第24話 利用
「あなたのことはかねてより聞き及んでいます」
頬を撫でるような心地よい声で、隼人は自分が板間に跪かされていることに気づいた。視界は塞がれていないが、後ろ手に縛られ両脇を固められている。前方に目をやれば、一段高く作られた座に老人が座っていた。
髪一面の白髪でありながら背が曲がっておらず、真っ直ぐな眼差しには慈恵も見える。しかし、顔には
「さぞや酷い目に遭ったのでしょうね。身体のあちこちに深い傷がありました。ご安心なさい、難儀しましたが、いまは治っていますよ」
この老人の言っていることはおかしい。隼人は眉をひそめて相手の真意を窺うように、恐る恐る視線だけを老人に向けた。なにもせずとも、致命傷まで治ってしまう肉体を持っている彼の身には、まるで自分が治したような口ぶりはひどく奇妙なものに思えたのだ。
しかし、そんな自分の戸惑いさえ、奇妙には違いないことにすぐ気づく。自身の体を痛めつけていなければ、いっそ死んだほうがマシだと念ずるほどの苦しみが彼を襲う。いま、それがない。不思議なほどに、心の臓の鼓動は落ち着いている。
そんなことが起こるはずがない。しかし、現実には起こっている。二律相反する事実に、隼人が導き出したのは、恋焦がれた「死」に自分が到達したのだという安堵。
「よかった……楽になれたんだ」
老人は隼人のその言葉に違和感を覚える。傷が癒えれば確かに嬉しかろうが、隼人のこぼした安堵はいままで診てきた患者たちのそれとは異なるように思えたのだ。
しかし、まつりごとのしがらみが、老人にその気掛かりを追求する暇を与えなかった。傷を負い気を失った者を跪かせ、目覚めさせるなど、老人の本意ではない。
「時間がないのです。あなたはこれより、とある方の影武者とならねばならぬ。貴人の立ち振る舞いは粗野なあなたにとって荷が重いでしょうが、どうかお耐えなされ」
「この者に不要な言葉を与えないよう申し上げたはずですが」
「ーーそうであったな」
医師であるのだろう老人は、従者と思しき若者にさえ慇懃無礼に応対される。疱瘡に罹ってしまってからというもの、彼は仏門に入れられ、表立って貴人を診ることを禁じられた。
うわべだけの敬意、礼節、重用。老人に頼りにしていると口にする者は、彼の顔を決して見ることはない。必要とされているのは医師としての技術であって、代わりがいればいつでも首を刎ねられるだろう。そんな老人は、部屋の出口でふと立ち止まる。振り返れば、いびつな肉体をした大男が小さく膝をついている。
どこか、自分に似ている。そう思った老人の直感は、誤っていない。
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