第6話

6.出会い


 天津颯太は鳥取県の小さな商業都市で生まれた。父親は会社員で、母親は保健師をしている。2人ともスポーツは好きで、父親は高校まで野球を、母親はテニスをしていたと言うが、どちらも有名な選手ではなく、現在はたいして運動もしていない。弟が1人いるが、地元でサラリーマンをしていて、高校まではサッカーをしていたが、卒業と同時にやめてしまった。今は趣味でサイクリングをしているが、スポーツはほとんど見る側だ。颯太はというと、小学生の時は弟と同じく、地元のスポ少でサッカーをしていた。田舎では小学生がスポーツをする場合、多くは野球とサッカーである。柔道や剣道などもあるが、両親の勧めでも無い限り、それをやる子供は少ない。さらに田舎の中学では、全校生徒が100人にも満たず、部活動は文科系1種目、体育系1種目しかないところもある。子供にとっては選びようがなく、気の毒であるが、それだけ子供の絶対数が少なく、指導者の数も限られているのである。


 天津家は、両親が共働きである事もあり、とりわけ裕福ではないが、兄弟2人とも経済的には特に苦労することはなかった。普通に両親の愛情を受けて育った颯太と、陸上の出会いは、小学校の時に、地元の小さな大会に出場したことである。サッカーのクラブでも足が速いほうだったので、先生の推薦で「おまえ、やってみろ」と出場させられたのである。颯太の通う学校には、陸上クラブはなく、先生の中でも陸上経験のある指導者はいなかった。ようするに、学校のつきあいの大会にかり出されたというわけである。そのときは100m競争に出場したが、他の子は陸上クラブで練習している子もいて、結果はあっさりと予選落ちであった。ここで、ほとんどの子供は「まあ、しょうがない」と思ってしまうが、颯太は少し違っていた。サッカー仲間の間では足の速さでは負けなかったのに、陸上大会だと負けたことにプライドが傷ついたのかもしれない。

「なぜ負けたのだろう。他の子と自分の違いは何なんだろう」とまず思った。付き添いの先生に

「あの1番だった子はどういう子なの」と聞いてみた。

「ああ、あの子は週に2,3回放課後の陸上クラブで、指導者について練習しているんだよ。まあ、臨時で駆り出された天津が勝てないのは仕方ないだろうな」

「それって、なにか特別な練習とかしてんのかな」

「さあな、奴らはもともと才能があるのかもしれんがな」

先生はそういったが、納得できるまで調べてみることにした。足が速くなる特別な方法があるかもしれない。颯太はさっそく図書館で調べてみることにした。そうしたら以外と足が速くなる方法がたくさんあることに気づく。今まで誰にも教わらず、自己流で走ってきたが、手の振り方、体の前傾の仕方、足の着地の仕方などを変えるだけでもかなり速くなるという。トレーニングの方法も書いてあった。

「これはおもしろい」

これが本当なら、大会前のわずかな期間でも練習したのにと思った。なんだか、誰も教えてくれなかったことや、自分も調べるのが遅かったことで、損をしたような気になる。


 颯太は本を借りて、フォームなりトレーニング法を実際に試してみた。確かに走りやすいし、スピードも出る気がする。小学生ではそれ以後大会に参加することはなかったが、週に2,3回は自分なりのトレーニングを続けてきた。

