雲竜風虎


 城へ帰る途中には、大きな広場がございます。


 その中央には、有難くも陛下の銅像が。これは拝んでおかねばなりますまい。近所のお地蔵さんと同じです。


 ここを通るたび、臣は思い出すのです。


 およそ10年前――戴冠式を終えられた陛下の、威風堂々たるあのお姿。

 そして、すぐに狩猟に出掛けると暴れわめく陛下をなだめすかして銅像を造らせた、あの苦労の日々……。


 そんなこんなを胸に思い起こしながら見遣れば、銅像には何やら紅白のたすきが――


『王様やる人、この笏とーまれ!』


 この文言……。陛下の御戯れを真に受けて実行するとは、これもあの宰相(仮)の所業か?


 さてその王笏おうしゃくには、鳩が一羽とまっておりますが。あれは立候補者でございましょうか。


 あっ、畏れ多くも、陛下(銅像)の頭上にまで居るではないですか!

 この銅像は鳥獣類の公衆トイレにしてはならないと、あれほど厳重注意しておいたのに。


 おのれ宰相(仮)め、職務怠慢なるぞ!



 銅像の足元では、何やら小さな子供がぴょんぴょんしております。


 嗚呼、わが国にもまだ良心が残っておりましたか。あのように幼気いたいけなる子供が、懸命に不遜な鳩を追い払おうとは。


 とはいえ、台座もありますから到底子供の背丈では届きませぬが。


「ボクは! 王様に! なるんだっ!」


「少年、そこで何をしているのですか?」


「王座を狙っているの」


 不穏な物言いですね。


「この杖にとまったら、王様になれるんでしょ?」


「いえ。コンテストへの参加は、王城でエントリーしてください」


「そうなの?」


「ちゃんと高札を読みなさい」


「難解用語が多くてわかんないんだもん。なんでお役所って、何でも婉曲迂遠えんきょくうえんな言い回しにするの? そんなことしたら、誰も読まなくなるよ」


 くっ……。耳が痛い。


「大人の事情です」


「どうせ、草茅危言を怖れているんでしょ。そんなだから、この国歩艱難を招くんだよ。撥乱反正のためには、民草の理解も得るべきじゃないの?」

草茅危言そうぼうきげん=国政に対する民の批判、国歩艱難こくほかんなん=国の危機、撥乱反正はつらんはんせい=乱れた世を正す)


「難解の基準とは……」


「子供の都合です」


「して、少年。わが国が危機に瀕していると申したが、何か知っているのですか?」


「ボク、お城のメイドさんから聞いちゃったんだ。王様は病気でお休みしてるって言われてるけど、ホントは悪い宰相に騙されて殺されたんだって」


 臣は思うのです、メイドの言う『ここだけの話』の『ここ』とは、かなりの広範囲を指すのではないかと。


「少年、そこは『幽霊ゆうれいにされた』ではなく『幽閉ゆうへいされた』ですよ」


「ボク難しい単語わかんない」


 くっ……。


「して、サイゾー。身代金の要求は?」


 いえ、陛下。『誘拐ゆうかい』ではございません。これ以上脱線させないでください。


「ボク逆探知ならできるよ! 学校で習った!」


 最近の学校教育とは……。


「あと、張り込みと尾行も練習した!」


 何の学校?


「それで……ボクは知ってしまったんだ、この国の宰相の悪事を」


 なんと。あの宰相(仮)、矢張やはり悪者であったか!


「少年。その話、詳しく聞かせなさい。宰相(仮)の悪行の数々、ここにすべて暴露するのです!」


「うん。宰相は公費で出張とか言って、個人的な旅行を楽しんでいるらしいよ」


 それはけしからん!


「あと、公金を使い込んでいるらしいよ」


 益々ますますけしからん!


「城内の宝箱を片っ端から開けて漁っているところを、メイドさんが見たんだって」


 なんと、城内の宝箱にまで手を付けたか! はて、しかしそれは確か臣が――ぎくうっ!?


 いえ、あれは宰相として宰相らしく世界を視察していたのであって、別に旅を楽しんでいたものではございません。決して観光をしていたとか、山海の珍味に舌鼓を打っていたとか、そういうことではございません。旅行とか冒険とかではなくてれっきとした出張にございます。宰相たる臣の業務の一環にございますれば、公務として励んでおったに過ぎませんからっ!


「……このままだと、この国はダメになってしまう。だから、ボクが王様になってこの国を良くするんだ!」


 少年が小さなこぶしを握った時、近くを通り過ぎたる子供らが嘲りの笑いを投げかけました。


「あいつ、まぁた言ってら!」


「へッ、お前なんかに何ができるってんだよ?」


「やっぱり……ボクじゃ、無理かなあ?」


 意気消沈した少年が足元を見下ろすと、突如そこからジェットエンジンが噴射したかの如く、体が宙へと浮かび上がりました。


 慌てた少年が咄嗟とっさに掴んだものは、銅像の持つ王笏の下端にございました。


「案ずるな、少年。勇気があれば、何でもできる!」


 少年の両足をつかみ、勿体もったいなくも御肩にお載せになる陛下。その御姿を、夕日が温かな色に染め上げます。

 二人はひとつの長い影となって、遥か大地の先を示しました。


 でも、傍目にはハラハラするから早めに降ろしてください。


「ありがとう、おじさん。次期国王に、ボクはなる!」


「あっ、これ! そのように無礼な口の利き方を」


「じゃあボク、お城に行ってエントリーしてくるね! バイバーイ!」


 夕日へと駆け戻って行く少年に、届かぬ声で陛下は仰せつけられました。


「負けるなよ、小さな勇者」


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