2.進化

「む、むぐぅ……なんという屈辱だ。こ、このオレ様がニンゲンの排泄物集積所などに連れて行かれるとは……。オレに嗅覚がないことがせめてもの救いだ……」

「いつまでぶーたれてんの? ヘンに意識しちゃうからやめてよね」

 ツカサとクサナギは街の郊外にある自動車リサイクル工場の前にいた。見晴らしがよく周りが畑ばかりの場所だった。逆に隠れる場所がないので、なんとなく散歩を装いながら工場の周りを走っている。

「中の様子とかわかる?」

「……いや。ここは金属が多すぎて音波が跳ね返される。だがサカモト急便のトラックが夜の十二時頃にここに入ってから、そのままなのは間違いない」

 ツカサの中でいやな予感は膨らんでいった。これで例のトラックが宅配便とは無関係のものだというのがわかったからだ。ニセの宅配便が紘太の家の前をうろついていたというのなら、紘太の失踪にはがぜん事件性が帯びてきたことになる。

「入ってみるしかないかもね……」

 そう言うと、急にクサナギは骨伝導モードになった。

『おい気をつけろよ。でもどっから入るつもりだ?』

「ここ」

 ツカサはフェンスの下の隙間を指差した。古い工場らしくトタン製のフェンスはところどころ破れ目ができており、子供ならくぐって入れそうなところがいくつもあった。ツカサはその中から手頃なものを見つけておいたのだ。

『マジかよ~。そんなとこ通ったら絶対傷がつくじゃねーか。だいたいおまえのデカ尻じゃつっかえるって』

「失礼な! だいたい肩幅の広さがあればなんだかんだで通れるもんなの」

 ツカサは先にデイパックを穴に押し込め、それから腕を穴に突っ込んだ。あとは身体をひねるようにして器用にトタンの穴をくぐっていった。おしりがちょっとだけつかえて音が鳴ったので一瞬焦ったが、タイミングよく風が吹いてかき消された。

『あっぶねーなー。でもまぁ、認めてやらんでもない』

「ま、猫とか探してあっちこっち回ってたからね~。これくらい余裕余裕」

 敷地の中は閑散としていた。サビの臭いが強く、目に見えるものもだいたいが茶色く変色している。平日だが工場が稼働している様子はない。というか、もともと営業している場所なのかどうかも怪しかった。

 ――どっから探したらいいんだろう。

 ツカサが逡巡していると、クサナギが声を上げた。

『隠れろ! なにか来るぞ!』

 ツカサは咄嗟に建物の陰に身を隠した。しかしどこからなにが来るかわからないので、姿勢を低くしてその辺にあったクズ鉄の陰に隠れた。

『あれか……』

 一台の自動車が工場内の建物から出て行った。それは民家の物置くらいの小さめのコンテナを積んだトラックだった。それが工場の正面搬入口から堂々と去っていくと、この場所はしんと静まり返った。

「誰もいなくなったみたいだな」

 クサナギが普通に音声で喋っているので、ツカサも胸を撫で下ろした。

 だが、はっきり言って楽観的な状況ではない。

「誰もいなくなっちゃダメじゃん! 糸居くんを捜しにきたんでしょ?」

「それもそうだな。しかし今出て行ったのは昨日の宅配便じゃない」

 ツカサは途端に不安になった。結局クサナギの言うことを信じて来てみたはいいが、全部いい加減なでっちあげだったのではないか。

 昨日のサカモト急便に紘太が乗ったという確証もなく、その配達トラックがこの工場に入ってきたというのもクサナギがそう主張しているだけだ。監視カメラを覗き見る能力についてはツカサも確認しているが、そもそも警察の捜査のプロが使う手法を、こんな民間会社のAIに真似できるのか?

 なんとなく騙されたような気分になって、ツカサはその辺をうろつきはじめた。無人の工場というのは子供心が刺激されてわくわくする。不気味な廃材や見たこともない重機が至る所に置いてあるが、どれもサビだらけで最近まで動いていたようには見えなかった。

 ツカサは先ほどトラックが出発した建物に近づくと、それなりに慎重を期して、そっと中を覗き込んでみた。その瞬間、ツカサの中の疑念は風のように消え去った。

「あ、あれって……!」

 そこにはサカモト急便の配達車が無人のまま置かれていたのである。

「なるほど、ここで車を変えたわけか」

 クサナギは妙に冷静だった。この人工知能だけは、これが失踪事件であり拉致事件であるという確信を崩していない。

「でもさ、故障したから修理したかっただけじゃ……」

 と言いかけてツカサは口をつぐんだ。ここはリサイクル工場であって整備工場じゃない。これが事件ではないという都合のいい理屈を、彼女は知らず知らずのうちに探していた。

「こいつはカムフラージュだ」

 淡々と指摘するクサナギ。配送車の後ろのハッチはどうぞご覧くださいとばかりに開きっぱなしにしてあった。そこに回り込んだツカサはぽかんと口を開けた。

 そこには山積みになった段ボール箱があった。どれもが配達されるべき荷物だった。しかしそのどれにも宛名がない。持ってみると、中身が空だということがわかった。段ボールは窓のあたりを中心に、中を隠すように積まれていて、丁寧にもテープで位置がずれないよう固定されていた。

