第46話 行軍
まだ夜が完全に明けきっていない、まだ肌寒さの残る初春のある日のこと。大勢が砂利を踏むような、ザクザクとした音がかすかに聞こえてくる。
人目を忍び着々と挙兵の準備をしていた。園城寺に兵を集め、各地に使者を派遣し、抜かりなく準備を進めていたはずだった。
サトという薬師が、急にいなくなった。意味深な置き手紙を残し、誰も彼女の脱走に気づかなかったという。朝廷をはじめとする、多くの権力者に重用された
それに、彼女は「いくさを見届ける」と言った。行く末を最後まで、以仁王の知らぬところで見続けていると。不気味かつ、不愉快極まりない。
そこで挙兵の日を一日延期して自分と数人の従者だけ屋敷へ戻り、密かに源頼政と会い、計画に不備がないか確認する機会を設けることにした。砂を踏むような音を、初めは頼政の来訪だと思ったのだが、なにか様子がおかしい。密会に訪れる者が多数の従者を引き連れていては、密会の意味がない。
それに、彼の屋敷の周囲にそこまでの音がする砂利道は存在しなかった。数日屋敷を空けた間にどこかで塀でも崩れたのかと思ったが、まさか。あの音は武者たちが具足を鳴らして歩いてくる音ではないのか。
不安が増大し、居ても立っても居られない。しかし、これが約束通り来訪しただけの頼政なら、とんだ行き違いになってしまう。
ザクザクと人の群れが近づいてくる。以仁王は慌てて屋敷を抜け出し、馬を急かして道を急いだ。
以仁王が去った後の屋敷の門の前に人が立つ。そして、なにやら怪訝そうに首を傾げている。
「なぜおられないのだ? 私が参上するということを文にてお伝えしたはずだが」
慌ただしく去っていった形跡が、来訪者の目には見える。彼は確かに武装してはいたが、引き連れた兵は通りで待たせ、自分ともう一人しか門の前には来させなかった。
「どうなされた、兼綱どの」
遠くから彼を呼ばわる声がする。しばし待たれよと応えるも、声は苛立ちを隠そうともしない。
反乱は始まる前に終わってしまった。以仁王が各地に出した令旨は各地の武者たちを動かすことなく、密使の一人が捕らわれたことで計画は露見してしまった。そんな折、以仁王が自邸にいると、当の本人から連絡が来た。
以仁王一人を捕縛して帰ってこれば、反乱に関わった者どもに罪は問わないと確約されている。父も——頼政も、助かるかもしれない。なのに、なぜ。なぜ我々の前から、逃げるように姿を消したのか。徹底抗戦の意思を示したと言われても仕方あるまい。
「如何した、兼綱どの」
徹底抗戦——? それにしては、気にかかることがある。和平を受け入れないのなら、もっと周到にこの場を立ち去れたはずだ。だが、この慌てようはなんだ。なにが起こっている……?
「御免!」
「重衡どの——ッ、お待ちくだされ」
制止も虚しく、屋敷に踏み込まれてしまった。
「違うのです、私は確かに殿下にお伝えし……」
「問答無用。この失態、しかと受け止めよ」
兼綱は歯噛みした。どこかで行き違いがあったに違いない、と。
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