死の手招き
第44話 熱病
因果なものよのぉ、と脳天に声が落ちた。
いつもこの神は、前触れもなく現れる。私の身のうちに巣食う神自身への憎しみさえ、見せ物のように面白がっているようだ。
「どうだ、おぬしの子は武者に取り立てられたと聞くが。誇らしいか」
「まさか」
すぐに頭を振るも、我に返り背に冷や汗が伝った。この神の指に触れられた者は、全身に
「いえ、何でもありませぬ」
この神の機嫌を取らねば生きてゆけぬ。疫病神の后となることが、生きていると言えるのかという問いは、もう考えないようにしている
「よい」
珍しく、夫である疱瘡神は穏やかだった。仏とも見紛うほどの、安らかな笑みを浮かべている。だが、その本性たるや……
「あの化け物が死ねば、其方は子への執着をなくし、真に私の妻となろう」
化け物。彼女の夫は彼女の子を化け物と言った。死ぬに死ねず、生きるに生きられぬ哀れな我が子を。母として、女として、耐えられるわけがない。まして、彼女の子を
しかし、耐えねばならぬ。彼女はーー隼人の母は、唇を横一文字に引き結び、わずかに滲んでしまった血を舌で舐めて誤魔化した。
「今更あの者を救うことなどできまい」
彼女は顔をあげた。彼女の顔は神の胸ほどにしか届かない。彼女の心を見透かすような口ぶりに肝が冷える。
「それに、解っているのか。あの者を救うということは、あの者から生を奪うことだ。そなたの村の者どもの命を多数食い物にした、あの病と同じぞ」
隼人、今は平時人と名を変えた我が子が生まれた村は、百年も前に死に絶えてしまった。彼ははもう生きすぎている。彼の苦しみを断つということは、彼の身から「不死」を断つということ。
「……まぁよい」
疱瘡神は、彼女の迷いに途端に興味を失ったようだった。指先にザラザラとした皮膚片がくるくると周回して浮かぶ。彼の眼差しは、時の権力者、平清盛に向けられていた。
一目で死期が近いとわかる、窪んだ目と痩けた頬。病で消費した体力は多く、食事も喉を通らないらしい。清盛はこの数日、瓜を食べて喉の渇きを凌いでいた。
その前に侍るのは、時人。不死の異形ゆえ、甲冑が体に合わなかったらしくその姿は滑稽である。
そしてその顔にはーー苦悶の色がない。かつて負った傷の再生に伴う痛みは、新たに傷を負うことでしか和らがない、終わりなき苦しみの最中にあったはずの時人が。
心が少し軽くなったのも束の間、疱瘡神がこの状況をただ見ているわけがないと思い直す。神の顔を仰ぎ見れば、その神はこれでよいのだとばかりに薄く笑みを浮かべていた。
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