第59話 シアワセ

「お〜い、藤助。明日明後日と海が荒れるらしいぞ、どうする?」


「いつもみたいに干物と塩漬けで対応する、と言いたいところだけど、常連さんが去年の同じ時期に買う量より少し多く買っていくせいで在庫が危ないんだよなぁ」


「そうそう、それなんだよ。おまけにアワビも入荷しないとなったら売るもんねぇぞ」


 海に焼けた小麦色の肌の二人の青年が、快活に会話をしている。その光景を遠くから見つめているのは、他ならぬ彼らの常連客である。


「アワビの潜り漁ができないんなら、確かに売るもんはねぇなぁ。どうする? 来年は塩干モノを多めに発注しとくか? でも、来年になにがあるかわからんからな……あ、お客さん」


 薄暗い雲が水平線を覆い始めた海から目を逸らすと、常連客の女性が視界に入る。つい先ほど、客の買い占めで品薄だと非難しているような口ぶりをしたことが脳裏にありありとよみがえり、藤助は見るに耐えない狼狽えようで二の句も告げられなかった。見かねた彼の商売仲間のが、代わりに受け答えをする。


「どうも、いつもお世話になっとります。すみませんが、今日は珍しいものは売っておりませんぜ」


 歩いてきて藤助の隣に立ち、肘で藤助の横腹をこづきながら茶化すのも忘れなかった。


(お前はいつもいつも失言を後から思い出して落ち込むよなぁ。言ったその瞬間はなんにも考えてねぇ癖に)


(うっうるさ)


(この間のは傑作だった。乾飯ほしいいのように長続きする関係でいたいって、なんだそりゃ)


「やめろよ!」


 堪えきれず大声を出してしまった藤助に、常連客は海の方を振り向いた。


「あっいえ、なんでもありませ……」


「あら、また気絶?」


 常連客のほうも慣れたもので歯を見せて苦笑いするだけだった。


 その笑いが少しだけ——ほんの少しだけ澱み、凪になり、嵐を告げる重い風が無慈悲に湖面を揺らした。


「お客さん……?」


「……ごめんね。今日は、買い物をしにきたわけじゃないの。お別れを、したくて」


「お引越し、ですか?」


 西国での気配があるという噂があった。そして彼女は、いつも海沿いのいちに一人で来る。海の男は人遣いが荒く力も強いから、近づかないほうがいい。二人は何度もそういって彼女を嗜めたが、彼女は聞かなかった。商人の分際で客の行動を支配するわけにもいかず、彼女は両家の姫で遠巻きに護衛が見守っているのだろうと納得させてはいたが


 もし彼女の家筋が、西国のいくさのどちらかの陣営についていたら——あるいは、勝敗が既に決しており敗走の覚悟を伝えにきたのなら。それは、彼女に想いを抱く、藤助の寝ている間にすべき話じゃない。


「干しカレイを売ってくださる? とびきりの上等品を。京の都で売り捌いてくるわ」


「買い物にきたわけではないんですよね?」


 責めるような口調になってしまった。はぐらかされたと思った。でも、藻塩はそのことを悔やまない。藤助の気持ちに、客も気づいているはずである。ならばどうして?


「あるお家に取り入らなければならないの。高級品と偽ってそこでカレイを高く売る。あなたたちには少量の品物で収入が入る。悪い話じゃないはずよね」


「————!」


 お家再興のために、商いで人脈を作る手筈なのだろうか。そうすると、この客の陣営は敗北し、一家離散というところか?


(それは確かに、藤助には聞かれたくない話だろうな)


「私は京を離れられない。カレイは鳴海という男に卸して頂戴。知っての通り、藤助の育ての親よ」


 女性は去り際に、こう呟いた。


「ハヤト、ずっと幸せになぁ」

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【500pv】死は悪さえも魅了する 春瀬由衣 @haruse_tanuki

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