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『ああ、もちろん。引っ越しの際には新物件の下見は欠かせないだろうね。――というわけで、鏡さん。申し訳ないが、そこにいる花子さんを我が家までつれてきてくれないかな?』
「はい?」
『鏡さんの用事が済んでからでいいよ。その時から出勤という扱いにするから』
本日最初のお仕事は、送迎になった。
でも、妖怪の送迎っていう仕事なんて、聞いたこともないんですけど!
天狗さんは用が済んでからでいいといっていたけど、そんなわけにはいかない。
せっかく安芸ちゃんの家にお邪魔したわけだから、安芸ちゃんの部屋でコーヒーをいただいて、ちょっとくつろがせてもらおうと思ってたけど。
わたしが安芸ちゃんの部屋を出ないかぎり、花子さんも、なんとなく一緒にいるわけでしょ?
くつろぐなんて、無理!
「ごめん。わたし、バイトにいってくるね!」
早々に安芸ちゃんの家を出て、自転車置き場へ向かった。
安芸ちゃんの家も大学のキャンパスもわたしの家も、自転車圏内だ。
移動手段は、基本的に自転車。
天狗さんの家も、ここからなら自転車で二十分くらいだ。
自転車に乗りたいけど、花子さんって自転車のスピードについてこられるのかな。
歩いたほうがいいのかな。
もちろん、トイレの花子さんを引率したことだってない。
――ふつう、ないよね?
なんなら人生が終わる時まで、そんな予定は一度たりともなかったよ。
「あのー、花子さん? 自転車に乗ろうと思ってるけど、ついてこられる?」
尋ねてみた。
はたから見たら、なんにもない虚空へ向かって。
すると、ヒタヒタヒタ……とふしぎな音が鳴って、バッグにしまっていたスマートフォンのバックライトがつく。
かまいません。
お手数かけますが、よろしくお願いします。
花子さんからの返答だった。
それにしても、便利だ。
ネットって、貧富の差だけでなく、人間とか妖怪とかにも平等なんだなぁ。
知らなかった。
花子さんも、とても謙虚でいい人そう。
おばあちゃんに席を譲ったり、横断歩道を渡るお手伝いをしたりする感覚に近いというか――。
でも、まあ、そうか。
いくら妖怪とはいえ、古い校舎のトイレに住んでた女の子だから、かなりのおばあちゃんだよね。
ご老体をいたわって親切にして当然だ。
――って、この感覚で正解なのか?
「わかった、花子さん。つれていくから、なにか困ったことがあったら教えてね」
自転車のサドルにまたがって、ペダルをこいだ。
園分寺市の駅方面、天狗さんの家へ向かって、風を切った。
なんというのか、大学に入ってから毎日感じるけど、世界って広い。
「天狗さん、きましたよ」
倉にたどりつくと、天狗さんは和風高級便器を磨いているところだった。
「早いね、鏡さん。ありがとう。ちょうどこっちも拭きあがったところだよ」
立ちあがると、天狗さんはスマートフォンを手に取って、わたしの周りをカメラで映しはじめた。
「あ、いたいた。花子さん、さきほどはどうも」
画面と虚空を交互に見ながら、天狗さんが小さくお辞儀をする。
「えっ、見えてるんですか?」
「ああ。鏡さんも見るかい?」
天狗さんはそばにくるように手招きをして、自分のスマートフォンの画面を覗くようにいった。
映し出されているのは倉の中の虚空なんだけど、床の上にちょうど足が重なるような位置に、小学生の少女の姿があった。
肩までのおかっぱ頭に、紺の吊りスカート。
トイレの花子さんだ。
「どういう原理なのかな。ネットを介さなくてもカメラで撮ると見えるみたいだね」
天狗さんがそういった時。
ヒタヒタヒタ……と音が鳴って、画面に文字が浮き上がる。
違います。
いまはあなた方に見えるようにしているんです。
いつも見えると、騒がれて居場所を失ってしまうので。
昔は噂話が伝わるためには日数が必要でしたが、いまはあっというまに広まってしまうので。
「ですよね――」
切ない……。
あっというまのリツイート、拡散で、現代の情報伝達は秒だもんなぁ。
「妖怪界の環境破壊は深刻なようだね。それで、どうだろう。うちの便器は」
天狗さんが尋ねると、しばらく沈黙が流れる。
一分は経ってから、またヒタヒタヒタ……と音が鳴った。
返答に迷っていたみたいだ。
一泊二日でお試し入居は可能ですか。
すこし考えてみたいです。
住み慣れたトイレはもうすこしシンプルだったので。
現代的なトイレにも違和感があるのですが、こちらもちょっと――。
まあ、ここまでの和風高級便器に慣れている人は、そういないよね。
「どうぞ。住みやすいようにDIYをしてくれても、おれはいいけどね」
トイレのDIYか。
トイレを原形がわからないくらい飾っちゃうお家もあるって聞いたことがある。
和風庭園風にしちゃうとか。
ミラーボールをつけてライブハウス風にしちゃうとか。
でも、DIYをするのが花子さんなら、この高級和風便器が昭和初期の小学校風になっちゃうってことだろうか。
それはそれで、もったいない気がするなぁ。
「でも、天狗さん。この倉って、いずれは天狗さんのオフィスにするんですよね?」
天狗さんがこの倉を片付けているのは、起業した後でここをオフィスに使う約束になっているから――と聞いた。
物が多すぎて、全然片付いていく気がしないけど。
「とはいえ、まだ業種も決まってないしなぁ。――あ、そうだ」
はっと、天狗さんが顔を上げた。
「労働者派遣事業とか、どうだろう」
「労働者派遣事業?」
「最近は、廃校を、お化け屋敷や宿泊施設にリノベーションしているところもあるだろう? そこに花子さんをあっせんしたらいいサービスにならないかな」
「――はい?」
「アミューズメント施設は目玉になるイベントやサービスが欲しいだろう? 花子さんがいると噂になれば、いい宣伝になるよ。かたや、花子さんは失われた環境を捜している。廃校だったら、好みのトイレがそのまま残っているはずだよ」
チカチカと、スマートフォンのバックライトが点滅した。
楽しそう。
やってみたいです。
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