第43話 どちらでも

 文化祭当日。


 「おーい、白木っ」


 「あっ、信隆!」


 「盗賊B、お疲れ様!」


 坊主頭の男子たちの輪からこっそり抜け出した信隆が、午前中に演じた僕の役柄を

からかう。


 「チナツみたいな茶化し方やめろっての」


 「ごめんごめん」


 やれやれと顔をしかめる僕に彼は依然としてにやけ顔で笑う。


 「なあ、昼飯、みんなで食おうぜ!」


 「いいの? 野球部のみんなは?」


 「いいって、ここ一時間、めちゃくちゃ回ったし、飽きたわ。てか俺、お前らと過

ごす方が数倍楽しいから」


 「急に何言い出すんだよ、気持ち悪いなぁ~」


 「はあ? 人がせっかく褒めてんだから喜べっての!」


 冗談を飛ばしあいながら、僕は内心、嬉しくてたまらなかった。


 「じゃあ、あいつら探すか。俺はチナツに一報入れるから、お前は桃井ちゃんにメ

ッセージ送っとけよ、って…っ!?」


 スマホでメッセージを送ることを催促した彼は、僕と同じく、今その場を通り過ぎ

る桃井さんを見かけた。


 面識のない男子。


 この前、カフェで見かけた、男子。


 桃井さんと、楽しそうに話していた、人当たりの良さそうな人。


 「なん…で…」


 「信隆?」


 彼の顔が固まったと思いきや、だんだんとその表情が青ざめていく。


 身体が小刻みに震えているのが見えた。


 僕は、桃井さんと一緒に歩いている人物が何者なのかを、信隆の様子からすぐに理

解した。


 野球部の、茶坂。


 一年前の新人戦、レギュラーの座を奪った信隆を、野球部にいられなくした張本

人。


 そんな彼と、桃井さんが…。


 最悪は、さらに続く。


 桃井さんがトイレに行くと、見知らぬ男子二人が現れた。


 「なあ、マジであれと出れるようになったの?」


 不愉快で軽薄な笑みで問いかける男子に対して、茶坂は鼻で笑った。


 「まあね。あの子、やたらと承認欲求が高い子で助かったよ。おかげで僕の損失が

発生しなくて済む」


 「はぁ~。お前やっぱりすげえわ! 俺たちの負けだ」


 「いやいや、野球部が強豪だからそのブランドに助けられてるだけだっての」


 会話の内容が、まるで掴めなかった。


 いや、掴めないふりをしたかった、だけなのかもしれない。


 本当はすぐに、分かったくせに。


 「じゃあ、後でくれよな。約束通り、一人三千円」


 歯を見せて、三本指を立てる茶坂。


 汚い顔をした汚い男が、急接近する僕に気付き、身構えた。


 顔を殴りたかった僕は、胸倉を掴んで、顔を近づける。


 「ふざけんな…」


 声が震えた。


 先輩への恐怖ではなく、このクズに対する怒りで、声が震えた。


 「急に何すんだ、二年コラ」


 近くにいた男子に肩を掴まれるが、「いいよ」と依然として笑顔の茶坂がそれを制

する。


 余裕綽々な顔で、僕に言った。


 「君、あの子のことが好きなんだろ?」


 「お前、このっ…」


 拳を振りかぶった。


 こんなクソ野郎、『チカラ』なんてなくても、ぶっ飛ばしてやる。


 しかし、その手は簡単に止められた。


 「おい! やめろって!」


 信隆が止めに入った。


 「離せ…、離せよ!!!」


 すっかり我を忘れてしまった僕は、周りの視線に気にすることなく、目の前の茶坂

を睨み続ける。


 信隆に軽々と引き離されてもなお、僕は目の前のクズを睨み続けた。


 「何やってるの…?」


 桃井さんが、トイレから戻って来た。


 僕は、固まる彼女に訴えかけた。


 「桃井さん。実は…」


 口が止まった。


 言えないことに気が付いたから。


 あんなに喜んで彼と過ごしていた彼女に、この場で真実を伝えてしまうのは酷だっ

た。


何の救いもなかった。


「こいつが勝手に突っかかって来たんだよな?」


 取り巻きの一人が、余計な口を挟むと、桃井さんは僕を睨んだ。


 「本当なの…?」


 「それは…」


 怪訝そうに、怒りを込めた彼女の視線に耐えられなくなりそうだった。


 「まあ、いいじゃない、彼にもいろいろあるだろうし」


 ヘラヘラと、神経を逆撫でにする声音と表情で僕に笑いかける茶坂。


 今にも手が出そうになった僕は、奥歯を強く噛みしめ、堪えるのに必死だった。


 「じゃ、行こうか」


 「はい…」


 「お二人さんごゆっくり~」


 「そういう冷やかし止めなって、彼女、嫌だろうよ」


 「いえ、私は平気です…」


 「そう?」


 自分を賭けのダシに使われていることに気付かない彼女が、平和に笑う姿を見て、

僕は、嫉妬したのか、それとも、彼女が傷つくくらいならこのまま気付かなくてもい

いと願っていたのか。


そのどちらでもあって、そのどちらでもないような、安堵と恐怖が僕の中を無秩序に

絡み合っていた。

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