第26話 相似

「アホか! そんな適当な仕事してるんとちゃうで」


 明らかに高貴な身分である相手に、空間を切り裂くムチのような鋭い口調で娘が怒鳴り込んできた。


「お前かーー高度に政治的な場に入ってくるなと言ってるだろう」


「そういうあんたは高度に政治的なことをしてたんか? 雑な勧誘をして、まつりごとをナメたらあかんで」


 この娘が売り子だったら気を抜けば要らないものを両脇に抱えるほど買わされてしまいそうな覇気のある早口に、全身から満ち満ちている気概。歳は十くらいか、と男は値踏みする。


「女の分際で口を出すな」


「はぁ? ……あー、わかったで。ウチが紫式部みたいに女にしておくには惜しいくらい聡い子やから、自分の手柄が横取りされるんが怖いんやな?」


 返答も待たずにーーというよりは、返答があることを想定していないように、娘はドタバタとかしましい足音を立てて板間を出ていく。


 不思議なことに、隼人はその娘御の走り去った後を未練深く眺めていた。


「あぁ、あれか」


 隼人の視線に気づいた貴族の男が、先ほどまでの強硬的な表情と雰囲気を和らげた。怒り肩はすっと丸くなり、胡座も崩してみせる。


「あれは、わしのだ。無論、血の繋がりはない。ーーそうさな、お前とあの子なら、気が合うかもしれん」


 この板間は都を牛耳るどの貴族の屋敷でもなく、都大路に面していない隠れた密談場所だ。血の繋がりがない娘を、まつりごとの舞台となる危険な場所にも同行させる意味に、隼人の脇に片足立ててこうべを垂れる男は勘づいた。そして、その娘こそ、隼人を手中に入れることに躍起になり焦ってしまった理由でもあるのだろう。


 自らを舞台袖の黒子と弁える男の勘繰りを裏付けるように、貴い御身分の男が語り出す。


「なに、もう顰蹙ひんしゅくは買っているだろうから、御伽噺でも聞くつもりで聞いてくれ。其方からの返答を強いるつもりはない。ーーこれは、わしの我儘なのじゃ」


 曰く、無官の時期が続き落ち目であった。曰く、申文もうしぶみも役に立たず、『所領は倒るるところに土をも掴め』というが掴む土がない。詩作だけを生きがいにしていたが、子もできずに齢八十に到る。


 そんな折、古びた庵の前を、売られていく幼い女児がいた。日常茶飯事といえばそうだった、しかし彼は前年に妻を亡くしていた。


 髪はぼろぼろであちこちに跳ね、顔はくすんで黒く、腕や足には引っ掻き傷があり、とてもじゃないが美しいとはいえぬ女児であった。しかし、彼はその女児を買った。


「光源氏のように、将来の妻にするつもりで養育するとでも思うたか? まさか、な。この子は屋敷の奥にじっとして通い婚を待つような玉ではない。ズケズケと他人の屋敷に上がり込んで、客に出された料理を手掴みで食べるような女子おなごぞ」


 散々な言いようながら、その目は娘を慈しんでいた。その目が、ふと、焦点を失い、苦しみを湛える。


「ある日、わしはあの子を差し出すように申し付けられた。馬を献上せよとでも言うように使いがわしに言った。あの子は色が黒いから、火傷をしても目立たないだろうと」


「………………ッ」


 感情を面に出さず、黒子に徹する。その堤が切れた。思い出す必要もないと思っていた、幼少期のある日。まだ幼かった妹が、誰かの身代わりにと連れて行かれたあの日。


 酷い、と思うとともに、ヒシヒシと、床につけた膝から黒い染みが広がっていく。それは、自分の考えのおぞましさに気づいたからだった。


 隼人というが、自らの手を離れた後そんざいに扱われることなど、いままでの経験でわかっていたはずだ。それなのに、この者ならば酷いと思わなかったのはなぜか。なぜに対しては同情したのか。


 表立って口にすることがないとはいえ、もはや百姓や商人あきんどにさえ噂されるようになった一つの予想。まつりごとの行方を決める神託に、生贄として差し出される人間がいるらしいこと。そして、その生贄は、たいへんな苦しみを背負ってしまうらしいこと。


 この公家くずれは、養育している女児をその生贄にしたくないがために、この罪人を身代わりとして欲しているのだ。


 グルグルと黒い染みは渦巻き、床から鎌首をもたげ男を飲み込もうとする。


「どうなされた」


「ーーーーいや、大事ない」


 仕事仲間に声をかけられ、ハッと我に返る。床の染みも、スルスルと蛇が藪に帰るように小さくなっていく。


 何事もなかったかのように、音が聞こえ視界が広がる。それはつまり、一時的とはいえ周りが見えなくなっていたということだった。

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