この時間にも慣れてきました

 気が付けば三月に入っていた。


 一日ごとに春が近づいてくるこの季節、例年ならわたしの心も浮足立つのだけれど、今年は少し様相が違う。


「フレア、今日は火曜日だね」

 にこにこ顔で同じテーブル席に座るのはリオルク様だ。

「……ええ。そうですね」


 なぜだか彼は、わたしが毎週火曜日に食堂メニューに登場するプリンを楽しみにしていることを知っていた。


 そうやって笑顔で観察をされると食べにくいのですけれど。

 察してくれ、という気持ちを込めて見つめ返すと、リオルク様はますます相好を崩した。


 このテーブル席に、わたしたち以外の人間はいない。

 ソーリアとデイジーは別の友達と席を囲んでいる。なぜなら、週に何度かは二人きりで昼食をとりたいとリオルク様が駄々をこねたから。


 まさか、生徒会長が「俺はフレアと二人きりの時間が欲しいんだ」と言うとは思いもしなかった。


「もしかして食べさせてほしいのか?」

「いえ! それは絶対にありえません」


 わたしは条件反射で返事をした。

 一番最初のリオルク様との昼食の席は、もちろんあの場にいた全員の注目の的で。


 あれ以来わたしの周りではなぜだか「あーん」が流行っている。思春期の女の子が集う寮なのだ。察してほしい。友人同士で部屋に集まればお菓子を食べさせ合うのがたちどころに流行ってしまった。


「残念」


 わたしは彼の視線から逃れるようにプリンを見下ろした。

 今日のプリンはアイスクリームが乗せられている。この組み合わせは初めてだな、と思いつつそっとスプーンですくって口に入れる。


 甘さに頬を緩めると「今度パーラーに行こうか」と声を掛けられた。


「パーラーですか?」

「最近流行っているんだろう? 百貨店の上階にあるパーラー」

「え、ええ」


 百貨店というのは新しい、小売業の形態だ。

 これまで物を買うときは衣服なら仕立て屋、鞄なら鞄屋といった風に専門に扱っている店に出向く必要があった。そのような風習を取り払い、あらゆるものをまとめて取り扱う大きな店が他国で登場した。


 それが百貨店。あらゆるものを取りそろえる形態はたちどころにウケて、ルストハウゼを席巻している。


「中産階級向けだというけれど、最近では質の良いものや、老舗が品物の取り扱いを許したりして、顧客を広げているようだね。このあたりのことはフレアの方が詳しいだろう?」

