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 翌日、授業の後で鷹倉家の倉を訪れると、花子さんの姿はなかった。


「天狗さん、こんにちは」


 倉の奥にいるはずの天狗さんに声をかけてから、倉の隅に置かれた和風高級便器に向かって、スマートフォンを構える。

 カメラに映せば姿が見えるかもしれないんだよね。

 でも、撮影しても、花子さんの姿は見えなかった。


「天狗さん、花子さんは引っ越したんですか?」


 昨日は、その和風高級便器にお試し入居してみるっていう話だったけど。

 天狗さんの居場所は、倉の奥。

 天井近くまで積み上げられたものをどうにかよかしてつくった隙間に置かれた、北欧風のテーブルセットに、パソコンやら本やらを置いて、自分の部屋のように使っているのだ。

 いまも、奥のほうから顔を出してくれた。


「やあ、鏡さん。いらっしゃい。出勤だね」


 天狗さんのもとでわたしはバイトをしているので、天狗さんは雇用主。

 そうだ。まずは挨拶。

 倉の中の通り道を抜けて、天狗さんのもとへ向かうことにした。


「お疲れ様です。今日はなにを片付けましょう? ――それ、なんですか?」


 深い茶色の木目が美しいテーブルの上に、不似合いなものが置かれている。

 木製の小さな看板というのか、案内板のプレートというのか。

 長方形の端のほうは丸くなっている。

 かなり古いもので、こう書かれている。


 女子便所――。


「天狗さん、これって――」

「ああ、花子さんが、これだけ置かせてくださいって」

「花子さんが? というか、花子さんはまた引っ越したんですか? やっぱりあの高級な便器じゃ居心地が悪かったんでしょうか」

「いや、もっといい物件を見つけたんだ」


 天狗さんが指でさしたのは、卓上に置かれた携帯型ゲーム機「Swach」。

 手慣れた様子で手に取って、ボタンを操作した。


「天狗さんって、ゲームもするんですね」


 意外だった。

 勝手なイメージだけど、天然だし、生真面目なので、流行のゲームや漫画には興味がないんじゃないかと思ってた。


「たまにね。昨日、花子さんと話していて、いい物件があるなって思い出したんだ」


 と、天狗さんはゲームの画面を見せてくれる。

 最近大人気のゲームで、架空のフィールドにある野山や畑、海岸や無人島に自分好みの家を建てて、釣りをしたり畑を耕したりして、お好みのスローライフを満喫できるシミュレーションゲーム。

 映っていたのは、トイレだった。

 木製の壁に囲まれたレトロな校舎というふうで、入り口にはカラフルなサンダルが並び、引き戸の奥には、白い便器が見え隠れしている。


「すごいね、どんどんアップデートされている」


 ほんの少し時間を置くだけで、そのトイレは目まぐるしく変わっていった。

 壁の木目の色がちょっと薄くなったり、逆に濃くなったり。

 入口に花瓶が置かれて、スミレが飾られてみたり、バラに変わったり。


「DIYを楽しんでるみたいだね、花子さん」

「花子さん?」


 画面の端に、にこにこ笑った小さなキャラクターが動いている。

 肩までのおかっぱの黒髪、白いシャツに、吊りスカート。

 笑顔が見えるのがイメージと違うけど、服装は……。


「あ、花子さん!」

「そうなんだ。ネットや無線通信を利用できるなら、仮想世界も利用できるんじゃないかなと、提案してみたんだ。これはおれのソフトなんだけどね、あっというまに使いこなしてるよ」

「え、と――操作せずに、花子さんがゲームの世界に直接入って、暮らしてるってことですか?」

「ハッキングに近いかな」

「ハッキング――」

「鏡さんの友達の家で映った時もそうだと思うよ。調べてみたら、ARの中でもロケーションベース型っていう方法らしいね」

「はあ――」

「花子さんのポテンシャルがすごいよね。尊敬したよ。すごいし、恐ろしいよ。このことはくれぐれも秘密にしてくれ、鏡さん。花子さんが生み出した技術が明るみになったら、軍事利用もされかねない」