 地元の中学では独自のトレーニングの成果も見たくて陸上部に入部した。部活の先生に言わせると、入部時の颯太は飛び抜けてすごい選手ではなかったという。それでも颯太は陸上部で、先生にも相談しながら、自分なりに工夫して練習を積んでいった。100mのタイムも体の成長につれて伸ばしていった。しかし、しばらくして、この先短距離では勝負にならないと思った。努力をすれば、もう少しタイムは縮められるだろう。ただ、これからどうやっても県大会のレベルくらいにしかならないだろうと思った。やはり短距離は持って生まれた才能によるところが大きい。颯太がこつこつタイムを縮めても、才能のある子は、颯太のはるか上から記録を出してくる。先生の指導もあって、短距離はあきらめて中長距離で勝負しようということになった。指導した先生も颯太に長距離の才能を見出したわけではなく、短距離よりは努力の比重が大きい中長距離でやらせてみようと思ったに過ぎなかった。そういうわけで、この時点ではこのまま田舎の部活動少年で終わるかと思われた。しかし持ち前の負けず嫌いと、あきらめの悪さ、指導されたことの吸収の早さで徐々に1500mや3000mのタイムを縮めていく。中学3年生の時は、鳥取県の県大会で、優勝するなど、そこそこの結果を出すまでになった。だが、地元の高校に進学した時点では、それでもまだ、全国的には無名に近い選手だった。何せ鳥取県は、人口も少ないせいか、スポーツの有名校は少ない。それゆえ指導者の数も、質も限られていた。たとえ県の大会で優勝しても、47ある都道府県の一つでの優勝だ、全国に行くとそれでは予選も通過できないことになる場合も多い。そんなわけで、中学時代は、全国の陸上関係者で天津颯太の名前を知るものはいなかった。


 しかし、高校に入ると、颯太は持ち前の探求心で、アフリカの選手など外国人の走り方や、練習方法について独自に研究をし出す。効率の良いフォームは?筋肉の付け方は?練習方法は?独学ながらあらゆる面で情報をあさり、研究した。練習ではだらだらと時間をかけない。短時間でも集中して、自分に厳しい練習をすることを心がけた。そうして高校生でも徐々にタイムを縮めていき、高校3年のインターハイで、5000mを14分10秒のタイムで優勝するまでになった。さすがにここまで来ると全国の大学から注目されることとなった。箱根駅伝で有名な常連校からも勧誘が来て、颯太はその中から新陽大学に入学した。


 新陽大学では2年生の時に、箱根駅伝1区の区間賞を獲得する。しかし、この後は快進撃に陰りが見えてきた。関東の大学の長距離選手は、個人的な記録よりも駅伝で走りたいと希望してくる選手が多い。特に箱根駅伝を走るのは最も大きな目標だ。そのため大学でも駅伝のスケジュールに合わせて練習し、チームワークを重んじる。従って、全体練習が多くなり、個人よりも「チームのために」が優先される。それはそれで大切なことであるが、これまで独創的な練習と、ランニングフォームの研究でタイムを縮めてきた颯太にとっては、この大学陸上界の体質はなじみにくいものであった。3年目の箱根駅伝は故障で出られず、4年の最後の箱根は出場したが、区間4位で、パッとしないものであった。


 大学3年後期からは就職活動もしないといけないので、授業の合間などに就職先を検索したりしていた。問題はその会社に陸上部員としていくか、普通の社員としていくかである。陸上部員として入社するのであれば、大学時代にインカレなどでそれなりの成績が必要である。例えば長距離であれば、10000mで入賞はしておきたい。実績があれば、そこの監督さんなどが会社で会ってくれたり、スカウトに来てくれたりする。颯太の場合はトラックでも比較的実績を上げていたので、いくつかの会社から連絡が来ていた。その中で神奈川電算を選んだ理由は、練習方法について、選手の意見を聞いて、比較的自由にやらせてくれるからであった。


 自由にやらせてくれるということは、イコール楽ではない。まあ、トップの選手が集まる中で楽をしてしまえば、まちがいなく成績が上がらず、選手としては終わることになる。自由には責任が伴い、自分でしなければいけないことも増える。自由であればあるほど不自由になるという矛盾がでてくるのだ。しかし、颯太はそれをプラスと捉えた。何でも自分でやるのではなく、人の意見は常に聞くことにした。その上で自分に必要なことを考える。アドバイスをしてくれるコーチなどには常に話し合って、自分の考えを言って、相手の意見を取り入れない場合も、コーチに丁寧に説明した。


