我らともども

第50話 熱冷まし 其の一

 木の乾いた音がコト、コトとこだまする。寺のお堂も、以仁王が寝泊まりしていた客間も、木材でできた建造物だ。


 ふと、以仁王は思った。いくさは避けられぬと覚悟して京から逃げ帰ってきた。人生最後の食事と自覚して、改めてしげしげと身の回りを見返してみる。


「燃えやすい素材である、なぁ」


 かつて天平の時に、国家安泰を願われ作られた巨大な大仏は、銅の肉体の上に金さえ塗られていたではないか。銅も金も熱すれば溶けるのだろうが、火矢を射かけられた程度で頽れたりはしない。


 衆生を救い、人々を導く、そういう建前であったはずだ。その御仏が、なぜ人々の犠牲の上に鎮座する? なぜ人は容易く焼ける家屋に住まう?


 帝の号令で畿内も地方もあまねく働き手が奪われ、金や銅や木型のための木材が運ばれ、その道中で野の獣に斃れた者も、野盗に命を奪われた者もいただろう。人の足は遅く、助けを呼ぶ前に殺されては殺されたことにすら気づかない。


 神輿の上の救い主は、神輿の担ぎ手を今まさに虐げているのだ。


 彼の中で聖武帝の姿が、自分と繋がった。自身のが、世の民びとの生活を簡単に揺るがしてしまう。


 揺るがされた側の男と女も、決戦の地に近づいてくる。


「かなんなぁ。どうやって隼人さんを見つけたらええんや」


 隼人を助ける代わりに彼の母を娶り、彼を永遠の生命に閉じ込めた存在、疱瘡神と邂逅したときに感じたことがあった。神が血を流すとは聞いたことがないが、彼の過去を見た気がした。


 疫病をもたらすその神が、かつてヒトであったのなら、そして、覗き見た過去が真実だったとしたら、彼は隼人をに仕立てようとしている。その前に、隼人を見つけ、呪いを解かなくてはいけない。


 呪いを解く……? どうやって?


 わからないが、ともかくも直接会うしかない。しかし、以仁王追撃の編成にも見当たらず、前日以前の園城寺周辺の捜索でも見つからなかった。


 多くの蹄の音が地面を鳴らした。木々が不安そうに鳴った。


 いくさが近づいている。人間の血が多く流れる。その大量の血の、大量の記憶の中から、隼人の記憶だけを探し出すことは可能だろうか。


 ふと、解熱剤の生薬の匂いが鼻をついた。それほどの量がこの地域に自生しているとは、サトには考えられない。


 イチョウの大樹の根が、複雑に絡み合っている。トチの木が、斜面から反り上がるようにして生えている。水のあるところにはシダが群生しており……。


「あれはなんや……? 伏兵かなんかか?」


 人が、身体中に草木の葉や枝を括りつけて、シダの群生の中に身を潜めていた。身にまとう植物と周囲の草木の種類が異なるため、森を見慣れた人間にとっては彼らを見つけることなど造作もない。


 つい先刻この辺りを見回ったときにはいなかったはずだった。蹄の音はより近くなっている。じきに始まるいくさに関係していないと思う方が不自然であった。


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