第31話 藪から棒へ ⑤

 ノックスは神妙な顔つきでドーチェスターの丘陵に腕を組んで立っていた。

 眼前では、イギリス軍が退却の準備を進めている。

 ワシントンは、誰にも自分の行動を伝えなかった。気がついたら一人でゲイジと会っていたのだ。ノックス含め将軍たちは驚愕したが、もし連れ戻そうとでもしたら、後でワシントンに殺されることはわかっていたので、見守るしかできなかった。ゲイジに連れられて中に入っていったときにはさすがに冷や汗をかいたが、三十分経った後、彼は変わらぬ様子でフラフラと出てきた。

 そして今、頑なにボストンから出てこなかった敵が、いそいそと本国に帰る準備をしている。

 ワシントンは天才だ。

「将軍」

 背後から声がした。ノックスは振り向かないまま答える。

「魔法使いか」

「えぇ、どうも」

 ロチカが立っていた。

「あれから体調はいかがかと思いまして」

「くぅ……」

 怒りと恥ずかしさでノックスの顔は真っ赤になった。何処の出かもわからぬ自称魔法使いのせいで、彼は大いに辱めを受けた。そりにのって失神したノックスを、ロチカは様々な人に見せて歩いたそうだ。確かに魔法使いがいなければ今回の成功はなかったといえ、何たる屈辱、何たる侮辱。

 あの行為に目的などないのだ。ただ、自分が楽しいからやったのだ。ノックスは体を震わせた。

「しかし、驚きましたね」

「何がだ」

「五十九門、大砲はこんなにたくさんあるのに、肝心の弾が全くなかっただなんて」

「弾は利用価値が高い、それに運びやすいからな。誰が奪っていってもおかしくはない」

「敵が否が応でもボストンに残る選択をしていたら、我々は負けていた。弾が出ない大砲を一体誰が怖がりましょう」

「大砲を運んでここに要塞を立てた時点で勝敗は決していた。ワシントンは、最初から弾がないことをわかっていてこの作戦を立てたのだ。脅しの見世物だけで、彼は十分だと言っていた」

 自分の功績ではないが、ロチカを感心させられたことにノックスはやや満足した。

 ロチカは鼻を鳴らす。

 ワシントンか。ただのげっそりした男に見えたが、本当に最初からここまで読んでいたとしたら恐ろしい人間だ。

 何かすごく不気味なものを感じる。

 ロチカはノックスから離れ、部隊のテントに戻った。テントの後ろでは大きな炎が音を立てている。人間とは違い、煙には鋭い異臭が含まれている。

 ロチカに気がつくと、オリーが尋ねた。

「これで良かったのか?」

「あぁ、これでいい」

「ふーん」

 二人は、炎を眺めながらしばらく黙っていた。

「……それにしても、まさかこんな過酷な旅になるとはな。ジャックもたまげるぞ」

「ふふん、確かに魔物に関しては驚いたが……だが、ここからだろう。敵はまだくる。イギリスからも魔法界からも」

「わかってら。旅で物足りるような俺じゃねぇ。戦争だ。やってやるぞ」

 オリーは拳と拳を強く叩き合わせた。鈍い音がする。

「それ、痛くないのか?」

「何言ってんだ、ロチカ。痛いぞ」

 ロチカは笑った。

 変わっている自分を感じる。だが、変わっていない自分も強く感じる。

 戦っている最中は良かったが、また熱が上がってきたようだ。いくらかすっきりしたとはいえ、完全に葛藤が消えたわけではないのだ。

 目的は変わらない。魔法界に戻る。そのためにこの戦争に貢献するのだ。他の選択肢は数多にある。疑問だってある。でも、それを考えることは止めよう。この戦争の勝利が、魔法界への切符だ。


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