第49話 止められない

 源博雅は、平清盛の命と偽って門番を騙し、父である源頼政を軟禁状態から脱出させた。そして、以仁王追討軍に加えた。


 馬を何度も替え、無理を言わせながら京の東を守る山々へ突き進む。遠くにある青々とした山々はどれだけ駆けても近づいているように見えず、焦りが増していく。


 万が一、屋敷へと戻った以仁王の捕縛に失敗したときのために、園城寺にはすでに五百の兵が向かっているはずだ。その兵どもをどのようにして騙し、どのようにしてこの事態を切り抜けるか。


「息子よ、勝算はあるのか」


「父上」


 博雅は答えに窮して口籠った。挙兵計画が平清盛に勘づかれてしまった以上、反乱分子の指導者が頭でも丸め従順になった方がいい。その方が、後々来るかもしれない好機を逃さないし、処刑さえされなければまつりごとには関われないにしても、ゆっくりと平穏な余生を過ごせる。


 バレた時点で、もう勝ち目はない。普通に考えれば、付き従っている多くの兵の命を生かすには、以仁王や源頼政たちが捕縛されて沙汰を待つ方がよほど賢いやり方だ。


 それでも、源博雅は賢くあれなかった。死ぬのが怖い——今さら投降したところで、以仁王説得の任は果たせず、囚われていた父親を連れて逃げた時点で、罪は重い。逃げられない。


 なぜ以仁王は逃げたのか——そればかりが悔やまれ、恨めしく思う。


「勝算はありません」


「ほう」


 心の中のドロドロとした気持ちとは裏腹に、立板に水を流すようにうわべだけの綺麗な言葉がくちびるから紡がれる。


「父上の仰る通り、確かに勝ち目はありません。しかし、平家は力を持ちすぎました。帝を誑かし、他の公家たちの出達を妨げ、自らに従わぬ異分子を弾圧したことは事実でしょう。我らは以仁王の清らな志に殉ずるのみ、最後まで忠義を尽くしましょう」


 心にもないことを、こうも眉ひとつ動かさずに言えるものだ。自分の顔に土の面が貼り付いた心地だった。その言葉の嘘に、彼の父親も気づかないわけがなかった。


「そうか。それでは、我らも追討されねばならぬな」


 頼政はそう静かに告げたのみ。しかし、息子はその真意に気づき、目を伏せ、前を向いた。


 力を持ちすぎた家に、三位が欲しいと泣きついたのは誰だったか。平家が殿上人となる前は院や藤原家が力を持っていたわけだが、それはよかったのか。我らが任じられた役職は、誰かがなりたかった役職ではないのか。それは他の公家の望みをったことにはならないのか。


 ぐるぐると自己矛盾が胸を引っ掻き回し、苦悶の表情を浮かべ、耳元を裂いていく風の音を聞くだけ。皮肉なことに、来ないでほしいと思った園城寺は目と足の先に近づいていた。


 ビン、と弓の弦が張られる音がした。


 園城寺はすでに、いくさの只中にあった。

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