第37話 叔父を斬る

 なぜ、この男がを知っている。どこでそれを聞いた? 頭が真っ白になり思考が止まってしまったサトに、鳴海はうわ言のように語りかけ続ける。


「最後の手段ではあるーーしかし悪くないだろう。女帝……いい響きだ。そうは思われませんか? 神功皇后のような強い力を、サト様、貴女に持っていただきたいのです。貴人の血を引いていながら、民草の苦難も我が事のように感じられる、貴女こそ、新時代の王に相応しい。あるいは、貴女であれば、なにも今の朝廷を滅ぼさずともよいかもしれない」


「鳴海さん……?」


「いい考えとは思われませんか? ねぇ?」


 こうなっては、是非もなし。この男は、夢の世界に呑まれてしまった。理想の世のために力を注いでも権力の魔に呑まれてしまう人間はあまた存在しただろうが、何事もなし得ぬまま気狂いになった者など聞いたことがない。


 だが、サトにはひとつだけ、明らかにしておかなければならないことがあった。


 真実か否かは不明ではあるが、貧しかった母がサトに遺した言葉ーーそれを裏付けるように、なぜか清盛に気に入られ、屋敷への登殿が許され、さまざま、古典を学ばされたこと。


 知られたくはなかった、出生の秘密。それを、どこまでこの男は知っているのか。夢に囚われた人間の妄想か、当てずっぽうか、はたまた、それなりに証拠を掴んでことか。


 実の父かもしれない清盛が、叔父を斬ってからーーサトは、屋敷を飛び出した。もし母の言が真実なのだとしたら、彼は母を捨てたことになる。信じたくはなかったが、サトのなかでは叔父を斬ったことが答え合わせになってしまった。どうしても、許せなかった。


「ウチはそんな偉い人の子違うで。もしそうやとして、なんでわざわざ、自分を守ってくれるチカラの庇護下から離れてクスリの行商なんてせなあかんの」


「……叔父を斬ったのが、怖かったんだろう?」


 後頭部に毛虫が歩いたようなおぞましい感覚があった。一刻も早くこの男から逃げなければならぬ。それが叶わぬならば、この場でーー


「そんなに怯えないでください」


 苛立ち暴力を振るうのが常になっていた彼とは、見違えるほどの柔和な顔。それが逆に恐ろしい。


 彼が発した次の言葉は、もっとサトを怖がらせることになった。


「私はいつでも貴女を見ていたーー貴女がいい布の着物を着て、楽しげに古典に親しむ姿を、ずっと」


 平清盛に近い側近ならば、サトのことを知っていてもおかしくはない。だが、その言い方が、どこか気味が悪い。まるで、その頃から、サト自身のことをしていたかのような。


「もう一個だけ、聞きたいことがあるんやけど」


「はい、なんでしょう」


 サトは目を伏せ、決して鳴海と視線を合わせようとしない。鳴海からすると、サトの顔は上半分が全く見えず、感情が読めなかった。


「あんたは、初めから、ウチを人身御供ひとみごくうにするつもりやったんか?」


人身御供ひとみごくう? 神への捧げ物のことですか? まさか」


「前に言うてたやろ! 権力者など要らん、そのためには新政権を立てて従来のものと争わせ、あわよくばどちらも潰れてくれれば儲けもんやと」


 鳴海は黙った。サトは、きっと我に返ってくれると半ば祈るようにその様を眺める。しかし、その希望はすぐに崩れ去った。


「大丈夫、いくさが起これば必ず、貴女を救い出します」


 言うまでもなく、サトが欲しかったのはそんな答えではない。「理想のために悪を成す」などという、罪深い試みの旗印に、自分を担ぎ上げようとしていた。そのことが、悲しかった。


「……さよなら」


 鳴海は一瞬たじろいだ。その次の瞬間、彼の上半身が焼け爛れた。


 サトが調合した爆薬が、炸裂したのだった。

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