第54話 快癒

 その翌日に、祭りが執り行われる予定だった。一人の男の子は、土地神を鎮めるささやかな祭りを、とても楽しみにしていた。しかし、その祭りに男の子は参加できない。税の取り立てが厳しく、一家は土地を置いて逃げ出した。


 しかし、大黒柱の父親は流行病に罹り死亡。兄二人は元いた土地に戻る途中、かつての村人に殺され、妹は村人たちによって売られていった。


 ただ一人、人足にも奴隷にもできず、痩せて今にも死にそうだった男児のみ、生きることを許された。母親は男児を抱いて逃げ、しばらくたった。


 しばらくといっても、一週間命がもったかどうかわからない。


 物乞いをするために寄ったある村で、父親の命を奪ったのと同じ病が流行していた。病は、重度の栄養失調にあった母親に簡単に侵入した。


 熱にうなされ、身体中に爛れができ、それでも母親は我が子を諦めなかった。


 母親は子に手を伸ばし……しかし、子は母を振り返らない。もしや死んでしまったか? 母親は禁断の賭けに出る。神仏に加護を願い求めるならば、それ相応の対価が必要だった。なにも持たない貧しい者に手を差し伸べる神仏というものが存在するとすれば、それは高利貸しのようなものだろう。——それでも。


 これは恐らくは、隼人の母親の記憶なのだろう。子を助けたいがゆえの賭けが、その子を不死という病に罹らせ、さらに苦しめる羽目になった。そのことを悔いる心がひしひしと伝わってくる。


 そんなとき、あの場面にが出現した。


 その視点の一人称は、僕であり私であり朕であって、一つの視点であるはずなのに時に人間の身長をはるか越えた高所から見下ろすように、時に地べたに這いつくばる虫のように、様々に移り変わる。


「もしかして、これは——」


 集合体としては疫病神となってしまったが、個々では新しい犠牲を喜ばない、人の心をまだ残している魂の数々。


 その視点たちが、サトにある事実を気づかせる。


 母親に背を向けた赤子は、野に生えた雑草を小さな手でむしり、無邪気に口に含んで咀嚼した。


「——あの草! あの色と葉のつき方は、ウチの思い違いやなかったら、確か……!」


 熱冷ましのゴギョウソウ……!


 子は、元々死ぬ定めになかった。高熱にうなされ、簡単に体力を奪われて、多くの人間が病と闘う術もなく死んでいった。しかし、無垢な幼児は、薬草を食んだこととその他少しの幸運のため、病の魔の手をくぐり抜けたのだ。


 だからこそ、疫病神は彼を殺せなかった。怨念の塊の中に引き入れるにしては、子供は命の輝きが過ぎた。腹いせに、疫病神は彼を不死身の呪いに閉じ込め、異形にして苦しめた。彼が自ら「死にたい」と望むまで。


「あぁ……」


 サトはため息をついた。神の身勝手を心底憎むとともに、己の無知も恥じた。彼を解放する手段は、すぐそこにあった。それを摘み、彼に捧げるだけでよかった。


 サトが真相にたどり着いたのを感知してか、サトに呪いを施した老人がこちらに駆けてくる。高価な熱冷ましの薬草の匂いを振り撒いて。老人は、疫病神の配下として働くにあたり、疫病に当てられ死んでしまわぬよう薬を身に塗ったのであろう。


「殺すつもりなら殺せばええ。でも、ウチは勝った」


 サトは高らかに宣言し、その病で死んだ数多くの魂に導かれて、隼人の精神界に侵入した。

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