 神奈川電算の陸上部に入り、自主的に動ける範囲が広がったことで、颯太は水を得た魚のように、また息を吹き返した。独自の練習も復活させ、長距離の中でもマラソンを中心に活動することで、徐々に頭角を現してきた。フルマラソンでも、すぐに「サブテン」と言われる2時間10分を切るタイムを出した。その後も自らの努力と研究で2時間7分台まで記録は伸ばした。しかし、社会人の世界は、大学とはレベルが違う。例えば10000mの記録では、大学生で27分台の記録を持っている者はごくわずかしかいないが、社会人だとごろごろいる。大学ではエース級でも社会人では駅伝のメンバーにさえ選ばれないこともあるのだ。大学生からすると化け物だらけの世界で、トップレベルにいるということは並大抵のことではない。そういう中で、MGCの予選で結果が出せなかったことで、颯太の前にまたしても立ちはだかる見えない壁が出現した。颯太は、「これまでのやり方ではだめだ」と感じ、これを乗り越えるため、今の自分の殻を打ち破る必要に迫られていた。


 神奈川電算陸上部にコーチ承諾の電話を入れてから1ヶ月後、大野は神奈川電算で吉田と会っていた。

「吉田さん、今日からお世話になります。よろしくお願いします」

「大野君、待ちかねたよ。これからよろしく頼むよ。早速だが、君には天津颯太と江口勝を担当してくれないか。本人たちには話してある。天津のことは知っているだろう。江口は今年入ったルーキーだ。それでいいかな?」

「分かりました。よろしくお願いします」

その後大野は、競技場で練習している天津と江口に声をかけ、練習後に話がしたいと告げて、それ以降は黙って2人をじっと観察していた。練習後に今日は天津、明日は江口と話す予定である。2人を分けたのは、むろん個別に目標とか練習方法について聞いておきたかったし、話がどれだけ長くなるか分からないからであった。コーチをする前に選手と徹底的に話し合って、納得できるように練習方法、目標などを決めていかなければならない。


 その日の練習後、大野は天津と向かい合った。

「天津、君の走りは見せてもらったよ。この1ヶ月の間に、ここの陸上部みんなの記録と、最近のマラソンのビデオはだいたい見せてもらった。今日も走りを見ていたが、君はいいフォームで走るね。無駄がなく、重力さえも利用して体重移動をしていく。長距離選手としては理想的なフォームだと思うよ。しかし、今の調子は絶好調とはいえないようだね。まあ、その原因分析は後ほど話すとして、今度君のコーチをすることになったわけだけど、最初に聞いておかないといけないことがあるんだ。そうでないと今後の計画ができないからね。もったいぶってもあれなので、ずばり聞くが、今の君の目標は何だい?」

颯太はいきなりの質問に戸惑ったが、しばらくの沈黙の後答える。

「目標と言っても、MGCにも出られないので、はっきりとした物は、今は考えていません。ただ陸上は、このままやめたくないです」

「確認するけど陸上を続けたいというのは、競技者としての陸上だよね。だったら、国内の大会、いや世界の大会で優勝するのが目標と思っていいのか」

「優勝・・・ですか」

「競技者なら、優勝目指してやるのが当たり前じゃあないのか?他にどんな目標があるというのかね」

大野の言葉を聞いて、颯太は、自分が本当に優勝を目指してきたのかと思いかえした。国内の大きな大会での優勝はまだない。まして世界を相手に優勝など夢のような話だと思っていた。もちろん、最近までオリンピック出場を目指してやってきた。それには主要大会で“日本人1位”を目指すことが条件だ。日本人1位でも、イコール大会の優勝ではない。最近では、国内でも大きな大会は、アフリカ勢をはじめとする外国勢にほとんど優勝はさらわれている。現時点で日本人と外国勢の間には、選手が初めから無意識にあきらめるだけの差があった。それを納得してしまえば「負け癖」が付いていると言われても仕方が無い。このままあきらめたままでいいのか・・・本当に俺は、天才といわれる奴らに勝てないのか?日本人はアフリカ勢に勝てないのか?始めから無理だと決めてしまっていれば、それを覆すことは不可能である。「俺はそういう見えない物を壊してここまで来たんじゃあないのか」そして中学生の時から、次々と立ちはだかる壁を乗り越えてきた颯太のプライドが言った。

