第32話 藪から棒へ ⑥
ワシントンはノックスを呼び出した。
「なんでしょう」
まさか、例の失神事件が早くも総司令官に露呈したかと思い、ノックスは一際険しい顔で臨んだ。
「ニューヨークに、軍を置く」
ワシントンは単刀直入に言った。彼は、無駄なことを言わない。ノックスが失神したことは、完全に無駄なことである。
「は」
ワシントンに対して聞き返すことはタブーだ。ノックスは驚いて一瞬聞き返しそうになるが、耐えた。
「ニューヨークは戦略的に重要な拠点になる」
イギリスが植民地に深く侵入するにあたって、ニューヨークは都合がよかった。ニューヨークに拠点を取れば、植民地軍の事実的首都であるフィラデルフィアに進行しやすいのだ。
それはノックスもわかっていたが、いささか急ぎすぎのように感じた。今、一つの戦争が終わったばかりで、兵士はほっと一息ついているところだ。敵も敗北のあとですぐ攻めてくるだろうか。ゲイジの敗北に怖気づき、数年の間は兵を出してこないとさえノックスは思っていた。ワシントンの意図が見えない。
「して……」
ノックスの言葉をワシントンが遮った。苛立っているようにも見える。
「敵の次の目的は、ニューヨークの奪取だ。すでに艦隊が英国から出動している。俺が、敵の将軍を尋問して聞いた。あの状況で嘘はつけない。内容は間違いない」
ノックスは生唾を飲んだ。ボストンの勝利で酔いしれていた自分を恥じる。ワシントンは既に先を見て行動をしていた。
「今す……」
「今すぐ準備しろ」
「は、はい!」
ノックスはワシントンの宿舎を転げ出た。
扉が吹き飛んだ。
ジャックの心臓が飛び跳ねる。
「ジャックよ」
久々の再開に喜びを爆発させるオリー。心臓をさするジャックに構わず抱きついた。
「痛い、痛い、痛いわ」
叫ぶジャック。
後から部屋に入ってきたロチカは、すぐに異変に気がついた。
「ジャック、怪我をしているのか?」
オリーがすぐに手を離した。ジャックははにかむ。
「まぁ、そうだね。どうやら俺は戦闘向きじゃなかったようだ。君たち二人と別れた後、俺は民兵としてロクスベリーネックの小競り合いに参加したんだ。だけど、そこでバン、バン、とね。腹部に銃弾を二発くらった」
「またか」
オリーは気の毒そうな顔をする。
「俺が弱かったのさ。幸い命はあるんだが、足が思ったように動かない」
オリーがあまりにも悲しそうな顔をするので、ジャックは慌てて続けた。
「心配するな。戦場でなくとも俺は戦い続ける」
ジャックは、机の上に置いてあった本を手に取った。
「本を書いたんだ。元々こっちの分野の方が得意だったんだ。それで内容はね、独立の……」
「すまん、ジャック。本は無理」
オリーは静かに影を消していく。
「え、オリー、てめぇ、消えるな! 俺を痛めつけるだけ痛めつけて帰るのか!」
ジャックはロチカの方を見た。
「ロチカ……読むかい?」
ロチカも微笑を浮かべたまま姿を消していく。
「本は、苦手」
「おい、なんだよ!」
「…………え、え? 終わり? 本当に帰った? お見舞いは?」
「……何しにきたんだよ!」
本を投げ飛ばすジャック。運悪く本は朝食用の食器に当たり、食器が床にぶちまけられた。鳴り響く音、飛び散る破片。下の階から看護師の怒りが伝わってくる。ジャックは大慌てで布団の中に隠れた。
階段を上がる足音が聞こえる。本のタイトルの上には食器の破片が飛び、見ることが出来ない。読めるのは最初の文字、Cのアルファベットだけ。
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