人に見せられない宝物
強い風が輿に乗ろうとするソウの腰まである茶色い髪を揺らした。
夕時だが今日はあいにくの曇天であまり時間の流れを感じられない。
だからだろうか、見合いが夕餉の時間まで長引くと思っていなかった。
ソウは輿の中でため息をついた。
「疲れた…」
思わず愚痴が零れる。
昨年15歳になって結婚適齢期を迎えてからソウの事が邪魔で仕方がない義父が2、3日置きにソウに見合いをさせる。早く嫁に出して家から追い出したいのだ。
ソウは今右大臣家の人間ではない。
亡き実父が罪を犯したことで処刑され、母が子供たちの身分のために再婚したためだ。
我が国は婚儀に関して厳しい掟がない。
それは女性の身分がある程度男性と肩を並べられることから来ている。
再婚相手は右大臣家に不足の及ばない左大臣家当主。ソウはこの義父が気に食わない。それは義父も同じことだ。しかも義父の連れ子である義兄妹からも自分が疎まれていることをソウは分かっている。味方になってくれる兄も姉も既に家を出ているため居ない。
更にいえばこの1年、母と顔を合わすことすら叶わない。
母が流行病に伏せっているからとなぜかソウだけ左大臣家の別邸に移されて暮らしている。
母も自分に感染すことを望まないと言っていると義父が苦しい言い訳を言い数名の若い侍女たちと暮らし見合いに見合いを重ねる毎日だ。
但しソウがこの苦しい言い訳を指摘することは許されない。なぜなら自分は「罪人の娘ながら生かして貰っている身分」だからだ。
しかし実父である右大臣は民からの人望が厚く、人気の高かった人なので幸い人々から白い目で見られることはない。
そして父の処刑内容は家族のソウ達にも公開されないという有り得ない異例なことであった。
つまり世間の見方も右大臣の処刑は「見せしめ」である、自然とそういう風になっていった。
これは義父からすれば非常に面白くない事だ。
そしてソウが何度見合いを重ねてもどの縁談も破談にさせて来るというこのソウからのささやかな反抗も腹が立っていることだろう。
ソウは輿の中で自分の懐から扇を取り出した。それは人前では決して出したりしない、ソウの一生の宝物だ。
一見ただの扇に過ぎないのだがよく見ればこの扇は我が国で作られたものではなく風月の国のものであることがよく分かる。
扇には上質な和紙が貼られ、桜の花と不死の山が描かれているのだ。
いくら身分の高い貴族でもこれほどの扇は決して手に入れられない。
ではなぜソウがこの扇を持っているのか。
この扇をソウに贈れるほどの地位がある人物は1人しか居ない。スホである。
ソウはこの扇を見つめる度、「あの日」の事を思い出す。
今となっては身分に差があり過ぎて愛おしい人だと口外することすら出来ないがあの日確かにソウはスホを愛おしいと思った。
当時はスホが眩しすぎて近すぎてこの感情は「憧れ」に過ぎないと思っていたが時が経ってみて、そして距離も身分も離れてみて、今の自分を支え続けるこの贈り物が自分の中のスホの存在がいかに大きいのかを物語っている。
「きっともう、2度とお会いすることは叶わないのでしょうね…」
ソウが贈られた扇に向かって輿の中で1人ぽつりと呟いた。
――あの日――…
「スホ様の幸福を願って」
そう言って自分が差し出した巾着をスホが不思議そうに手に取ったことを今でもソウはよく覚えている。巾着を開けてスホが言った。
「お守り?なんの花の刺繍だ?」
言葉の一言一句まで覚えている。
ソウはカスミソウの花言葉の話をし、安物であることを申し訳なく思って、肩を落とした。
その時スホが声を出して笑った。さっきの笑いとはまた違った雰囲気の笑い声だった。そしてソウはきっとこの時のスホの笑顔を一生忘れられない。
ソウの背後から日が差していたからスホの笑顔は太陽の光に満ちていて少し中性的ながら凛々しく、整った顔立ちを際立たせた。
よかった。スホ様の笑顔が見られた。
ソウはそれだけで満足だった。
すると今度はスホが自分の懐からこの扇を取り出してソウに差し出した。
「お礼に貰ってくれないか?」
なんだろうと思い、ソウは手に取って扇を広げてみた。美しい桜の花と不死の山が描かれていることから風月の国の扇だとすぐに分かった。
それは当時8歳のソウにも分かるほど高価なものであって当然受けとってはいけないものだった。
「頂けません!こんな高価な…。しかも余りにも値段が釣り合いません!」
ソウが扇をスホの元へ返そうとするとスホが優しく言った。
「これは母上が風月の国の王から賜った扇で形見のひとつなんだ」
「尚更頂けません!そんな大事なもの、私に渡すなってあってはなりません!」
ソウが激しく遠慮するのでスホが下手に出て言った。
「そんなに嫌ならいいけど…母上の形見はもうひとつあるし、お前に持っていて欲しかったから渡そうと思ったんけどなあ」
少し拗ねているような声音も含まれていて今度はソウが断る方が無礼に値するようになった。
さすが聡明と謳われるだけに人の心の動かし方を知ってらっしゃる方だわ…時期国王にここまで言われて貰わない方がいっそ無礼かもしれない…と結局ソウは思い恐れ多くも有難く受け取ることになった。しかしここで引き下がるソウでは無い。
「スホ様、少しずるいです…」
ソウが少しばかりむくれてスホに恨めしい視線を向けるとスホが太陽より輝かしく楽しそうに笑ってくれた。
「ソウお嬢様。もうすぐ到着致します」
輿の中にかけられたひとことでソウははっと現実に引き戻された。急いで扇を隠して輿を担いでくれるものに声をかける。
「分かったわ。今日もありがとう」
輿が止まり左大臣家別邸に入ろうとすると庭に来客が来ていた。
ソウの全身が凍りつく。
いや、呼び方は来客ではなく、本当のこの家の主という方が正しいだろう。
ソウは突然義父が自分を訪ねてくることに不気味さを感じた。
そして義父が不気味な笑みを浮かべてソウを出迎える。
「おかえり、ソウ。今日は夕餉を共にしたいと思って来たんだよ」
全身の毛がぞわりとするような嫌味たらしい笑みに
ソウはこの上ない不安を感じていた。
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