希望が育む


 以来わが国の王冠は、その世界一安全な場所に常置されております。


 そういえば陛下、あれほど嫌がっておられた暑苦しいマントも、最近はピッチリ前を閉めてお召しになっているようですが。


「ん? ……ああ、コレか」


 畏れ多くも臣は、陛下のお召物の隙間を凝視しておりました。


 けれど寛大なる陛下はお咎めになることもなく、フワフワのファーを摘んでチラリとお捲りあそばします。


 するとその下の玉衣は、袖も脇も大胆に切り落とされた――ほとんどネクタイのような形状になっていたのです。


「コレ、すごい開放感あってヤミツキになるんじゃよ。画期的じゃろ?」


 ネクタイのみ着用のクールビズ、画期的過ぎます。


「ときに、宰相よ。そなたにちと、尋ねたき儀がある」


「はっ、何なりと」


 ここだけの話ではございますが……。

 陛下のマントのうちにチラ見えした、冷却シートらしき物の姿が臣の目に焼き付いて離れません。


「わが妃が最近、儂のおらんうちにこっそりどこかへ出かけておるようなんじゃ」


「なんとっ!?」


「城からは出ておらんようじゃから、厨房につまみ食いに行っているのではなかろうかと考えて、裏口で張ってみたんじゃが……」


 陛下じゃありますまいに。


「して、如何いかがにございましたか」


「うむ、丁度良い具合にウサギパイが焼き上がったので、シェフに勧められるまま試食しとるうちに見失ってしもうた」


 何の張り込みをしとったんですか!


「さすれば陛下、ということは、殿下は厨房の近くへはお越しになられたのでしょうか?」


「うむ」


 ほほう。さすれば厨房の裏口には薬草園。その前の小径こみちを奥へ辿れば薔薇園ばらえん、そして反対側へ行かば現在地の庭園回廊……。

 王宮の薔薇園といえば、周囲を高い庭木に囲まれた不倫カップル定番の逢引デートスポットにございます。


 そして自発的かつ必要以上に詳細なこの説明。

 これは、矢張やはり……。


「畏れながら陛下、王妃様について、他に何かお気づきのことはございませんか? 例えば、服装の好みが変わられたとか、お化粧の趣きが変わられたとか……」


「うむ……? 変わったといえば、以前よりもスキンケアに気を遣うようになったそうじゃ。姫様もそういうお年頃かのう」


 嗚呼! 何とお気の毒な陛下であらせられることか。

 王妃並びに姫様のたぐいは、何年経っても決して劣化することなくフリフリピンクのドレスが許される存在にございますれば、それは年齢に応じたスキンケアの見直しにはあらず。


 そうこうするうちに、くだんの薔薇園が遠方に見えてまいりました。


「……陛下? そちらではございませんよ。まだ午餐ランチにはいささか早うございますれば」


 そう、この道を行かば、厨房の前を避けては通れないのです。

 犬の散歩よりも厄介な。


「すんすん。この香り、ヒメ……」


 はっ、まさか、王妃様のオーデコロンの香りなどが!?


「ヒメドラゴンの頬肉赤ワイン煮込み! ぅじゅるるる」


 御見事な推理。

 肉の種類まで嗅ぎ分けられるとは、さすが陛下にあらせられます。


 その時、周囲を窺いながらコソコソと庭の奥へ向かう女性の姿が目に入りました。


「うむ? そなた、こんなところで何をしておるのじゃ?」


「こっ……、これは陛下……!」


「よい、面を上げよ」


 女は刻まれたしわ憂慮ゆうりょの影を落としながら顔を上げました。

 王妃様付きのばあやです。


「ところでばあや、姫様見なかったか? 朝早くから、どっか出かけてしもうたようなんじゃが」


「いぃっ!? ……いえ、それは……。ば、ばあやは只の婆にございますれば、そのようなことをお尋ねになられましてもオホホホホ」


 王妃様のお世話係のばあやに尋ねずして、一体誰に尋ねろと。


 貴人の逢引とは、いにしえより従者かばあやが仲介するものと相場が決まっております。これは増々ニオイまするな。


 あ、いえ、赤ワイン煮込みの匂いではなくて。


「ばあやさん、隠し立ては為にならぬぞ。陛下の御前に、包み隠さず――」


「あ。姫様みーっけた!」


 叶うことならば、陛下には見苦しいものなどご覧に入れず、臣が裏から手を回して穏便に済ませたかったものにございます。こうも簡単に現場に立ち会ってしまうとは。


 そう、王妃様はちょうど、薔薇園の向こうへと身を隠されるところでした。

 人目につかぬ植え込みの陰にしゃがみ込み、ゴソゴソとなさっている御様子も、何やら手慣れたものとお見受け致します。


 この一年、陛下の御留守を良いことに、他の男と愛をはぐくんでいらっしゃったとは。

 陛下に対するこの裏切り、王妃様とはいえ断じて許されませぬ!


 王妃様は白い御手で、目の前にぶら下がる太く立派なるモノを、さも愛おしげに撫で回されました。

 そしてそれを握りしめると、根元からブツっと――


「ひいいいぃっ、姫様! またそのようなことをなさって!」


 くっ……。不覚。耳がキンキン致します。

 さてはばあやさん、その正体はマンドラゴラであったか。


「あら、ばあや。まあ、それに陛下と、宰相まで。ご機嫌麗しゅう」


 振り向かれた王妃様は、悪びれることなく優雅にお辞儀なさいます。


「うむ。姫様、近頃あまり見かけぬと思ったら、こんなことをしておったのかね」


 陛下に問い詰められ、王妃様はとうとう白状なさいました。


「だって、この一年……、陛下がいらっしゃらないものでしたから。なんだか、手持無沙汰で……。それで、趣味で家庭菜園を始めてみましたの」


 その右手には、太くて立派なキュウリが握られておりました。

 どうやら王妃様は、野菜を育んでいらっしゃったようです。


「はしたないからおやめくださいと、あれほど申しましたのに! ばあやは情けのうございますよヨヨヨ……。申し訳ありません、陛下。婆は万死に値いたします」


「うむ、カマ〇ヌよ」


 だから、それやめい。


「儂だって散々外で遊んできたんじゃ。姫様だって、好きにしたらよかろう」


 それ、何か違う意味になってませんか?


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