第3話 流れは、せせらぎにて


「サイルーク………オレ、サイルークって言うんだ………」


 水晶を手にしたギーネイは、少年の声で、つぶやいた。

 水晶に願ったのは、自分達の正義を、希望を、未来へと伝えること。

 やり直したい――と。

 自分以外の姿が、自分を見つめていた。

 姿は、赤毛の少年である。

 水の流れでは、鏡のように姿は明確に映ることはない。それでも、ギーネイの顔立ちとの違いは、明白だ。

 髪の色は、水面でも分かるほど、鮮やかな赤毛だ。そして、瞳の色は、おそらくは金色なのだろう。太陽の輝きを水面が反射して、はっきりと色が分かるほど、輝いている。

 顔を上げると、ぼさぼさヘアーの少年が、不安そうにこちらを見下ろしていた。


「サイルーク………おい、どうしたんだ?今回は、記憶喪失になりましたってオチにするつもりか?」


 悪くないかもしれない。

 サイルークと呼ばれたギーネイは、ゆっくりと立ち上がる。その拍子にバランスを崩して、ぶざまに転げてしまう。

 そして、あれほど手にくっついて離れなかった水晶が、あっさり手元から流れていった。

 石ころの癖に、なぜそれほど優雅ゆうがに泳げるのか。そう思うほど、すいすいと、川のせせらぎに任せて、遠くへと泳いでいった。

 ようやくギーネイが顔を上げると、視界から水晶が消えるところであった。

 失くしてはいけないのではと、焦りだす。今の状況は、間違いなくあの水晶の作用によるものだ。

 魔法は、発動したのだ。

 だが、その後がどうなるのか、分からない。今と言う状況を説明できる、唯一の手がかりなのだ。決して手放してはならないと、あわてた。

 もう、消えた。

 自分がどうなったのか、その唯一の手がかりは、川の流れに消えていった。


「まてっ――」


 ギーネイは川に足を取られて、水の世界に戻った。このまま流れに乗っていけば、追いつけるかもしれない。施設では、泳ぎの訓練は受けている。最大距離である十メートルを、泳ぎきったのだ、何とかなるだろうと。

 そして、羽交はがめにされた。

 突然、背中に衝撃が走り、あぶくまみれの、視界が突然さえぎられたのだ。


「ばぁっ――………どうっ!」


 傍観者を気取っていた少年が、今度は必死で、ギーネイを引きとめていた。

 どうせ羽交い絞めにするのなら、最初から抱き上げて欲しかった。そうすれば座れる浅瀬でおぼれるという、お恥ずかしい話と無縁であったのに。

 ギーネイは怒りを覚えつつ、今は水晶を追いかけることで頭がいっぱいで、己の危機を救ってくれたことに、気付かなかった。

 水晶の行方は、もはやわからない。


「どうしたってんだ。演技するなら、親父さんに見つかってからにしろって………」


 ギーネイを羽交い絞めにする、ぼさぼさヘアーの少年は、必死の様子だ。おかげで、ギーネイは自分が危ない状況らしいと、分かりかけてきた。

 それは、わけの分からないまま、手を引かれるままに案内された先で分かった。


「遺跡近くの川は――ほれ、ああなってるんだよ」


 川のせせらぎは、見た目は一本道だった。

 水晶を追うのなら陸の、川の岸辺から追いかけた方がよかったのではないか。

 ギーネイは思いながら、もっと危なかったのではと、考え直す。水晶を追うことに夢中で、目の前を見ていなかったことに、変わりはないのだ。

 川のせせらぎは、とたんに暗闇へと落ちていった。


「………滝?」


 ギーネイは、唖然あぜんとつぶやく。自分が泳ごうとしていた先には、バシャバシャと暗闇に消えていった。


「っていうより、裂け目だな」


 ギーネイを引っ張ってくれた少年は、のんびりと見つめていた。

 滝と、裂け目。どちらの表現が正確なのかは、わからない。ギーネイに分かったのは、あのまま流されていれば、命が終わっていただろうことだ。

 蛇のように、穏やかにのたくる二百メートルほどは、たしかに緩やかなるせせらぎであった。そこだけであれば、子供が遊んでも、問題なく思えた。

 だが、次のせせらぎでは深さが倍になり、そう思った瞬間には、暗闇へと消えていったのだ。

 森の木々にさえぎられては、見逃したに違いない。がさごそと、低木や腰ほどの高さの植物群をき分けると、一直線に、まっ逆さまの亀裂があった。

 いや、ここから地形が大きく変わっている印象がある。巨大な岩石が、山と積まれた、岩石地帯だった。

 まるで、岩石が雨のように降り積もったかのようだ。

 ともかく、危なかった。

 ようやく、ギーネイは自分を羽交い絞めにしてくれた少年に、感謝した。


「遺跡って………洞窟よりたちが悪いらしいぜ。何せ、世界を壊す力が眠ってるかもしれないって話でよ。最初の百年間は、誰も入れないって――」


 ギーネイは説明を受けながら、自分がなぜ、木の根っこを枕に眠ころがっていたのか、分かってきた。

 構造物?

 遺跡?

 岩が、降り積もる?

