第20話 天使

 「のぶくん…」


 私は、体育館の中で、女子の競技に参加している。自分たちのクラスが試合をして

いない時に、彼の試合を観れないのがもどかしくて、つい圭坊の『チカラ』を破って

しまいそうな勢いで、観戦してしまいそうなのを必死に心で食い止める。


 そもそも、私が彼の前に現れたところで、『チカラ』は消えないはずだ。


 「ただの、幼馴染なんだから…」


 そう、幼馴染。


 小学校の時から、ずっと。家も隣同士で、互いの親同士も仲が良くて。何年もの時

間を一緒にしてきて、その今までで、彼からは何の好意も示されていない、というこ

とは、つまりそういうことだ。


 私を女として、見ていない。


 バレーボールの試合が終わると、グラウンドの方向をつい見てしまう。のぶくんの

ことが、どうしても心配で、今すぐにでも駆けつけたくなった。


 でも、今日は圭坊に任せることにした。あいつなら、たぶん、やってくれる。ホー

ムランを打ったことをスマホのメッセージで受け取った瞬間、やはり彼は、『チカ

ラ』以上に、もっと強いものを心に持っている。だから、私はあいつを、のぶくんを

信じる。


 彼に渡したお守り。


彼にしか渡していないお守りは、毎日カバンに付いているから彼にとってはおそらく

大事なものだと圭坊に危惧されて外したが、そんなことはない。私を、ただの幼馴染

を気遣って付けているだけ。


 ただ、幼馴染として、同じ部活だった同級生としての付き合いを全うしているだ

け。


 一方的な好意を抑えきれなくて、こんなものまで渡して。私は、ただの面倒な女

だ。重くて、気持ちが悪い。


 私がいるから彼は、気を遣って他の女の子たちと付き合うことが出来ない。


「チナツがいるから」と、のぶくんに興味を持っていた女子たちは、本当にいい子た

ちだったのに、私が邪魔になっているから、彼女たちは勝手に諦めていく。


彼の知らないところで、私が彼の青春を、充実を、邪魔している。


「私なんか…」


「わぁ~。やっぱり綺麗な人…」


 「えっ」


 独り言に混じった他人の声に敏感に反応する。


 「あの…、あなたは」


 困惑する私に、声を掛けた彼女は堂々と自己紹介をした。


 「あっ、すいません! 自己紹介しなきゃですね! …私は、一年生の目黒唯花で

す! 噂の美男美女幼馴染の、女子の先輩の方がいたので、つい声を掛けちゃいまし

た!」


 えへへ、と照れくさそうに、おどけて笑う一年生。体操服の襟にちょうど覆いかぶ

さるくらいの短い髪と、整った顔立ち。中でも、パッチリとした大きな目に備え着い

た、濃くて長いまつげ。


 春流ちゃんと同じ背丈の小柄な女の子は、子犬のような目つきで私をまじまじと直

視する。


 「そのお守り、知ってます。蓮井信孝さんに渡したものですよね?」


 「うん。そうだけど…。なんで知ってんの?」


 急に現れた天使のような女子に、未だに戸惑いを隠せない私は、自分でも分かるく

らいに疑念に顔を歪めた。


 「お二人がすごく仲がいいっていうのは一年生の間でも有名ですよ? だって二人

とも、顔が広いし、目立つじゃないですか」


 「そう…なのかな…」


「そうですよ! 早く付き合えって声もあるし、もう付き合ってんじゃないのって勝

手に噂してる人もいるし…。とにかく顔が広いです! 有名人!」


 「はあ…」


 よく言われる言葉だったし、実際に自分は知らないのに、私たちのことを一方的に

知っている人がいるのをよく聞く。そんなに噂ばっかりして何が楽しいのかね、と心

底鬱陶しくも思うが。


 「そこで…、なんですけど…」


 急に、黒髪の天使は、目線を下に向けもじもじと何かをねだるように、くぐもった

声を出した。


 「私が、そのお守り、渡して来ましょうか?」


 「えっ…」


 余りの唐突さに、話がまるで見えなかった。


 「こういうのって、直接渡すよりも、第三者が伝えた方が効果があるんですよ? 

しかも考えてみてください。まったくあなたとも彼とも面識のない人が、どちらの気

持ちに贔屓することなく渡せるから、より言葉が真実味を増すんです!」


 「急に、そんなこと言われても…。ごめん」


 手に持っていたお守りを、外敵から守るように、ポケットにゆっくりと入れる。


 私の答えは、もちろんNOだった。いくら感じのいい子でもまったく知らない人に

自分の大事なものを渡すなんてもってのほかだし、本当に傲慢な考えだけど、これが

彼の記憶を取り戻す『引き金』だったら…。そんなことは、きっとないんだろうけ

ど。


 「あ~。そうですか…。残念です。力になりたかったです、私」


 「ごめんね」


 か弱そうな彼女に、できるだけ残念そうな顔を作ってあげて、その場を離れようと

した瞬間。


 「試してみませんか?」


 彼女のその声が、私を魔法か何かで、いや呪いのようなもので縛り付けるように立

ち止まらせた。


 「えっ…」


 「だから、試すんですよ? 彼の気持ち。もうハッキリさせましょうよ?」


 「ハッキリ、させる」


 「はい。それに、こんなチャンスはありませんよ? 今日みたいなクラスマッチと

は違って、ハッキリと学年の隔てた場所で、学年の違う私がお守りなんてあげたら、

また変な噂が立ちかねませんし、私、一応、彼氏くらいはいるので、こんな日じゃな

いと動けません。次は十月にある文化祭ですかね…。それまでに、モヤモヤしたまま

の心に、折り合いを着けませんか?」


 「…っ」


 ポケットからお守りを、取り出す。


 まるで最初から自分の思い通りになると思っているような、そんな自信のある顔つ

きに、私はとうとう、大事に持っていたお守りを、彼女の手元に預けてしまった。


 託してしまった。


 私の知らない気持ちを、見知らぬ後輩の女の子に。

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