終の音

第55話

 身体中の皮膚に、ひどい痒みを感じる。突っ張るような、中で何かがうごめいているような、とにかく無我夢中で掻きむしりたくなる苛立たしい違和感。自棄になって、爪を立てる。皮が剥け、肉が露わになり、わずかながら患部が膨張して熱を帯びる。それでもなお、自らを傷つけたいと強く願う。それは、生き抜くことを至上命題とするはずの命の、存在意義すら崩しかねない危うい行為であった。自傷は小さな自死である。それでいて、傷つけたいという思いと裏腹に、肉体が外敵と戦うために呼び起こした高熱によって、生きたい、生きねばならぬという生命の本質に否が応でも向き合わされる酷い拷問である。


 人は、死なない。


 死にたい、死にたい、死なない、死なない、いつだってそうだ。どれだけの人間から奪い、殺し、どれだけの人間を泣かせ、絶望させても、誰も殺してくれない。どれだけ力を入れて己を強く傷つけても、傷つけているのが自分である限り、また高い熱にうなされて蘇ってしまうのだ。


 破壊衝動は外に内に留まることを知らず、その破壊ゆえに苦しむ。


 多くの人間の死を養分にして、生き残ってしまった。死を望むほどに、生への抑えがたい本能が、醜い瘤となって迫り上がるのが怖かった。


 だからこそ、おかしらが命じてくださったことが耳に心地よかった。


『お前はただ、お前のあり余る命を撒き散らせ。散らし尽くしたならば、お前は真に死ぬことができるだろう』


 そのときから、自らの体に巣食う瘤ひとつひとつが、少しづつ鎮まっていくのを感じた。周囲の空気に霧散して、溶けていっているようだった。


 霧の中を歩いているように、戦場を彷徨った。不思議なことに、誰も自分に気づかなかった。それが面白くて、何度も何度も同じ場所を行き来した。やがてそれも退屈になって、何も考えないままにふらふらと歩き続けた。今までに体につけた傷が、優しく癒やされていく……。


 誰か、とても親しい人の声を聞いた気がする。自分にそんな人がいるはずないのに。


 ふらり、歩みを止めた。異様な光景が、広がっていた。数々の兵どもが、全身に発疹を着て倒れていく。味方も敵も、老いも若いも、そして——


 自分の醜い瘤に触れた人が、明らかにその後に倒れていっている……? いままさに鍔迫り合いをしていたはずの二人の男が、自分の通った、剣先が触れ合うその場所を中心として、ふわりと外側に向けて倒れていく。


 もしや、と振り返れば、自分が通った場所がちょうど道になっていた。あったから通るのではない、厄災が通ったあととしての道。


 サァ、と血の気が引く。こんな光景を、どこかで見た気がする。それも、倒れていく側の弱き者どもの、低い視線から、この光景を見上げていた——?


 全身を岩に打ちつけたような衝撃とともに、目の前に先ほどまでいなかったはずの大男が現れた。数々の頭、数々の目、腕、足、そして…‥声。醜い妖怪の腕々は、自分をその只中に引き摺り込もうとする。しかし、目は揺れ、声は『来てはならぬ』と告げている。そして——


 

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