 ギーネイの脳裏に、様々に浮かび始めていた。

 そう、この地形のおかしさは、岩石が降り積もった地形と言うこと。岩石が降り積もるという現象に、心当たりなど、ギーネイは一つしかなかった。

 ギーネイたちの、敗北の音だ。

 轟音ごうおんが、腹に響く錯覚を覚える、ギーネイにとっては、先ほどまで続いていた現象である。

 そして、遺跡と言う言葉。

 世界を壊す力が眠ってるかもしれない。この、自分を助けてくれた少年が語った言葉と考え合わせて、もう、間違いない。

 ここは、ギーネイたちが暮らしていた、基地なのだ。


「基地の………跡地あとち………百年?」


 ギーネイにとっては、ついさっきと言う出来事である。しかしながら、木々に覆われた岩石地帯が、目の前だ。

 混乱しながら、わずかに得た情報を整理する。

 これほど水が豊かでなかったはずだが、百年と言う年月で、何かが起こっても不思議はない。あるいは、バケモノたちがこの基地を岩で覆ったあと、水浸しにして、トドメをさした可能性もある。

 ともかく、岩石地帯と荒野と砂漠しかないここは、森になっていた。


「ったく、秋まで待てるかっての………ってか、水浸しのところに行くなら、夏の今のうちだろうが………なぁ、サイルーク」


 ギーネイの苦悩を知らず、冒険の興奮冷めやらぬ少年は、話を続けた。

 おそらく、ギーネイが乗っ取った少年サイルークは、ギーネイたちがかつて住まっていた基地の中を探検したのだ。

 話しからすると、どうやら、決まりを破っての大冒険らしい。

 そして、水晶を見つけたのだ。

 まさか、森の中に水晶が転がってあったはずはないだろう。少年サイルークは水晶を手にし、森まで歩いたはずだ。その、サイルークと言う少年は、今はギーネイなのだ。確かめることは、できない。

 水晶へと、記録を残したはずが、なぜ、他人の肉体を、乗っ取っているのかと。

 もっとも、水晶がしゃべるという事態もまた、大変そうだ。

 水晶のまま、落ち着くようにと、サイルークに語りかけていただろうか。いきなり、水晶がしゃべりだすという怪奇現象に、少年は、どのような反応をするだろう。

 驚いた少年サイルークによって、やはり水晶はどこか彼方へと転がり、そのまま眠り続けることになったかもしれない。

 そうであれば、どれほどよかったことか。ギーネイは、どこまでも続くような暗闇をじっと見詰めて、つぶやいた。


「ユーメル先生、確かに未来で目覚めたけど………だけど………」


 失敗していれば、よかった。

 このつぶやきは小さく、隣の少年には聞こえなかったようだ。代わりに心配そうに肩に触れてきた。ギーネイはこの手に、応えることは出来なかった。

 振り向く勇気が、なかったのだ。

 サイルークと言う少年では、ないのだ。


「おい、サイルーク、どうしちまったんだよ。本当に頭でもぶつけたのか?」


 ギーネイは、答えなかった。すでに手の中から失われた水晶が、まだあるかのように、手のひらを見つめる。

 だが、自分はギーネイである。

 本当に、サイルークと呼ばれた少年が頭をぶつけ、一時的に記憶を失った。ただそれだけなら、サイルークと言う少年には、どれほど幸せだっただろうか。親に叱られることは決定のようだが、それでも、その後の人生はサイルークと言う少年のものだ。

 決して、過去から現れた自分、ギーネイのものではないと、知らずに犯してしまった過ちに、ギーネイは押しつぶされそうになる。

 これから、どうすべきなのか。


「………ここ………どこ………って、言えばいいかな」


 誰に対しての問いかけだろうか、ギーネイは自分を、サイルークを心配そうにのぞき込む少年に問いかけた。


「………ところで、キミの名前を聞いていいかな?」


 他人に対する問いかけとしては、失礼だろうか。

 目の前の、サイルークの友人と思われる、ブラウンのぼさぼさヘアーの少年の、信じられないという態度からも分かる。少なくとも、サイルークと呼ばれる少年の口調ではないのだと。

 このまま言ってしまおう。

 ギーネイは、覚悟を決めた。

 十代半ばとは、人の話を聞いて、理解できる年頃だ。全てを理解できなくとも、真実を告げよう。自分の手に負えないと、どこか大人のいる場所に行けば、その先の未来は彼らが決めてくれる。

 ギーネイは、自覚した。

 自分は、何の罪のない子供を、殺したのだと。

 それだけではない、その人生を乗っ取ろうとしているのだと。

 いや、それは済んだこと。これからどうすればいいのか、選ぶための知識を、ギーネイは持ち合わせていない。なら、この時代の人にゆだねるべきだと。

 その答えは、天からの声によって、さえぎられた。


「こんんんっのっ、悪ガキコンビがあああああっっ!」


 お姉さんの、怒りのお声だった。

 まだ名前も聞いていない少年とともに、本能的に、逃げろと走り出す。

 しかし、それは無駄なことでもあった。気付けば蛇の大群にさえぎられた。それは目の錯覚であるが、ごわごわした荒縄の一群が襲ってきた。

 お姉さんが、現れた。

 怒りと、荒縄を背負って。


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