「大会に出るからには優勝を目指したいです」

大野がわざわざ選手に「1番を目指す」と言わせるには訳がある。どのスポーツの世界でも1番になるつもりでやらなければ、決して1番にはなれないと大野は思う。奇跡だ、番狂わせだと世間は言うが、一流になればなるほどまぐれは少なく、実力がそのまま勝敗につながると思っている。プロボクシングのチャンピオンのなかに、まぐれで勝ち続けたやつなんていないだろう。テニスのウインブルドンで、実力も無いのにチャンピオンになった者が、長い歴史の中で1人でもいたのだろうか。下馬評と違ったりするのは、その人の評価を見誤っているだけだ。1番になるにはそれにふさわしい実力が必ず伴っていると大野は思っている。ただし、実力があっても運が悪くて1番になれないことはよくある。例えば、不慮の事故でけがをしてしまった場合や、実力的にはほぼ互角でも、相手がその日に限って絶好調だった場合などである。1番になれるのは1人であるが、その資格を有している者は1人とは限らない。実力が拮抗している場合は、時の運など見えない力が働くこともあると思う。


 よくオリンピック代表を勝ち取った選手が、「メダルを目指して頑張ります」と言うが、その考えでは厳しいかなと思う。もちろんオリンピックに出場するだけでも立派なことだし、メダリストとなれば、本当にすごいことだと思う。しかし、「メダルを目指す」というと、初めから「なんとか銅メダルを」と聞こえてしまう。銅メダルでもよいが、それには「金メダルを目指してやって、その結果銅メダルだった」くらいでないとオリンピックのメダルは取れないのではないかと思う。そういうわけで選手には「優勝する、1番になる」と思って練習し、試合に出てもらいたい。それが結果を出す第一歩と大野は考えていた。

「分かった。それじゃあ、優勝するために、今の自分に欠けていることはわかるか」

大野はむろん颯太の欠点は把握していたが、できるだけ自分で分析するように颯太の答えを待った。こちらで全部指摘しても、「いや、それは違う」と納得ができないこともあるだろう。コーチとしても選手の感覚とあまりに食い違えば教えていくのも難しくなる。それにあいつは相当な理論派で、これまで自分でフォームや練習法を工夫してやってきたはずだ。自己分析もある程度できているだろう。

颯太は、マラソン後半の失速だとか、10000mのスピード不足などをあげた。

「じゃあ、その足りない部分を克服するためにどうしたらいいと思う」

また、次から次に難しい質問をするコーチだ。

「はっきり言って分かりません。走り込み、基礎トレーニング、スピード練習はやっていますが、足りないのでしょうか」

「俺の考えを言っていいか。天津、おまえはマラソンの後半にフォームが崩れる。素人目にはわからない程度だがな。そのため後半、特に30㎞からスピードが落ちることが多い。後半は軽度の前傾姿勢であったフォームが、わずかに立ってしまうんだ。そうするとスピードが上がらないため、ピッチを上げようとし、最終的には手を振って補おうとする。しかし必死に手を振っても、スピードが続くのはせいぜい500mだ。必ず失速する。42.195kmを変わらないスピードで走るには、どうしたらいいか。それには、必要条件として、前半も後半も同じフォームで走れることだ。それは当たり前のように思えるが、実はそれが最も難しい。特に時速20㎞で2時間以上走るとなるとな」

颯太からの質問がないため、大野はなおも続ける。

「最近の外国人ランナーは、極端なペースの上げ下げをすることもあるが、俺はそれに付き合うことはないと思っている。1㎞を2分40秒で走ったとしても、長くは続かない。それよりも1㎞を、3分を切るペースで最後まで行くことが大事だと思う。これができるためには、俺は体幹の筋肉、つまり腹筋、背筋、殿部の筋肉を地道に、徹底的に鍛えるしかないと思っている。具体的には広背筋こうはいきん腹直筋ふくちょっきん外腹斜筋がいふくしゃきん腸腰筋ちょうようきん大殿筋だいでんきんだ。これらの筋肉を2時間動かせるようにするんだ。これができれば2時間の間安定したフォームを保つことが可能になり、今まで見たことがない世界に行けると思う」

