群れを見捨てるわけにはいかない!」

「見捨てるわけじゃないわ、一旦退くのよ。きちんと体勢を整えて、また戦いを挑むの。これで終わりじゃないわ」

「…………」

「ローウェン!!」


 レティリエの大声に、ローウェンはチラとレベッカを見る。レベッカは成り行きをじっと見守っていたが、彼と目が合うと静かに頭をふった。


「ローウェン、あなたはきっとこの戦況を覆す力がある。でもそれは今じゃない。今は……レティリエの言う通り、逃げるのが役目だわ」


 レベッカの言葉にローウェンが悔しそうに歯噛みをしたその時だった。北の方角から、狼の集団がこちらに向かって走ってくるのが見えた。斥候ではない。敵の狼だ。彼らはもうとっくに村の中心部まで進攻しているのだ。彼らの姿を見て、ローウェンは覚悟を決めたように静かに目を伏せた。


「……わかった、レベッカ、行くぞ」


 ローウェンが狼の姿になり、身重なレベッカも続いて狼の姿になる。狼の姿になったローウェンは鋭く辺りを見回した。


「だが、やつらが村の中心部まで来ているとなると、どこから逃げればいいんだ」

「ローウェン、こっちよ」

 

 レティリエがすかさず叫ぶ。彼女の指は村の最南端を示していた。レティリエの指す方向を見て、ローウェンが戸惑いの表情を浮かべる。


「レティ、南には門は無いぞ。奥にいけば行くほど追い込まれる」

「大丈夫よ、私に任せて」


 そう言ってレティリエは村の奥へ向かって駆け出し、一拍遅れて頷きあった二人は彼女に続いた。


 レティリエが向かったのは、村の南東にある孤児院だった。不思議そうな顔をする二人をよそに、孤児院の脇を通り抜け、村の最奥である柵めがけて走る。村の最深部までたどり着くと、そこでやっとレティリエは立ち止まった。

 村を囲む堅牢な柵。高さは四、五メートル程あり、ここを飛び越えるのは至難の技だ。いぶかしむ二人をよそに、レティリエは迷わず柵の一部を力強く押した。


 カタリ。


 微かな物音を立てて板が傾く。そこには、大人がやっと一人通れるくらいの隙間ができていた。


「レティ、これは……」

「抜け道よ。さぁ、早くここから逃げて!」


 レティリエの言葉に、ローウェンとレベッカが頷いて穴をくぐる。レティリエは彼らの邪魔にならないよう、板を持ち上げて通りやすいようにしてやった。

 

 この抜け穴は、幼い頃のレティリエとグレイルがよく使っていた場所だった。村の南には村長の家がある為、南側には門が設けられていない。その為、孤児院に帰るには一番近い東側の門を通らねばならないのだが、帰りが遅くなった時は、マザーに怒られないように、彼らはこの南側の抜け道を通って帰っていたのだ。

 そしてこの穴は、今も孤児院の子供達が時たま利用しているのをよく目にする。おそらくマザーも他の大人もこの穴の存在に気付いていたのだろうが、子供達の為にわざと直さないでいてくれていたのだ。平和に慣れてしまったがゆえの認識の甘さだが、今は逆にそれが功を奏していた。

 二人が無事に穴をくぐりぬけたことを確認すると、レティリエは静かに板から手を離した。


「ローウェン、レベッカ……気を付けてね。必ず生きのびて」

「ああ、お前もな」


 ローウェンとレベッカが森の中へ消えていくのを見届け、柵を元通りに戻すと、レティリエは踵を返して一目散に駆け出した。



※※※



 村の中では激しい戦闘が始まっていた。敵の狼はもうだいぶ村の中心地まで入り込んでいた。あちこちで仲間の狼と敵の狼が噛みつきあい、もつれ合い、あたりに濃い血の臭いが漂う。敵の狙いはまず間違いなく長の首だ。長のいる場所にいかすまいとばかりに仲間の狼が次々と敵に飛びかかり、そのまま激しくもつれあうのが見えた。

 レティリエの視界に、こちらに向かってくる二匹の狼が見えた。見覚えのないその二匹は、明らかに敵側の狼だ。偶然なのだろうが、彼らの進攻方向には村長の家ではなく、今しがたローウェン達が抜けた穴がある。

 レティリエは迷わず彼らの前に飛び出した。わざと彼らの目に自分の姿を映し、そのままひきつけるように脇にそれる。予想通り、二匹の狼はレティリエに目をつけるとそのまま彼女めがけて跳躍した。

 レティリエも決死の覚悟で走るも、人の姿と狼の足では敵うはずもない。あっという間に挟み撃ちにされ、レティリエは足をとめた。

 ハッハッと短く聞こえる荒い呼吸は自分のものか眼の前の狼なのかはわからない。至近距離で感じる殺気に、レティリエの肌がゾクリと粟立つ。

 次の一手を考える間もなく、二匹が同時に跳びかかってくるのが見えた。彼らが空中を跳躍する姿がスローモーションで視界に映る。襲いかかる白い牙がレティリエの命を狙って残忍に光った。

 と同時に体が横抱きになるのを感じ、視界が横に動く。痛みはない。力強く自分の体を抱え込む腕が誰のものかは見なくてもわかった。

 人の姿のグレイルがレティリエを抱えたまま、地面をえぐりながら着地する。


「レティリエ! お前といると、俺はいくつ命があっても足りない!」


 顔をあげると、グレイルの蒼白な顔が視界に映る。だがそれは一瞬のことで、彼の目は既に眼前の二匹に向けられていた。自分を抱き締める腕にぐっと力がこめられるのを感じる。グレイルの腕が緩み次の瞬間には彼は黒狼の姿になってレティリエをかばうように二匹と対峙した。

 グレイルがどす黒い殺気と共に一歩進み出ると、彼の気迫におののいた二匹が後ずさりをする。グレイルがとびかかる姿勢をみせた時だった。


「お前か、ドワーフの大軍を指揮していた銀色の女は」


 聞き覚えのある声がし、二匹の後ろから赤茶色の狼──セヴェリオが現れた。背後にいる灰褐色の狼はジルバだろう。グレイルの毛が逆立ち、瞬時に場に緊張感が走る。だが、セヴェリオは戦う姿勢を見せず、あごをしゃくって不敵に笑った。


「ふん、新しい長を前にして随分と不遜な態度だな」

「……なんだと?」


 セヴェリオの言葉にグレイルが低く唸る。そんな彼の態度をよそに、セヴェリオがくくくと笑った。


「ふん、知らないのか。腰抜けのお前らの長は逃げた。この群れは俺達が掌握した」


 セヴェリオの金色の目が怪しく光る。


「今からここが俺の群れだ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る