第45話 置き手紙

 以仁王さま。あなたは平家を倒そうとおっしゃるのですね。


 サトはそれを止めはいたしません。しかし、鳴海という名の男は、なんら見通しも立てずに禿を抜け、各地を放浪した挙句、卑しい私にさえ見放されました。今や、生きているのか死んでいるのかもわかりません。


 生死不明といえば……。ほんの少しの時間だけ共に旅をした、隼人という大男、あの人も、どこで何をしているのやら。体格の割に言動が幼く、自傷を常とし、体のあちこちに醜い傷痕があった男でした。私はかの男の素性を知りません。しかし、私は私のことは、よく心得ております。


 産み落とされてから、しばらくはお屋敷で育ちました。漢文や管弦を教え込まれ、箏ではなく横笛を好んで吹きました。ご存知の通り、公家の家に生まれ落ちた女児は、よき家柄の殿御に気に入ってもらおうかと親が気を病み、よき女御としての教育を施されます。しかし、私はそうではなかった。好き勝手に巻物を読み漁り、男装をして楽しんだりもした。おわかりでしょう? 女が男装するのは白拍子の生業わざです。はしたないと叱られるのが、私にとって益となるはずなのに、誰も私を叱ってくれなかった。


 そのころから、何処の馬の骨とも知らぬ下賤の女の腹の子と、どこかで蔑まれていたのです。


 私はひょんなことから、自身が平清盛の妾腹であることを知りました。身の内がどろどろと、溶けてかき回されている心地がいたしました。あの日のことは忘れられません。私は屋敷を飛び出し、襦袢に素足のまま走りました。凌辱され捨てられてもよかった。よい生地の衣を、売り飛ばすために剥ぎ取られるくらいはされるのだろうと思っていました。しかし、治安の悪い京におりながら、そうはなりませんでした。思えば、百鬼夜行の妖どもが、私を面白半分に生かしたのかもしれません。


 私は日が明けるころに、屋敷で見かけたことのある薬師の家に辿り着きました。私にはいま、薬草の知識と調合の腕がございます。


 私は、あなたを見定めたい。私は薬売りとして、各地で、身を売らなければ生きていけない民を見ました。米をひとつまみの塩で食す人々を見ました。


 あなたが起こすいくさは、この地で最後のいくさになりましょうや? 誰も傷を負わず、誰も飢えでしなず、誰も、地方の者が中央の権力争いで引き裂かれず、殺しあわず、病で死ぬこともない。そんな世が来ましょうや?


 鳴海という者は、東国に帝にも匹敵する力の器を作ろうとした。彼は言いました。二つの器が相争い、互いに壊れるくらいが丁度いいと。彼は彼なりに、いくさのない世を望んでおりましたが、いくさのない世のためにいくさを起こすなど本末転倒なのです。


 私は薬師として、このいくさの成り行きを見守ります。私はあなたを見ていますが、あなたが私を見つけることはできないでしょう。


 どうか皆さまに御武運を。常世より来たりし医学の神の加護がありますように。

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