「――しませんけど。口外なんて」


 たぶん、誰も信じてくれない。


「というわけで、しばらくゲームの中で暮らすというので、実家の荷物だけ置かせてほしいと、預かったんだ」

「実家の荷物って、トイレの案内板ですか」


 角がまるくなった、古い木製の「女子便所」と書かれた板だ。


「花子さんが暮らしていたトイレのものらしいよ。ところで、鏡さん」


 天狗さんの目が、急に輝きだす。

 しかも、じっと見つめてくる。


「なんですか――」

「さあ、手に取ってくれ。霊感のある鏡さんなら、またこの案内板が実際に使われていた時の風景を見られるかもしれない」


 バイト初日のことだ。

 古い盃を手にしたら、その盃が実際に使われていたらしい時代に飛んでしまった。

 手を放したら現実に戻ってきたし、その後でもう一度盃に触ってみても、なにも起こらなかったけど。


 その時のことが、天狗さんはとても楽しかったらしい。

 おかげで、その後も、いわくありげな物を見つけるたびに天狗さんは嬉々としてわたしに触らせようとした。

 結局その後は、珍しいことは起きていなかったけれど。


「えっ、トイレの案内板をですか」

「いやいや、トイレの花子さんの実家の荷物だ」

「物はいいようですね。でもつまり、妖怪の持ち物ですよね」


 ごくりと喉が鳴る。

 これまでに触ったものとは格が違うんじゃ――。

 これまで手にとったのは、江戸時代の盃や、壺や、めずらしい骨董品だけど、いま目の前にある「女子便所」と書かれた案内板は、花子さんという妖怪が長年大事に保管してきたもの。


 骨董品店にもなかなか出回らないんじゃ――。

 ――というか、なんでここにあるの。


「さあ、鏡さん。どうぞ」


 まずい。

 天狗さんの目が真剣だ。

 好奇心旺盛な人だっていうのは、もう理解しているけど……。


「どうぞって――やだなあ」


 花子さんの持ち物って知っているからなのか。

 なんとなく、他のものとは違う気がするんだよね。

 ぞわぞわっとして、木の板の周りがゆがんで見えるような――。

 でも、天狗さんの目がきらきらとしていて、触らずには逃がしてもらえなさそうだ。


「わかりましたよ」


 仕方なく、手を伸ばした。

 指がまるくなった木の板に触れる。その瞬間。

 シュン、となにかが身体を通り抜けた。

 次の瞬間、周りの景色が変わった。


 まずい――。

 あの時と同じことが起きている。

 江戸時代の盃に触れたら、使われていた当時の遊郭に飛んでしまった時と。

 

 しかも、いま手にしているのは、妖怪が暮らしていた古い校舎の物なのだ。

 わたしが飛んだ先は、夜の校舎だった。

 花子さんの実家。

 怪談の世界だ。


 耳鳴りのようにクラシック音楽が重なっていて、キーンコーンカーンと、不気味な音色で響く始業ベル。

 襲い掛かってくるような音楽に乗って、目玉を動かすベートーヴェンやモーツァルトの肖像画が、にやりと笑いかけてくる。

 闇を裂くような女子生徒の悲鳴。

 一段ずつ増えていく校舎の階段。

 ウフフ、アハハ……と耳元で聞こえるぶきみな笑い声。

 そうかと思えば、理科室の骸骨の標本がそばにいて、カタカタと骨を鳴らして笑う。


「ぎゃああああああああああ!」

「鏡さん、看板から手を放して!」


 天狗さんの声がするけど、もう何をいってるのかわからない。

 混乱して悲鳴をあげていると、むりやり手の中からプレートが抜き取られた。


 いつのまにか、もとの倉に戻っていた。

 でも、わたしは汗だくだ。

 恐ろしいものをたくさん見たせいで、心臓のバクバクもとまらなかった。


 強制的にお化け屋敷に連れていかれたようなものだ。

 しかも、そのへんの怖いと有名なお化け屋敷以上の、本物のお化け屋敷!

 力が抜けてテーブルに突っ伏したまま、動けなくなった。


「すまなかった、鏡さん。このとおり」


 天狗さんはすぐに謝ってくれた。


「いいですけど。でも……」


 お化け屋敷がものすごく苦手なタイプではないけれど、本物の怪談ワールドは格が違う。


「眠れないじゃないですかぁ……。一人暮らしなんですよ、わたし」


 一人暮らしの部屋は、玄関のドアがしまっちゃえば外界から隔離された密室になる。

 いまは天狗さんもいるし、明るいから平気でいられるけど、一人になったら怖いだろうなぁ。

 さっき見ちゃったお化けの世界がフラッシュバックするんだろうなぁ――。

 うなだれていると、天狗さんが申し訳なさそうに、そっとなにかを差し出した。


「すまなかった。これはせめて、お守りのおふだ代わりに」





 天狗さんが渡してくれたものは、焼肉屋の株主優待券だった。

 その日は、帰ってからも怖くて怖くて、焼肉屋の優待券を抱いて眠った。

 おかげで、お化けを思い出して眠れないという最悪の事態は避けられた。


 わたしはその晩、焼肉を食べる夢を見た。





■■鏡餅子のバイトレポート③■■

●妖怪の世界でも環境破壊が問題視されている。

●妖怪も引っ越しの際は下見をする。


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息抜きに書いていたお話です。

息抜きがしたくなったらまた続きを書くと思いますが、いったんは完結です。

お付き合いありがとうございました!

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鏡 餅子の民俗学なバイトレポート 円堂 豆子 @end55

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