第57話 救いとしての死

 ほんの少し手を抜いただけで、ほんの数日床に伏せっていただけで、田畑を覆い尽くしてしまう雑草。人の手にかけられて育つ作物よりも生命力が強く、そしてそれゆえに疎まれる。その有り様は、まるで隼人の人生そのもののようだ。


 隼人と呼ばれた男の本当の名は、藤助と言った。厳しい徴税と収奪に耐えかね、逃亡を企てた一家の男児であった。


 彼の一家は、彼ひとりを残してこの世のものではなくなった。本来は彼も死ぬはずであったが、母親が疫病神の妃となることで藤助は死を免れた。


 ——と、思われていた。しかし、彼は本来、母親の献身なくとも死ななかった。彼は、野の雑草を口に食み、その薬効によって熱病の支配を免れたからである。


 そのことをサトという薬師の娘は見抜き、藤助を本来の有り様に——苦しみにまみれた生ではなく、疫病が彼の家族を襲った日から数日経てば訪れたはずの、寿命としての餓死へと導こうとした。


 藤助は、一人では到底生きられぬ幼な子であった。疫病のもたらす死を免れても、誰も彼もが死に絶えた野の原では、三日も生きられなかっただろう。


 まだ幼い藤助は、野犬の餌になっただろうか。蛆が体に群がる方が早かっただろうか。いずれにしろ、藤助は死ぬ。ここにいる隼人も、藤助と地続きの同じ人格である以上、消えてしまうのだろう。隼人という不死身の男がいたということさえ、忘れてしまうのかもしれない。こんなにも彼の無事を願っているサトでさえ。


「無事を願う……?」


 彼が死ぬことを望むことを、と表現した。それは、普通に生きている人間に対しては成り立たない文脈だ。しかし、彼に対してだけは、成立する。例え彼が死に際して苦しんだとしても、未来永劫生き続けなければいけない地獄と比べれば幾分かマシだろう。


 あと一つだけ、わがままが聞き届けられるとしたら、隼人自身に、彼にこれから起こることを説明し、わかってもらいたかった。


 それはサト自身のわがままである。本来ならば藤助は、自分が死んでしまうこともわからないまま餓死していたはずだ。疫病神に組み込まれてしまった数々の犠牲者も、戦乱に巻き込まれた農民も、武功を残せずに死んだ武者も、強盗に命を奪われた旅人も、この乱世、幸福な長寿は願えないと覚悟していたとしても、死ぬ瞬間を予知し、満足して死んだ人間など存在しなかった。


 だから——


 サトは覚悟を決めた。


 強盗団の首領として、隼人が奪った数々の命がある。彼は、命を裁く者の前で、無実ではいられない。


 仮に彼の存在が誰の記憶からも消えてしまうのだとしたら、せめて。


 彼の罪も呑み込んだ上で、彼には、彼自身にもたらされるはずだった死を。それが、彼の血と穢れに満ちた人生を、肯定する唯一の手段なのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る