第27話 身代わり

「そうか。お前は影武者を命じられたと思っていたのか。やれやれ、身内にも情報統制が及んでいるとはな、用心深い」


 誰かの代わりではなく、まつりごとの道具になれと言う。自らの陣営のための利己的な判断に、神託という正統性を欲しがるのは人の定めであり、大切に思っている人のためなら他に残酷を強いるのも人の定めらしい。


 しかし、それを命じられた側が、それを受け入れられるかどうか。黒子に徹すると決めたはずが、私情が彼の心を蝕んでいく。搾取される側はいつまでも、まつりごとの駒に過ぎないのか?


 妹はまだ小さかった。男もそのとき、まだ幼く非力だった。嫡男が刃傷沙汰を起こし断絶の危機に晒され、処刑されることになった子供の身代わりになった。快活でよく仕事をこなし、体も頑丈で滅多に風邪にも罹らなかった。それが、まさかあだになるなんて。


「やる。私は、やる」


「どうして?」


 隼人は受け入れた。理不尽極まりない要求を。


「ドウシテ? なんでそんなことを聞く。私が決めていいのだろう?」


 至極正論だ。彼の人生は彼が決めればいい。他人であるからには口出しするべきではないし、表に出てはならない自分なら尚のことだ。男はわかっていたけれど、それでも承服できなかった。


 いやだと駄々をこねたらいい。神の前に生贄にされかねない非道に抗わないのはなぜだ。なぜ、そんなにも簡単に受け入れられる。


 男は平静さを失い、隼人が痛みや苦しみを訴えていないことに気づかなかった。彼が不死身であると男も聞いていたが、この秘技に耐えられるかどうかーー


「やめておけ」


「!?」


 右隣から、自分の心を見透かしたような声。部下という体裁でありながら、命令のような口を聞く。やはり、お上の遣わした密告者であったか。思考は悪いほうへと止まることを知らない。坂を下り、行く先は墓地とでもいうような、それでも止められない。


 そんな男の暴走を、止める一言。


「昔に死なせた人への後悔で、新たに死人を出してどうなさいます」


 黙りこくるしかなかった。前も隣も見ることができない。正論が胸に突き刺さる。


 あのとき妹が選びたくても選べなかった道を、選べる立場にありながら、それに気づいていない怒りだった。しかし、その怒りの末に起こることは、あのとき連れていかれた妹を、新たに生み出すだけなのではないか?


 自分のために、利己的な感情で、他人を殺そうと思っていたことに男は震えた。頭がサアと冷えて、血が下に落ちていく。クラクラとして、なにも考えられない。ただ、自分が黒子の本分を超えた振る舞いをしてしまったことと、初めて会ったはずの部下が自分の過去を知っているかもしれないことが渦巻いて……


「あの子、私の大事な人に似ている。だから、喜んで身代わりになる。あなたも、あの子を最後まで守ってあげて」


(似ているーー似ている? 誰に……大事な人に? この異形の男にも、心に想う相手がいるのか? そうか。そりゃあ一人や二人、大事な人はいるだろう。むしろ、なぜ天涯孤独と思い込んだのか)


 そうか、と男は納得した。目の前がグルグルと回るほどのめまいが、スッと晴れる。


 自分には守るべき人はもういない。でも、隼人という男にはいるらしい。そのことが、ひどく羨ましくて、悔しくて、でも嬉しかった。


 この隼人という男は、まだ、身を挺して「大事な人」に似ている娘を守れる立場にある。その立場を、彼は、正しく使ったのだ。


 片足を立てていた男は、ガクリと床にへたり込んだ。上座の貴族も、狩衣が床を擦る音を立てて去っていく。その後を、隼人を連れて部下が行く。


 男一人が、狭い板間に取り残された。

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