1㎞を、3分を切るペースで、フルマラソンを走り切った日本人ランナーは1人もいない。すなわち、それができたのなら、マラソンの日本記録になるだろう。そんなことが可能なのか?しかもこの俺に・・・

大野が言っているのは、全く新しいことではない。体幹の重要性は選手でも皆知っているし、颯太だって腹筋などの筋トレをしていないわけではない。むしろやっている方だと思っていた。その基礎トレーニングをすれば、日本記録?大野の話は颯太には現実味が薄いように思えた。基礎トレーニングの大切さを訴えるコーチは多い。むしろ皆言っているといってもよい。

「こんなことで本当にいいのか」颯太は思ったが、それを見透かしたように大野は言う。

「意外だったかい?そんなことは常識で、すでにやっていますと。だが、俺のやり方はランニングの片手間にするのではない。むしろランニングの時間を削ってでも、筋トレを重視するやり方だ。アフリカ勢と日本人は、体型が違う。残念ながらアフリカ系の選手は生まれつき走りやすい体型をしていることは否めない。そいつらに対抗するにはどうしたらいいか?」

「このおっさんはアフリカ勢にも勝つ気でいるのか」颯太は心の中でつぶやいた。

「今の日本の長距離界での風潮は、とにかく「走って,走って、走りこめ」だ。1ヶ月に800kmも1000kmも走りなさいという流れになっている。しかし、そうやってきて外国人勢力に勝てたか?そのことで逆に故障も多くなってきていると俺は思う。残念ながら、今の方法ではどれだけ長く走っても外国勢に勝つことは難しいだろう。じゃあどうするか?俺は、まず外国人に挑戦できるだけの体を作ることが第一段階と思う。いくら走り込みをしても、土台ができていなければ、けがをするのが落ちだ。無理して走ってけがをしてきた選手を何人も見てきたからな。まずは基礎となる体をつくる。そこをすっ飛ばしては、勝てる目はないと思う」

「まあ、今言ったことは前提だ。それで体幹の筋肉を鍛えて、とりあえずは外国人と張り合えるところまで来たとしよう。しかし、それだけではまだ勝てない。あいつらは持って生まれた足の細さだったり、心肺機能の高さなども持ってるからな。じゃあどうすればよいか?俺は、日本人がアフリカ勢にも勝つ唯一の道は、日本人の特性を生かすことだと思っている。日本人の走りで対抗するんだ」

「日本人が優れている特性ってなんですか」颯太は聞いた。

「それはな、“まじめさ”と、“工夫”だよ」

「まじめって、粘り強く走ることですか」

「そうではない。地味で、根気がいる練習を、毎日毎日手を抜かずに続けられるかということだ。アフリカ勢と同じ練習をしても勝てない。だったら練習でも質を上げることだ。さらに、これが肝心なんだが、ただ走るのではなく、できるだけ効率的に早く走る方法を見いだす必要がある。それが“工夫”だ。日本人に適した無駄なくスピードが出る走り方を作り上げなければならない。いわゆる省エネで速く走る走り方だな。天津、おまえのフォームはその走りにだいぶ近づいていると思うよ。だから俺はおまえに期待している。いずれにしても、そのフォームを作り上げ、最後まで保たねばならない。それには、持久力のある体幹の筋肉をつくることが最優先だ。誰にも負けない体幹の筋肉を作るには、単調な練習を、時間をかけてするしかない。俺は地味でつらい練習を手抜きせずにできるのが日本人と思っている。まあ、すべての日本人がそういう忍耐を持っているわけではないがな。それができれば、おまえのマラソンは変わると思う。天津、おまえにできるか」

ややあって、颯太が答える。

「やるもやらないも、今のままでは、何もできず引退です。ぼくのコーチはあなただけだし、今の話には大体納得できました。それならやってみるしかないでしょう」

「よし、それじゃあ、まず、目標を決めるぞ。とりあえずの目標は世界陸上出場だ。そのために、東京マラソンで優勝する」

いきなりの大風呂敷を広げた大野であったが、可能性は天津次第だ。真剣に取り組むことができれば、世界陸上に連れて行ってやる。大野は本気でそう思っていた。

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