眩しすぎる

第23話 仏罰

 病が誰かの呪いなのなら、この世の荒廃はどんな存在がもたらした罰なのだろうか。


 菅原道真が太宰府に流されて非業の死を遂げたあと、都は酷い怪異に見舞われ、多くの死者を出した。狼が鹿を狩るほどにありふれた現象として、怨霊の存在は疫病や天災の理由づけに用いられた。


 その民たちにとって、末法思想は肌に馴染むものだった。釈迦が悟りを開いてから時代が下り、正しい教えが効力を持たなくなる。政治の舞台であった都はたびたび戦乱に晒され、地方からの税収は絶え、寺社は武装した。きな臭い血の気配が世の空気を満たしていた。


 やれやれ、と肩をすくめ、鳴海は強奪したに目をやる。後ろ手にきつくきつく縛ってあるのに、息を深く吸い込んで胸を膨らませ、縛られた皮膚に縄を食い込ませる。猿ぐつわを噛み切って舌を噛もうとする。彼自身に歩かせていては、猪のように暴れて供を振り切り、岩や木の幹に頭を打ちつけるので、仕方なく鳴海は輿を譲った。


 買われた身でありながら、主人より高い位置に座して移動する奴隷など聞いたことがないと鳴海は苦笑する。しかし、その奴隷は丁重に扱わなくてはならない。もし主家を見限って脱走しようものなら……鳴海の目論見が外れるだけでなく、対価を誤魔化して人身売買したことがバレてしまう。


 それにしても、霧が濃い。山の天気は変わりやすいとは言うが、つい先ほどまで晴天だったではないか。


 道案内人に、この気候の急激な変化について問いただそうと、前方へ目を凝らす。


 足の指だけが、宙に浮いた。地を掴もうとして足指を丸めれば、体勢はさらに前のめりになる。鳴海は腰を抜かし、その場にへたり込んだ。カラカラと音を立てて、足元から石が落ちていく。


 霧が晴れたら、そこは断崖絶壁であった。


 振り返っても、前に目をこらしても誰もいない。いつから一人だったのだろう。術にでもかけられたのだろうか。


 ふと、崖の向こう側に人影が見えた。木でできた檻のようなものを、六人がかりで神輿のように担いでは、しきりに揺さぶってこちらの注意を引こうとする。


「あれは……?」


 人生を賭けた博打の、大きな切り札になるはずだったモノが、奪われた。神託を偽装できる、不死身の異能を持つ者が。


 供の者たちは、どこにいるのか。新政権樹立に必要不可欠なもう一つの鍵、薬師のサトだけでも、我が手中に収めなくてはいけない。


 鳴海は自らを奮い立たせ、崖の上に立つ。崖を覗き込み、崖の奥行きと深さを見極めた。


「貴様らがどこの者かは知らぬが、敗因があるとすれば、霧を早くに引き上げてしまったことだろう!」


 この高さならば、死にはしない。鳴海は土を蹴り上げて体を宙に浮かし、華麗な体さばきをもって一回転し、足と手を斜面に打ちつけることで立ち上がった。かと思えばまた斜面を蹴り、くるりと回転して、ほぼ無傷で絶壁を下っていく。


 朝廷、朝廷を牛耳る権力者、そして、権力者のなかで時勢を窺う者。神々に伺うのは、遷都の吉凶について。


 遷都を嫌う者、遷都を断行したい者、それら二者とは異なる謀を胸に抱いた者。


 大志を抱いた鳴海という青年は、己も仏罰の対象であることに気づいていない。


 引き連れてきた供が、崖の下で潰れているのを、鳴海は目の当たりにする。サトだけでも、片方の駒だけでも保ちたいという願いは、まつりごとを双六としか思わず、民に寄り添わぬ者の願いに変質が始まっていることを示していた。

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