第14話 村の変貌

「グレイル」


 震えながら彼に近づき、地面にペタリと座り込む。血の気のない顔で呆然とするレティリエを、人の姿に戻ったグレイルが力強く抱き締めた。


「レティリエ、大丈夫か。怪我はないか?」


 こんな時ですら自分の心配をしてくれるグレイルに、申し訳なさで胸がきゅうと絞まる。どう見ても、乱暴な目に遭っていたのは彼の方なのに。

 レティリエは頭をふると、静かに前方に横たわる狼を指差した。


「グレイル……まずはあの可哀想な人を弔ってあげましょう」


 指し示す先にはピクリとも動かない狼が横たわっている。グレイルは低い声で返事をすると、もう一度しっかりレティリエを抱き締めた。



 共同の墓地にいき、犠牲者を埋葬する。綺麗なお花を飾ってあげ、レティリエは静かに死者を弔った。


「……この人にも、大切な人がいたのかしら」

「少し年嵩の狼だ。それなりに人生をきちんと謳歌しての幕引きだろう」


 ぼんやりと花を眺めながらポツリと呟くと、グレイルが労るようにレティリエの背中をさする。普段狩りにいくことのないレティリエにとって、目の前で誰かが死ぬのを見るのは初めてだった。

 悲痛な顔で墓に添えた花を見守るレティリエに、グレイルも痛ましそうに顔をしかめる。


「……レティリエ、彼は可哀想だったが、死は誰にでも訪れるんだ。珍しいことじゃない。それこそ毎日の狩りで突然死ぬこともある。俺の両親もそうだった」


 グレイルの言葉に、レティリエが瞳を揺らす。おそらく、グレイルや他の狼達は常に死を身近に感じながら生きているのだろう。そういう意味でも、自分は本当の意味で戦闘に参加することができていなかったのをつきつけられる。

 今回の場面でも、彼がいなければ自分はとっくに死んでいた。今までの自分は、戦いに参加するフリをしていただけにすぎなかったのだ。


「グレイル……ごめんなさい。私が色々とでしゃばりすぎたから、あなたにも余計な負担をかけてしまっているのね」

「何を言っているんだ。以前やつらが襲ってきた時にお前も奮闘してくれただろう。ドワーフの協力を得られたのもお前のおかげだ」


 グレイルは多分本心で言ってくれている。だが、レティリエは自分の身を危険に晒すことでしか戦えない自分に惨めさを感じていた。グレイルに守られながら戦いに挑む。それで本当に肩を並べて戦えると言えるのだろうか。

 地面に視線を落としたまま唇を噛む。

 前回の戦いの時に奇襲作戦が成功したことで、自分は少し天狗になっていたのかもしれない。今回の戦いで自分は無力である事実が浮き彫りになった。やはり自分は、でき損ないの狼だったのだ。

 目の前で命を散らした狼と、グレイルの姿が重なる。


 ──断言してやろう。お前はいつか目的の為にこの女の存在が邪魔になる。


 普段は雑音など気にならないはずなのに。

 子供を作る決心すらできないレティリエにとってセヴェリオの言葉は重く凝りの様に胸に沈んでいた。



※※※



 そこに残ったのは、今までとすっかり変わった村だった。見慣れた村に見慣れない狼達が闊歩している。レティリエ達の仲間もいることはいるが、その数は半分以下に減らされていた。死人は出ていないようだから、重傷者も含めて皆村から追い出されたのだろう。レティリエ達の群れは平和で、村人達も皆あまり好戦的ではないのが救いだった。だが、見たところ老人や怪我人なども含め、狩や戦いに出られない者は全て追い出されていた。


 二人は大急ぎで孤児院に戻る。孤児院の門の前で子供たちが大声をあげて泣いていた。


「皆! マザーは?!」


 レティリエが聞くと、年嵩の男の子が泣きじゃくりながら東の門を指差した。


「わからない、外に連れていかれちゃった…」

「大丈夫よ、落ち着いて聞かせて」


 男の子を抱き締めながらゆっくりと背中をさする。

 彼らの話を聞くに、明け方、やはり敵の狼が孤児院に押し掛けてきたらしい。孤児院を襲う敵の狼に、マザーは交戦しようとしたらしいが、昔はそこそこの実力を持つ彼女も年には勝てず、マザーは狼に変身する間もなくそのまま抱えられるようにして外に連れていかれたということだった。

 子供たちには誰一人として怪我はなく、全員無事だった。おそらく、将来群れを率いる可能性に溢れている子供達はまとめて残しておいたのだろう。争った跡や血痕がないことから、乱暴なことはされていないようだったが、村を追い出されたマザーや仲間達がどうしているのかを考えると、レティリエの心は泥沼に浸かるように沈んだ。 