「ここに誰かいたな」

 荷台の中には、スティックタイプの栄養補助食品の袋が落ちていた。中が揺れたせいだろうか、落ちた食べ物のカスが目立った。連れ去られた紘太が食べたものなのだろうか。

 あらゆる証拠が積み上がってゆく。入念にカムフラージュされた積み荷と、この車が不自然に運び込まれたこの状況。そして無人の工場から走り去っていったコンテナトラック。

 となると、状況はかなりまずいことになっている。

「あらかじめここに用意してあった車に乗り換えて移動を開始したということか」

 ツカサはもはや頷くしかなかった。

「ど、ど、どうしよう……! 早く追いかけないと……!」

 とはいえ、移動の手段はなにもない。唯一ここに残されているのは宅配便のトラックだけだ。それを運転できたらいいのに――。

「ツカサ、右のローラーブレ……じゃねぇか……とにかくそっちのスケート靴を貸せ」

「え?」

 クサナギが紐を伸ばして催促するような仕草をする。

「いいからオレのボディとふたつ並べて置くんだ。そしたらあのトラックを追いかける〝足〟をくれてやる」

 ツカサは理由を尋ねるより先に、とにかく両足を揃えてみた。

「ああ、もう、じっとできねーのか!?」

 インラインスケートはただ立っているだけの状態が意外ときつい。しかも車輪を平行にすればどちらかに回ってしまうから、直立時にはあまり〝気をつけ〟の姿勢はしない。ツカサはその場に座り込んで、体操座りをするように足を投げ出し、ふたつのブーツをぴたりと並べた。

「よし、いいぞ」

 クサナギはシューレースを引っ込めた。その代わり、左側の車輪から銀色の光る糸のようなものがたくさん伸びてきた。なんだか蜘蛛が吐く糸のような――。

「な、なにこれ!」

「あー、いいから動くな。オレのカラダの一部を切り離して右側の車輪を機能的に同期させる。実はこいつは奥の手だったんだ。オレの中の予備電力を使いきっちまうことになるからな」

 なんのことかわからない。ただ目の前で起きているのは神秘的な光景だった。銀の光が右側のブーツに移動して、その中で白っぽい線香花火のようなパチパチを起こしている。

「もしかして、右の足でも喋れるようになるの?」

「それはない。オレ様の頭脳を維持するためのシステムは移行不可能だ。これは単に左右の車輪の機能と重量の割合を等しくしているに過ぎない」

「あー、そう……」

 しかしツカサには思い当たる節があった。クサナギが喋るようになってからというもの、左足のブーツが若干重い感覚があったのだ。それは〈KUSANAGI〉が本来持っている重心可変機能の不具合によるものかと思っていたのだが、実際に少し重かったのかもしれない。

 となると他の疑問も湧いてくる。自分の左足のブーツは、AIとしての機能がスマホの更新のように目覚めたわけではなく、なにかそういう部品がくっついてこうなったということなのだろうか。

 そう考えると俄然ホラーな気持ちになった。いったい誰がどこで自分の靴にそんな細工を施したのか。寝ている間に自分の部屋に侵入した誰かがいるのではないのか。

「終わったぜ」

 ツカサはハッとして足に目を落とす。しかし左はおろか右のブーツにも目立った変化は見られない。

「よし、もたもたせずにすぐ行こうぜ。早くしないとオレの機能でも見失っちまうからな!」

 立ち上がって軽くブーツを転がすと、それまでの左右不揃いだった違和感はなくなっていた。走り慣れた相棒の感覚が戻ってきたことで、なんとも言えない喜びがある。

 だがそれ以上に胸を占めているのは不安と、これから起こることへの得体の知れない緊張だった。なにしろ――

 ――追いかけるって、まさかこのスケートで走れってこと?

「いくぜツカサ! おまえは今日から〝高速探偵〟だ! さあオレを運んでいけ!」

「は?」

「え? なんだよ」

「なに探偵?」

 なんかえらくダサいネーミングのせいで、それまでの緊張が台無しだ。

「いいから行けよ。ちなみに時速三〇キロまでは自力で漕げよ」

「……」

 意味がわからないが、とにもかくにも進むしかなさそうだ。ツカサは歯を食いしばって最初の一歩を踏み出した。いま頼りになるのは、なにか奥の手がありそうなこの珍妙AIだけなのだから。

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