第51話 熱冷まし 其のニ

 一つの大路を挟んですぐの場所に、絶大な権力を持つ女性の館があった。


 白河帝の時代の残り香ともいうべきその女性は、鳥羽院と美福門院との間にできたお子であった。


 平頼盛は、兄である清盛から届いた、その女性の屋敷の探索を命じる書に目を通して、こんなはずではと首をかしげた。


 彼が訝しんだのは、屋敷探索を命じる文言に、ではない。源頼政が、反平氏軍に加わったらしいという一文に、であった。


「あの男は、土壇場になって兄上に目をつけられ、捕らえられていたのではなかったか」


 頼政は既に反逆者の烙印を押され、強い監視下にあるはずだ。兄上の目を掻い潜って、このように公に動くことは、とても簡単とは思えない。


 何か想定外の事象が起こったことは確かである。


「まさか——」


 頼盛の脳内で、なにかが繋がった。頼政の子は、清盛から直々に以仁王の三条高倉邸に赴くよう言われていたのではなかったか。


 以仁王は園城寺にいると聞いていた。そんな中、頼政の子が、以仁王の屋敷に向かわされる。なぜか。以仁王は反逆者で、彼が園城寺にいるのならば、なぜ屋敷を改める必要があるのか。


 父親を人質に取った上で、逆らえぬようにし、平家政権側に有利な以仁王との和睦を命じたとすれば。


 そこまで考えて、頼盛の背に何筋もの汗が伝った。


「もしや、私が以仁王をそそのかしたことも兄上は知っておられるのか」


 まさか、とつぶやきつつも、その恐怖は確かに彼の心に植えられる。そして、その後もずっと心に巣食う。なんとかして、兄からの疑惑を晴らさなければならぬ。——なぜなら、このいくさは兄が勝ってしまう。とある情報筋から、彼の隠し刀である時人とかいう男に命じた、とんでもない作戦を聞いてしまったからだ。


 頼盛の屋敷とは目と鼻の先の、絶大な権力を持つ女性、八条院の屋敷。そこに頼盛は向かわされる。決戦の地ではないはずの地へ。


「頼政の子は、父を捨ててまで以仁王に返ったか。あるいは、父子でこのことを謀っていたのか?」


 有利な和睦を結んでくるはずの頼政の子が叛き、混乱の中で頼政も監視下から逃れたとあれば、清盛の心はどう動くであろうか。清盛は考える。


「確かあそこには、以仁王のお子がいらしたはず」


 反逆者の子は、反逆者への交渉事において、有利にはたらく。もし有利にはたらかず、いくさは避けられなかったとしても、彼を慕う武家たちが彼の子を担ぎ出すことは避けられる。


 は、刈り取っておかなければならない。


 頼盛の言うわざわいとは、いくさの割を食う庶民にとっての苦しみではなく、彼自身にとってのわざわいであることは言うまでもない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る