 子供達を刺激しないように、なるべくいつも通りの日常を心がける。太陽がすっかり顔を出し、いつもと変わらぬ朝の日差しが皮肉にも村を明るく照らしていた。

 レティリエはいつも通りに朝食を作ると、食卓を囲みながら、子供達に「マザーも皆も絶対に生きているわ」と何度も伝えた。そのかいあって、彼らも少しだけいつもの調子を取り戻したようだ。朝食を食べ終えた子供達は、元気よく孤児院の外で走り回っていた。

 

 グレイルと一緒に孤児院の仕事を片付けていると、コンコンと扉を叩く音がする。いぶかしみながらもレティリエが扉を開けると、そこには一人の女性が立っていた。

 肩までのふわふわとした艶やかな黒髪に気の強そうな金色のつり目。女性にしては背が高く、レベッカと同じくらいだ。初めて見る顔に首を傾げていると、女性は横柄な態度で部屋の中を指差した。


「そこをどいてくれる? 私は中の黒狼に用があるの」

「あの、どちらさまですか…?」


 レティリエが聞くと、女は腰に手をあててつんと顎をそびやかした。


「私はクロエ。この男の妻になる女よ」


 女の傲慢な言い方に、レティリエの胸にさざ波が立つ。明らかに配偶者であろう女を前に真っ向から勝負を挑んできたことは勿論だが、それよりもレティリエの胸を乱したのは、女がとても美しかったからだ。自信に満ち溢れる顔は、彼女が実力者であることを物語っている。なんとなくグレイルには会わせたくない、とレティリエは思った。

 中に入れるか逡巡していると、なかなか戻らないレティリエに不思議に思ったグレイルが中から顔を出した。


「お前は……」

「先程長から命令があったでしょう? 私があなたの新しい妻よ」


 クロエの言葉にグレイルが不愉快そうな視線をよこす。


「ふざけるな、その話を了承した覚えはない」

「あら、でも婚姻には長の承諾が必要なのよ? 今あなた達は正確には夫婦間系にはないの。知らなかった?」


 クロエがクスクスと笑う。その小馬鹿にしたような態度にグレイルが怒り心頭で鋭く睨み付ける。


「話にならん。帰れ」

 

 グレイルが扉を閉めようとすると、クロエが扉に足を引っかけてするりと中に入る。彼女は挑戦的な目で彼を見上げながら形の良い唇を持ち上げた。


「あなたにとっては理解できないことかもしれないけど、セヴェリオからしたら私はもうあなたの妻だわ。だから私には帰るところがないの。だから、一先ずここにおいてよ」


 この図々しい物言いに、とうとうグレイルが切れた。無言でクロエの腕をひっ掴むと、ひきずるようにして外に出る。


「来い! 俺がこのまま突っ返してやる」

「ちょっと何をするの?! 寝る場所がないのは本当なのよ! 私は今誰とも番ではないんだもの!」


 クロエの顔から余裕の表情が消える。まさか連れ帰られるとは思ってなかったのだろう。必死に抵抗するも、大の男相手では敵うはずもなく。クロエはつんのめりながらグレイルの後を引きずられるようにして連れていかれる。

 女相手にはいささか乱暴とも言える振る舞いをするグレイルに、レティリエはそっと近寄って彼の腕に手を置いた。


「……そんなに乱暴をしたら可哀想よ。とりあえず話くらいは聞いてあげてもいいんじゃないかしら」

「そうよ! このままのこのこ帰ったら、私、彼に殺されちゃうわ!!」


 クロエが悲痛な声で叫ぶ。その言葉にレティリエとグレイルは揃って体をピクリと震わせた。二人の脳内には、先程容赦なく仲間を屠ったセヴェリオの姿が焼き付いている。

 要求を通す為の演技である可能性もあるが、それでも彼女を帰したことで取り返しのつかないことになるのであれば寝覚めが悪い。


「グレイル……場所ならあるわ。行くところがないならいてもらいましょうよ。それに、マザーがいない分、少しでも人手があった方がいいわ」

「レティ、それは……」


 グレイルが戸惑いの表情を浮かべる。だが、レティリエは目を伏せて静かに頭をふると、腕を掴まれているクロエに向き直った。


「クロエさん……ですね。行く場所が無いならここにいてもらっても構いません。でもこの人の妻は私なの。だから……新しい人が見つかったら出ていってくれる?」


 なけなしの虚勢をかき集めてしかと彼女の目を見据える。クロエは妖艶な笑みでそれに答えた。

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