ランチのお誘い

 古語の小テスト前の勉強会は、休息日の前日に行われることになった。

 今日が楽しみなのかそうでないのか。わたしはよく分からなくなっていた。

 理由はきっと、リオルク様に対しての戸惑いが消えつつあるから。


 朝から妙にそわそわして、わたしにしては勇気を出して彼からもらったりぼんをつけてみたりもした。


 気が付いてくれればいいな、と思う気持ちとそうでない気持ちが半分ずつ。

 最近のわたしは、自分でもよくわからない感情に心を支配されることがある。


 今日の授業は午前のみで、生徒たちは寮か学園の食堂かどちらかで昼食をとる。


 デイジーたちと別れて食堂棟へ歩いていると、十字角から上級生が現れた。一年生はオーバードレスの制服で、二年生からはブラウスと丈の長いスカートという制服に代わるため、姿ですぐに学年が分かる。二年生と三年生ではブラウスを飾るりぼんの色が違うため、見分けがつく。


「あら……」


 目の前にいるのはアマリエ様だった。

 以前合唱の授業中、わたしにソロを指名した先輩が彼女に付き従うように控えている。


「ごきげんよう、フレアディーテ」

「ご、ごきげんよう。アマリエ様とお姉さま方」


 彼女以外の名前を知らないため、わたしの挨拶がぎこちないものになってしまう。


 一方の先輩方も、わたしを認めて一瞬面白くなさそうに少しだけ頬を引くつかせたが「ごきげんよう」と口々に短く答えた。


「これから食堂へ?」

「はい」

「今日はおひとりなのね」


 アマリエ様の友人の一人が付け足した。


 それは、ほぼ毎日リオルク様と一緒に昼食をとっていることに対する当てこすりだろうか。向こうは四人でこちらは一人。数で圧倒的に負けていて、上級生という精神的プレッシャーで早くもわたしは気を失いたくなった。


「あ……」

 口をはくはくと動かしていると、先輩の一人が嘆息した。


「ただの挨拶なのに、こちらがいじめているようじゃない」

「も、申し訳ありません」


 わたしは慌てて頭を下げた。


「そういうところだわ。リオルク様もお可哀そうに……」


 小さなつぶやきは、わたしをぐさりと突き刺した。


「わたくしたちも、今日は学園の食堂を利用する予定なの。もしおひとりなら、ご一緒しない?」


 アマリエ様がとんでもないことを言い出した。社交辞令なのは分かっているけれど、ここで「よろしくお願いします」と返すのは違う気がする。現に、アマリエ様以外の先輩方が息をひそめた。


 けれども、ここで断るのもそれはそれで勇気がいる。


「嫌ならいいのよ、無理強いはしないわ」

「いえ、あの嫌というわけでは」


 よもやアマリエ様のお誘いを断るだなんて、という無言の威圧に押しつぶされそうになったときだった。


「フレア」


 後ろから声が聞こえた。

 振り返るのが少し、いやかなり怖かった。


「どうしたんだ、俺以外の三年生との接点なんて無いはずだろう?」


 長い足をお持ちであるリオルク様はあっという間にわたしの側へとやってきた。

 彼はさりげなくわたしの前に立ち、アマリエ様たちの顔を順番に眺めていく。


「彼女とわたくしたちは合唱の授業が同じなのよ」

「そういえばそうだったな」


 リオルク様はすぐに納得をしたようだった。


「フレアは昔から少し人見知りでね。気にかけてやってほしい。今回の婚約のことで、外野が少々うるさく騒いでいるのも知っている」


 わたしにはリオルク様がどんな表情で今の言葉を言ったのか分からなかった。

 けれども、アマリエ様の両隣に立つ先輩方の顔がさっと強張ったのを見て、おそらく彼が険しい顔をしていたのだということを察した。


「……ええ。後輩のことを気に掛けるのも上級生の務めだもの」

「助かる、アマリエ」


 それは生徒副会長への信頼だろうか。

 リオルク様の声が、優しい気がしたことに、わたしは反応してしまった。


 嫌だな。って、どうしてそんなことを思うのだろう。

 訳もわからない心の揺れ幅に動揺してしまう。


「リオルクも食堂へ?」

「ああ。フレアと待ち合わせをしていて」

「そうなの。ではわたくしの誘いは無かったことにして頂戴」


「誘い?」

「おひとりだったようだから、昼食を一緒にどうかと誘ったの」


「そういうことならフレアの相手は俺がするから必要ない」

「ずいぶんと過保護なのね」

「彼女は大事な婚約者だ。それに、一緒に学園生活を送れる時間もあとわずかだ」


 その言葉に、アマリエ様のまつげがほんの少しだけ震えた気がした。


「ではごきげんよう」


 アマリエ様は優雅に礼をして、友人たちを促した。

 先に歩いて行った四人を見送るように、わたしたちはしばしその場に佇む。


「学園で困ったことは無い?」

「え……?」


「一応俺はそれなりに見栄えのする結婚相手らしいから。俺の婚約者になって、面倒な目に遭っていないか?」


「い、いえ。それは特に」


 わたしは顔を左右に振った。

 実際少なからず異議を唱えられたけれど、それを彼に訴えたくはなかった。わたしの不甲斐なさと弱気をさらけ出すようで恥ずかしいから。


「アマリエは理性的で公平な人間だ。彼女がきみのことを気に掛けてくれるというのなら心強い」


 その言葉の中には、アマリエ様に対する信頼があった。

 きっと、わたしの知らない二年間に培われたもの。いいなあ、と私は素直に感じてしまった。


「今日はりぼんをつけてくれているんだな」


 ふわりと、彼の手が舞い降りた。

 気が付くと、リオルク様がわたしの髪の毛をひと房持ち上げていた。


 髪の毛に感覚なんてあるはずもないのに、心の奥がぎゅっと収縮する。まるで、彼の手のひらがわたしをふわりと包み込むような、そんな錯覚に陥ってしまう。


「……はい」

「似合っている」


「……ありがとうございます」


 そっと呟けば、リオルク様が優し気に瞳を細めた。

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