太陽の息子と月の娘 下
その後もスホはソウの紡ぐ言葉に不思議な感覚を覚えながらソウの話を聞いていた。
そしてスホはソウの話を聞いて特にソウが聡明であることを感じていた。
今16歳のスホが振り返って考えてみればスホにとってソウは初めて本当の意味でスホをお飾りの肩書き抜きに見てくれた人物だったのかもしれない。
そのうち漠然と疑問が湧き上がってきた。
そしてスホはなぜかその答えは他の誰でもなく、ソウの声でソウの口から聞きたいと思ってしまった。
「どうしてそこまで俺の事を褒められるんだ?それに右大臣家次女なら祭りに顔を出す方が今後良い縁談に繋がるかもしれないじゃないか」
ソウは今度は少し考えて答えた。
「確かにお祭りに出る方が良き縁談には恵まれたかもしれませんね」
8歳なのにスホやソウの口からサラリと縁談という言葉が出たのはそれぞれの姉兄の影響であった。
スホの異母兄シンはスホより5つ上でありまだ婚儀をあげるには早い年齢であるし本人はのらりくらりとかわしているが我が家の娘を婚約者に暫定して欲しいと言う家臣が多くいることをスホも知っていた。
またソウも兄が9つ上で姉が4つ上であり兄はそろそろ婚儀を上げてもおかしくない年齢だ。なので縁談の話が家の中でちらほら出ていたため縁談という言葉に抵抗がなかった。確かに祭りの場に居れば良家からの若君から見初められることもあっただろう。
ソウが話を続ける。
「ですが、縁談という右大臣家のための話より、私がスホ様にお会いしたいという感情が勝ってしまいました。私、自分勝手なのです」
ソウが柔らかく微笑んだ。今日ソウが初めて見せた笑顔だった。
それはこの世のものとは思えないほど美しい微笑みでよく笑顔は太陽のようだと形容されるがソウのそれは太陽とはまた違う、柔らかい月の光のような微笑みだった。
スホは心臓がどきりと跳ねるのを感じた。
なぜソウはそこまでして自分に会いたかったのか気になって仕方がなかった。
「なぜ楽しい祭りの場に行かずにこんな静かで誰もいない、楽しくもない方を、俺に会う方を選んだんだ?」
確かに父王の命ならば厳命だろう。しかしこの命は父王が家臣ではなく旧友に頼んだ「事」だ。断る余地のある命だったはずだ。
ソウが落ち着いた声音で言った。
「楽しくない方だからです。だって、私がお祭りに行ったらきっとスホ様はおひとりで楽しくない方にいることになっていたでしょう?今日みたいな日にスホ様におひとりでいて欲しくなかったのです、私が。お会いしたことが無いのに可笑しいと思われるかもしれませんが」
ソウはスホの目を見て目線を合わせて話す。
少し自分より背の高いスホに目線を合わせるためにスホは座っているがソウはしゃがんで小首を傾げて顔を覗き込んでくる。
あ、いつぶりだっけ。人と目線を合わせて会話するの。ソウの目はとても澄んでいて日が差して少し茶色に透けて見える。髪も普通の人より少し茶色いのか木から漏れる陽の光に透けて見える。
いつの間にか勝手にスホの口から零れていた。
「ありがとう。来てくれて」
スホがはっとした。つい本音を言ってしまった。
スホは顔が火照るのを感じる。ソウがにっこり嬉しそうに笑った。スホはソウの顔が見られなくて、でも間が持たなくて、訳の分からない自分の気持ちに戸惑っていてどうしようかと思っていた時だった。
「あ!」
ソウが何かを思い出したように声を上げる。スホも驚いて思わずつられてソウを見る。
ソウの顔がぱっと明るくなってスホに言った。
「私、スホ様に贈り物を持ってきたのです!」
「贈り物?」
「はい!少々安物になってしまうのですが…いいですか?」
「別にいい」
スホが照れ隠しも含めてぶっきらぼうに答える。
自分はこんなにぎこちないのにお構い無しのソウに何だか拗ねるような気持ちもあるが単純に贈り物は嬉しかった。
「これです。スホ様の幸福を願って、これにしました」
ソウが差し出した巾着を開けてみると綺麗な水色のお守りが入っていた。花の刺繍が施されている。
「お守り?なんの花の刺繍だ?」
「やっぱりご存知なかったのですね。カスミソウの刺繍です。カスミソウは花言葉が幸福なのです。贈り物をする際によく用いられます。ほら、我が国は占いや祈祷の文化が盛んでしょう?折角贈り物をするのならばスホ様がここから出られない代わりに私がスホ様の目になって民の関心事に沿ったもので王宮内に内緒で持ち込めるものがよろしいかなと思って…ただ…安物ですが…」
ソウが少し肩を落として言う。
その様子が当時のスホには「面白かった」。
そこまで考えて、ソウ自ら選んでくれてそれ以上の贈り物はスホにはないと思った。
毎日毎日息を殺して聡くないふり、時に賢いふり、毎日塩梅を測り続けるそんな生活にこのお守りがあれば耐えられると思った。どんな安物でもソウの願いがこもっている。それだけで充分だと思った。
スホにとってソウのスホの幸福を祈る気持ちは金銭には変えられなかった。
今思えばどこの場面を切り取ってもソウが自分の初恋だとスホは思う。
当時「面白い」と思った感情はきっとソウに対する「可愛い」や「愛らしさ」だったのだろう。
スホはあれからソウと1度も会えていない。
探しても見つけられなかった。忘れようとも思った。自分にも縁談が来ないわけもなかった。
たかが初恋じゃないか。
だけど何度も何度もカスミソウのお守りを手放そうとしても手放せない。なぜそんな安物を、と何度言われたかも分からない。
ひと目でいいから会いたい。誰かと婚儀を既にあげているかもしれない。それでもソウが元気ならそれで構わない。母妃を亡くして王宮内に居場所がない自分の心の拠り所になってくれた少女に1人でスホが呟く。
「ソウ、お前、どこにいるんだよ。俺からはもう、会いに行けないからもう1度会いに来てくれよ…」
16歳のスホのとっくに声変わりした、昔より低くなった声があの日と同じ庭園の場所で1人寂しく響いた。
そこでまるであの日みたいにソウが微笑んでいる様に風が木を揺らした。
「わ、強い風…」
同じ時、違う場所で、同い年の少女の人より少し茶色い髪が風に揺れた。
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