運命の日

第28話 市場の喧騒

 東市において取引されるのは、西京で生産された米や生鮮食品、鯖街道から運ばれた干し魚、漬け魚など。いずれ人間の口に入る食品も多数あった。


 いくら京が戦乱で荒れ果てたとはいえ、商人たちにも自負はあった。虫が湧きかねない水溜りには河原から運ばせた砂を投入する、新鮮ではなく食あたりを起こしうるものを販売していた店舗は営業を停止するなど、商人たちの自主的な取り組みが進んでいた。


 しかし、それでも、伝染病や食あたりは完全に防ぐことはできない。厄介なのは、高貴な人々に被害が出た場合である。


 青白い顔をして駆けてきた伝令を見て、自治組織の長である藻塩もしおは頭を抱えた。とびきり上等で鮮度もよく、献上するのに差し支えないと全会一致で判断したものが、まさか問題視されるとは。


 全商人が失敗しないために、できるだけ多くの会衆の目を通して何重にも確認したはずが、これでは全員の責任が問われかねない。これでは共倒れである。


「なんてこったぁぁ! 長になった途端にこれでは貧乏くじではないかぁぁ!」


「取り乱さないでください藻塩さん! せっかくのオシャレな名前が台無しですよ!」


 言うことを聞かない幼児のように、地面に寝転がってシダバタと手足を上下させる。その有様に、どうして先代の長は彼を指名したのかと首を傾げるほどだった。


「とにかく! とにかく、ですね。こちら側の覚悟を示さないことにはとてつもないことに巻き込まれてしまいます。指でも腕でも差し出して許してもらいましょう」


「なんで体の一部切る前提なのさぁぁぁあ」


 だめだこりゃ、と立ちあがり視線を上げた先に、予期せぬ人影があった。どこか、先代の長の背格好に似ているような気がした。


「まさか、ね。先代は重い病に罹って続投を辞退されたんだ。先代と背格好が同じに見えたんなら、少なくとも先代ではないよね」


 再び視線を遣ると、人影は消えていた。やはり人違い、あるいは人影の存在自体が気のせいなのだろう。


 京が荒れ果てた情勢のなかで、商いを営む者たちの権利を守ってきた先代に、なんて罰当たりなことを思ってしまったのだろうと自責の念に苛まれたそのとき——藻塩が立ち上がった。


「私が責任を取る。君たちに災難が降りかからぬようなんとかする。だから安心して」


「はえ? はぁ、わかりました……」


 先ほどまでの体たらくはどうしたのか。いつも不思議なのだが、藻塩にはイヤイヤ期とそうではない責任ある大人としての時期がある。そしてそれら二つは急に入れ替わるのだ。


「わかりましたけど、どうやって?」


「……え? わからん」


「計画性ないんですか!?」


 ついさっき、男気あると藻塩を見直してしまったあの感動を返してほしい。そのガッカリ感はさらに増幅されてしまう。


「とりあえず今日は寝る! 帰って寝る! だって陽は落ちたし!」


 この市も終わりだ……。喧騒のなくなった東市にて、数少なくなった商人たちがため息を漏らした。


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