第3章 アグレッシブ追走劇

1.捜索

 ツカサが糸居家のチャイムを押していたその頃、この男はツカサの部屋の玄関のベルを鳴らしていた。

「……」

 明るい電子音が数回鳴ったのち、反応がないのを知ると鯨岡はマスターキーで玄関を開けた。鯨岡は実質的にツカサの保護者だから、こういった行動にはなんの躊躇いもない。

「いないのか?」

 ドアをくぐって声をかけてもまったく返事は返ってこなかった。部屋の奥まで押しかけることも考えたがそれはやめた。どうやら本当に不在のようだったからだ。そういうことは気配でわかる男である。

 ――なんの仕事も与えていないはずだが。買い物かなにかか。

 実を言うと、鯨岡は先日ツカサから子猫を取り上げたことを少しだけ気にしていた。どんな事情があるにせよルールはルールだ。だがその理屈を押しつけたところであの子の理性が納得するとは思わなかった。最近はやたらと刃向かう態度を見せていたからなおさらだ。

 ことにとなると、自分の境遇に重ね合わせてよからぬ空想に駆り立てられている可能性もある。まさか、家出じゃないよな――と自分らしからぬ心配をして、鯨岡は懐からかなり旧式の折りたたみ式携帯電話を取り出した。

 そのとき、玄関に投げ置かれたA4サイズの封筒に目がいった。ツカサはずぼらだがこうやってなんでもかんでも廊下に捨てていくような子供じゃない。よほど急いでいたのか、なにかショックなことでもあったのか。直感的なものを感じて鯨岡はその封筒を拾い上げた。そしてすぐさまガラケーのボタンを押す。

「白蛇か」

 つながった相手――表の車に待たせてある部下に鯨岡は告げた。

「この住所と名前の人物について調べてくれ」

 そして自身はやはりツカサの部屋に上がることにした。ツカサの身になにも起こっていないことを確かめるためでもあった。



「で、おまえはどうしたいんだよ」

「え、どうって……」

 紘太の家を後にしてから、ツカサは釈然としない気持ちで街をうろついていた。仕事は終わった。だが〝終わった〟などという気持ちになれなかったのは当然だ。

 手近な公園のベンチに座り込んで、ぼんやり地面を見つめているとクサナギが尋ねてきた。

「どうしたいんだって訊いてるだろ。さっきから黙りこくりやがって。そういうニンゲンのフリーズ癖が効率悪くてイライラすんだよ」

「……あたしにもわかんないよ。ヘンな気持ち……」

「あの紘太ってヤツと親しかったのか?」

 ツカサは首を横に振った。

「学校で何回か話しただけ。友達でもないし、下の名前もすっかり忘れてた」

「じゃあ警察に任せておしまいだな。糸居紘太の母親はすぐに警察に通報するって言ってただろ。この国の優秀なおまわりさんに全権委譲で俺たちは帰ろうぜ」

「……」

 ツカサの中のモヤモヤは、紘太と親しいかどうかとは無縁のものだった。気になったのはあの不自然な宅配便のトラックのことだ。荷物を持たずにチャイムを押したドライバー。タイミングよく揺れた荷台。

 そしてもうひとつ、紘太がベランダから部屋を抜け出したという事実が引っかかっていた。ツカサは自分ならどうやって下に降りるだろうかと考えた。ロープやはしごを使うのが一般的だとは思うが、そういった形跡はベランダのどこにもなかったように思えたのだ。どんな道具を使うにしろ、その痕跡を消すにはある仮説が必要になる。

 〝協力者〟の存在だ。

 逆に協力者さえいれば、道具はなくても下に降りられるだろう。しかしその相手は〝協力者〟などという生易しい存在なのだろうか。やはり紘太は誰かに連れ去られたのではないか。その思いがツカサの脳裏に焼き付いて離れなかった。

「まずいのは窓の鍵が開いてたってことだよな」

 クサナギは妙なことを気にしていた。

「あれじゃ糸居紘太が自分で部屋を抜け出したって見なされる。そしてオレの検索した限りじゃ、失踪事件の九〇%以上は事件性なしの単純失踪、いわゆる〝家出〟だ。警察サマもそう考えるだろうなァ」

「あんたなにが言いたいの?」

 ツカサにはもうひとつの引っかかりがあった。それは警察への不信感だ。警察が弱者のためにほとんどなにもしてくれないことは身をもって知っている。そして彼らは地域にとって〝異質〟な者へはあからさまに対応が悪い。