「え、ええ。まあ」


 何しろ我が家は商家なので。流通を手掛けているため、百貨店にももちろん品物を卸している。


「最近、メルデンの若者の間ではパーラーに女性を誘うのが流行っているのだとか。新しいデートスポットなんだそうだ」

「リオルク様でも興味あるのですね」


 公爵家のご子息が足を運ぶには庶民的過ぎて、わたしはつい正直な感想を漏らしてしまう。


「俺が誘うのはディティだけだ」

「いえ、別に。そういう意味では……」


「きみに面白みのない堅物だと思われたくなくて、色々と勉強しているんだ」

「なるほど。国民の関心ごとに目を向けるのも大事なことですよね」


 フロイデン家といえば、代々優秀な政治家を輩出していることでも有名だ。きっとリオルク様も大学卒業後は領地管理の他に、この国の政治に携わっていくのだろう。

 国民の生活に目を向けるのは将来に向けた勉強の一環なのかもしれない。


「うん? 国民の関心ごとというか、ディティの好きなものだから目を向けているだけだ。プリン、好きなんだろう?」

「プリンのことは忘れてください」


「結婚をしたら、腕のいいプリン職人を雇おうか。それともプリン専門店を買収する?」

「いえ。あの。別にわたしはそこまでプリンに思い入れを持っているわけでは」


 あれ。どうしてこんな話になっているのだろう。


 とにかく、リオルク様の頭からプリンを追い払わないと、彼の中で国民の大好きなことがプリンという間違った情報が植わってしまう。


「ええと。そういえばリオルク様は古語の授業はどの先生だったのですか?」

「ん?」


 結局わたしが話を逸らす方法といえば授業内容について、になってしまう。

 もっと上手い話題転換が出来ればいいのだけれど。


「ええと、その。来週ちょっとした試験があるのですが……」


 ルスト学園の試験期間は前期と後期の二回に分かれている。前期の試験は一月末に終わっていた。私の成績はというと、中の中。平凡すぎる成績である。


「ああ、小テストがあるのか」

「はい」


 そこから、わたしたちは学生らしく授業内容についての会話に移った。

 リオルク様も古語の授業はわたしと同じ先生で、そのことで盛り上がる。なんとなく、嬉しくなって、素の笑顔がたくさん浮かび上がった。


 同じ学園に通っているからこそ続く会話がくすぐったい。


「そうそう。彼は当てる生徒が読めないんだ。他の教師なら日付と学生番号がリンクしていることの方が多いから、楽なんだけど。おかげで彼の授業はいつも気が抜けなかった」


「リオルク様でもそんなことを思うんですね」

「もちろん。俺だって人間だよ?」


 リオルク様がわたしの顔を覗き込む。どこか面白がるような、実年齢よりも幼く見えるその顔に、胸の奥がとくんと鳴った。


 わたしはその胸の疼きに気が付かない振りをした。


「リオルク様はいつも完璧に見えますから」

「一応努力はしているけどね。完ぺきではないよ。結構煩悩に支配されている」

「本当に?」

「ああ。今もものすごく」


 リオルク様はなぜだか困ったように眉を下げた。


「え……?」

「いや、なんでもない。そうだ、今度一緒に勉強会をしよう。ディティの試験対策」


「え、でも。リオルク様お忙しいのに」

「生徒会室に来るといい」

「だめです。わたしは部外者ですから」


「俺の婚約者でもある。あそこは別に、生徒会の人間専用の場所ではない。そもそも生徒会は生徒の代表を務めているだけで、所属するのはこの学園の生徒全員だ。広い意味ではディティだって生徒会の人間ということになる」


「それは……かなり強引なような」

「じゃあ、別の場所にしよう」

「で、でも」

「俺は今年卒業する。だから、出来るだけディティと一緒にいたいんだ」


 卒業という言葉がわたしの胸の案外に奥に突き刺さった。


 そういえば、と思い出す。

 リオルク様は三年生なのだ。今年の七月初めに卒業をしてしまう。


 いま気が付いた事実が、存外に抜けてくれない。彼が卒業をしたら、この日常も無くなってしまうのだ。


「少しは寂しいと思ってくれているのか?」

「それは……」


 わたしはゆっくりと、ぎこちなく頷いた。

 衆人環視の中の昼食は相変わらず居心地が悪いのに、彼と話し始めると不思議と視線が気にならなくなっていた。


 そのことに、少なからず動揺する。

 今だって、きっと近くに座る生徒たちはわたしたちの会話に耳を澄ませているだろうに。そのことに注意を払うことを忘れていた。


「じゃあもう一年一緒にいるために留年しよう」

「だめです!」

「ちぇ」


 舌打ちした! あのリオルク様が舌打ちを! そんな少し粗野な仕草ですら、気品さを漂わせていて、目が離せなくなるのだ。


「冗談だよ。早く立派な大人になってディティをお嫁さんに貰うから」

「!」


 じっと見つめられてしまい、呼吸することが苦しくなる。


「そろそろ、時間だ。勉強会の予定は放課後にでもたてよう。また迎えに行く」

「あ、はい」


 そろそろ予鈴の鳴る時間だ。

 楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。


 ふと考えた内容にドキリとする。

 わたしは、この時間が楽しいと感じているのだ。


 うんと子供の頃のように、リオルク様と一緒に話をしていることが嬉しいと。そんな風に思っていることに動揺してしまった。

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