第15話 鹿を狩る 其の一

 山道には時折、人智を超えた巨大な岩がある。なぜその岩がそこにあるのか、なぜ人はそれに畏怖を感じるのか。


 自然に弄ばれ、多くの人が死に至る一方、その恵みがなければ人は生きてはいけない。大岩に人々が感じ取ったのは、巨大な力であったろう。そうして大岩を投げた巨躯の神々が生まれ、島々を作った存在も生まれた。


 人にとって自然が脅威ならば、弓矢で狩られる山の獣たちにとってのヒトはヒトにとっての神だろうか? 行動の裏にある思考が見えず、ときに自分たちの益となりときに害となる。それは一方的であり、個々の個体の努力を超えた大いなる力。


 隼人はそれから我に帰り、村を襲わない代わりに弓矢がほしいと説得し、その要求は聞き遂げられた。村人も、痩せた体に無闇に傷を増やしたいわけではないらしい。


 同族同士の戦いがなくなったとしても、生きるための力はより弱いものに流れるのが道理である。相手が獣であっても、命が一つなくなるのは変わりない。


 農民が育てた作物を略奪するのは許されず、獣を仕留め、血抜きをし、内臓と肉を仕分け、焼いて食べることはなぜ許されるのか。その答えを隼人は知らない。その問いにすら、たどり着いていないからだ。


 鹿の腰に矢が命中した。鹿の軽快な足捌きが乱れ、びっこを引いて、なお走る。しかし、傷ついた鹿は罠を避けられなかった。


「なぁ、こんなまどろっこしいことするなら村人殺したほうが楽じゃないのか?」


「いや、こっちのほうがいい」


 隼人はためらわずそう答えた。




 都は海から遠い。塩漬けにされた魚を洗い、出た塩水を煮詰めてできる二次的な塩は、酒、醤、その他さまざまな食料品に再利用された。


 サトは、よく洗われたとはいえ、塩辛さが残るさばを食している。陽の目を見ることができない、隠された存在であるサトには、残飯めいた食料しか与えられていなかった。


「なんでもええから、次は野菜を食べさせて欲しいもんやねんけどなぁ」


 サトに与えられるのは、肉、魚、魚、肉。もうひと月ほど、草に類するものを食べていない。


「なぁ、教えてくれへんか。なんでウチには野菜がないんや」


 七日に一回来る、気の弱そうな牢番にサトは問うた。気の弱そうな牢番は案の定気が弱かったようで、びく、と肩を震わせたきりしばらく固まっていた。


「ウチが人殺しやとでも、教わったか?」


「それはーー違う」


「なら何を恐れてる?」


 牢番はまた何も言わなくなった。サトはやれやれという風に肩をすくめ、諭すように語り出した。


「あのな、ウチは確かに、草をむしったり掘り起こしたものを、すり潰したり煮込んだり混ぜ合わせたりして毒も爆薬も作るけどな、肉や魚でそれができないと思ってるんか? 例えば滋養強壮にいい鹿茸ロクジョウは鹿の若い角やし、牛黄ゴオウは牛の胆石や。薬になるものは毒にもなる。ウチがなにか悪巧みをするんなら、もうやってるわ」


 それにな、とサトは続ける。


「あんたはウチが人殺しではないとわかってる。そのウチがなんでこの牢にいる? あんたの主は誰や。ホントは、ウチがここにいる本当の目的を知ってるんやろ? 将来役に立つウチを、栄養失調で死なせてええんか?」


 自分に野菜を与えないのは、自分をここに連れてきた人物ではなく、牢番やそれに準ずる下っ端の独断だとサトは感じていた。野菜を食べなければ血が壊れて死んでしまう。だから、半ば脅すように、少しだけホラも混ぜて、牢番の背に詰め寄った。


「…………わかった。上に伝えておく」


 牢番は震えた。サトはほっと胸を撫で下ろした。鹿茸も牛黄も、滅多にお目にかかれない、海の向こうの珍品である。サトに与えられたような質素な食事から、毒は作れない。牢番がそれを知らなかったおかげで、サトのホラはバレずに済んだ


 はずだった。

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