 ツカサの外見や出自の不確かさは警察にとって格好のターゲットだった。もう何回街なかで職務質問されたか数え切れない。警察が、家出したっぽい引きこもりの高校生のために、人手を割いて捜査網を張ってくれるだろうか。

「こういうときってさ、やっぱ聞き込みからだよね!」

 ツカサは立ち上がって、宣言するような口調で言った。

「おー、やる気になったな。それでこそオレ様の運転手だ」

「こら誰が運転手よ。あんたが履かれてるだけでしょ」

「どっちにしろ面白くなってきたぜ。ツカサ、おまえは運がいい。聞き込みなんて前時代的な捜査方法は時間の無駄だ。おまえにはオレ様がついてるんだぜ? 史上最強の人工知能がこの事件を鮮やかに解決してやる」

 クサナギは完全に名探偵のノリになっている。ちょっと調べただけで万能感たっぷりになってしまうところがいかにもネットっぽい。なんだかんだでこいつは生まれたばかりの子供なんだな、とツカサは微笑ましい気持ちになった。

「で、どうすんの」

「クックック……名づけて、〈リレー・ストーキング戦術〉だ!」

「……なんかまた犯罪の臭いのする言葉がくっついてるんですけど」

 しかしツカサはおとなしくクサナギの説明に耳を傾けた。

「さっきやった防犯カメラの応用ワザだ。まずあのトラックが糸居紘太を連れて行ったと仮定して、その行方を捜す。トラックはあのあと東に向かって走っていったな。当たり前だが、その姿はすぐにカメラから消えちまう」

「あ、わかった。その先にも別の防犯カメラがあるから」

 クサナギは靴紐の先端をひょいっと回した。彼なりの感情表現なのだろう。

「ご名答だ。たまに賢くなるなおまえ。画面から抜けていった方向の防犯カメラを次々にジャックして、同じ車が映っているものを抜き出し、追いかけていくんだ。角度によってはナンバーもわかる。そうなれば、画像検索で対象を特定するのは朝飯前だ」

「へへーん、あたし知ってるよ。渋谷のハロウィンで大暴れしたやつを捕まえるのに同じことやったんだよね。〝ソーサイッカ〟とかが使うヤツだ」

「ぬ……」

 急にクサナギの反応が鈍くなった。

「キサマ撤回しろ。オレが捜査一課の戦術をパクっただと!? これはオレがこの頭脳で編み出したんだ。たとえ結果が同じでも、オレの思いついた過程の方が尊い!」

 そう言ってクサナギはツンとすねる。ブーツが紐で表現してるだけなのに、なんでこんなにわかりやすいのかとツカサは感心してしまう。

「ごめんごめん、そうだね。クサナギのヤツの方が絶対すごいよ。断然スピードが違うもんね」

 ツカサはこちらもわかりやすくおだててみた。

「ま、まあな……」

 一瞬で機嫌が直る。こいつ本当に人工知能なんだろうかとツカサは呆れた。反応がたまごっち並みにストレートだ。

「オレのすごいところはな、おまえがここでモジモジと小便を我慢してる間に、すでにトラックの所在まで特定しているところだ。まさに神速!」

「へ? あんたまた勝手に防犯カメラ覗き見てたの?」

「言葉遣いに気をつけろよツカサ。オレにとってはあんなものはガラス張りだ。隠してないものを見てもなんの罪もないね」

 ツカサはそれで納得した。実はクサナギも紘太を捜しに行きたかったのではないか。だから自分を焚きつけるような態度を取ったのだ。コンピューターにとっては、問題を解くような感覚なのかもしれないが、少なくともツカサと〝彼〟とで向いている方向は同じだった。

 ――あとは前に進むだけ。

 ツカサは頷いて、ベンチに置いたデイパックを颯爽と背負った。

「あ、でもその前にトイレ。なんかあんたの例えのせいで急にしたくなっちゃった」

「ケッ! 喰って出すしか能のない有機体が……。さっさと行ってこい」

「なに言ってんの。あんた足にくっついてんじゃん。ブーツ脱ぐの面倒くさいし」

「ハァ!? ま、まさか俺も連れて行くつもりか!? あんな不浄な雑菌の温床へか!? ふざけるな、おまえのがかかったらどうする!!」

「かけるかぁ!」

 ツカサは叫んでから耳まで真っ赤にした。なんでこんな恥ずかしい漫才をしなければならないのか。本当にマイペースで小憎たらしいヤツだと思った。

 しかしそのおかげで少し心が落ち着いたのも事実だ。独りだったらこんな風に行動を起こす理由も見つけられなかっただろう。ツカサは左足に宿った奇妙な〝生命体いのち〟に心強さと親近感をおぼえはじめていた。

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