~そして月日は流れ~

伝説の勇者、ふたたび


「遅いぞサイゾー! 早く早くぅ!」


「ひぃーん! 臣は……、臣はもうダメにございます。ユッケ様、臣のことなどお構いなく、どうかお捨て置きくだされ……」


 険峻なる山の頂を目指して、主従は進んでおりました。


 ときは早朝。辺りのまだ薄暗い中を、凍える手足を鼓舞して上へ上へと。

 左様、へではなくへ、でございます。

 登山というより、もはやロック・クライミング。


 断崖絶壁をものともせず、陛下はあたかも蜘蛛男スパイダーマンの如く縦横自在にあそばされます。

 その後を、えっちらおっちらとよじ登る、臣の無様ぶざまなこの有様よ。


 それとも慈悲深き陛下の御手元には、愚臣には見えぬ御釈迦様の蜘蛛の糸など垂らされているのでしょうか……?


「何を申すか、軟弱者! こないだは一緒にシーサーペントを倒したじゃないか!」


 いえ、それは陛下お一人で。臣は船酔いしていただけです。


「それに、その前はバジリスクも!」


 目を瞑っている間に終わっておりました。


「あの蒲焼かばやき、ウマかったなあ」


 はい、美味でございました。


 その時です。

 尋常ならざる羽音が、あかつきの空に響き渡りました。


 たちまち暴風が巻き起こり、臣は飛ばされまいと目の前の岩にしがみつきます。

 ちらと見えたのは、巨大な翼竜の影――


 颯声さっせいが臣の耳を掠めました。


「サイゾー、そのまま岩にへばりついてろよ!」


「御意!」


 いえ、動けと命じられても動けません。


 固く冷たい岩肌をひしと抱きしめ、きつく目を閉じて、濃厚なチーク・キッスに専心していた臣の耳に、不穏なる御言葉が届きました。


「あ、しまった」


「……ユッケ様!? 如何なされ――ヒョエエエエエエッ!」


「サイゾーくん、下見たらダメ! 上見て、上! 上を向いて登ろうよ! 頂上もうすぐそこだからさあ」


 いえ、臣はもう、涙がちょちょぎれそうです!

 二人ぼっちの朝、あの空の上に幸せはありますか!?


 臣の遥か頭上におわしました陛下が、先程のわずかばかりの内に如何にしてそのような場所にお出ましになったのか……今は考えますまい。


 主君より高いところに居る非礼を、どうかお赦しください。

 けれど臣には、どうしようもないのです。


「あ、サイゾーくん。その上、ちょい右にずれたら休憩ポイントあるよ。右手もっと横に伸ばして」


「ひぃーん! そんなこと仰せられましても、手離したら落ちますからあ!」


 さすれば、臣は身を低くして陛下にお詫びすることもできましょう。

 けれどその直後には、V字回復のようにずっとずっと高いところへ行ってしまうことになると思うのです。


 だってこれもう、絶壁。もはやえぐれる勢い。

 いや、真実抉れて……?


「そうそう、そこの窪みに手かけて。そんで次、足! あ、もうちょい右! そこで一気に身体を持ち上げる!」


「ぬぅー! 雲外蒼天!」


 ここで応えられずんば、何のための宰相サイゾーか。


 絶壁にひしとしがみ付き、探り当てたる突起をしかと握りしめ、上へ、上へ。

 頂は、少しずつなれど確かに近づいておりました。


「いいぞ、サイゾー! その出っぱり乗り越えたら、休憩ポイント!」


「はっ!」


 最後は畏れ多くも、陛下に後ろから押し上げて頂き、出張でばった岩の上へと尻を落ち着けました。


 ようやく足場を得て人心地つく臣の隣へ、たちまち陛下もお見えになります。

 そうして仰せになるのです。


「いやぁ、うっかりワイバーン倒しちゃったよ」


 陛下は少し日焼けした玉顔を、ポリポリとお掻きあそばされました。


「ま、大丈夫っしょ。あのクラスだとだいたい三段活用だから、そのうち谷底から復活してくる」


「はぁ……? こ・き・く・くる・くれ・こ?」


「それ何の呪文よ、サイゾーくん。ふざけてるヒマなんてないんだけど」


 いや、陛下が仰せになられましたんでしょうが。


「んじゃ、ラストスパート。ちゃちゃっと残り、登っちゃおうぜ!」


「はぁっ!? ワイバーン倒したのなら、もうよろしいのでは?」


 だってコレ、登ったら降りなきゃならんのですよね?

 降りるほうが絶対怖いやつですよね?


「行くぞ、サイゾー。後れをとるな! ゴールはすぐそこだ!」


「えぇー、もう帰りましょうよおおおぉー」


「ほらほら、急いでサイゾーくん! あと少し、負けないで!」


「無理ですよぅ。臣は、城の塔より、高いとこ、なんて、登ったこと、ないんです、からぁ……」


 断崖をよじ登っていた臣の手は、ついに垂直から水平へとその向きを変えました。


「つ……、着いた……っ!」


 崖の上へと重い身体を引き摺り上げると、もはや立っていることもままならず、陛下のお側へガクリとひざまずきます。


「サイゾー、おもてを上げよ」


「へっ? ……ははぁっ」


 如何に疲れ果てていようとも、主君の命令は絶対です。

 臣は汗水滴る顔面を、えいとばかりに持ち上げました。


「こっちじゃない、あっちだ」


「は?」


 仰せのままに、臣はこうべを巡らせます。


「見ろ」


 その時、臣は確かに見たのです。

 陛下のお示しになった彼方の山のから、黄金の光が生まれ出づるのを。


 溢れ出した光は澄んだ空気に沁みわたり、やがて世界すべてを吞み込みます。


 そうして綺麗に洗われたところへ、新たな太陽が現れて――


 臣は寡聞かぶんにして、今の今まで存じませんでした。

 小さき者共の知らぬうちに、その遥かに高きところでは、こうして毎朝、壮大なる洗濯が執り行われていたのだとは。


 真新しくなった世界は、ただ清浄なる光満ちて、くも美しく輝くものだとは。


「あんまり長いこと見てると、目が痛くなるぞ」


「はっ、恐縮です」


 サングラスを陛下より拝受し、装備した頃には、晴渡る空の下、臣の双眸そうぼうもまた、湧き出づる雨に洗われておりました。


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