第5話

5.藤田食品株式会社


 天津さやかは、都内の中堅食品会社「藤田食品」で働いている。この会社はテイクアウト中心のお弁当を作っている会社で、コンビニ弁当よりも値段はやや高いが、素材は良い物を使い、より手作り感が高いことが売りであった。さやかはその藤田食品の商品開発部に所属していた。食品開発部は、新商品(メニュー)を作り出すことが主な仕事で、この手の会社では、会社の頭脳とも言うべきセクションである。この業界は、どの会社もヒット商品があり、長きにわたって不動の人気となっている商品を持っている。逆にそういう看板商品がなければ、その会社はいずれ淘汰される運命にあるのだ。コンビニ業界の弁当やおにぎりの開発が最も熾烈しれつで、おにぎりなどは大手の各社とも10種類程度品数がある。その中で、定番の梅干し、昆布、鮭などは常に人気が高いので不動なのであるが、その他のおにぎりは毎月のようにめまぐるしく変わっていくのである。多くの客は定番の物を好むが、たまには違う物を食べたいと思う客や、新しいものを求める客もいて、開発は常に続けていかねばならない。ただ、さやかの会社でも新商品は毎日出てくるかと言えば、決してそうではなく、開発部が毎日考えて、試行錯誤しても、新商品はせいぜい1ヶ月に1つあるかないかというものであった。また、その新商品も実際に売り出したらあまり客うけしなかったこともあり、その場合は2か月程度で打ち切りになる。多少売れても、その商品がロングセラーになるのは、年に1つあるかないかという極めて稀なものであった。


 藤田食品でも新商品が世に出るには高いハードルが何個もあった。例えば、さやかがある弁当を考案したとする。それを開発部全員が見て、食べて意見を言う。そこで改善点を言われ、やり直しならまだましで、いきなりボツもある。運良くそこを通ったら、今度はパッケージや宣伝なども行う企画部、営業部全体の会議にあげられ、ふるい落とされなければ、ようやく月に1回だけ開かれる、社長を含む会社の本会議にかけてもらえる。そこでの意見を聞いて、最終的に社長が「よし」と言えば晴れて商品化にこぎ着けるわけだ。大まかに言って、仮にさやかたちが100個の試作品を出して、それを商品化に向けて提案しても、最終的に社長がオーケーを出すのは1つか2つという狭き門であった。いくら開発でアイディアを出すのが仕事と言っても、そうそう斬新なものが毎日毎日出るわけもなく、1日考えても何も出ないことも多い。だいたい日本の弁当業界は、何十年も前から様々な弁当を生み出してきていて、もうこれ以上何があるのかと思う時もある。しかもあまりに奇をてらったものだと、一時的には売れても、すぐにあきられてしまうのは目に見えているので、たいていは本会議まで行かない。それでは開発部は大して仕事をしていないのかというと、そうでもない。さやかたちは、全く新しい商品ではなくても、例えば唐揚げ弁当の付け合わせのポテトサラダとか漬物とか、マイナーなチェンジは時にあるので、新商品が出なくても仕事がないというわけではないのである。

 「いよいよね。やっとここまで来たんだからがんばろう」

さやかは、同じ開発部の川田綾乃かわだあやの斎藤直美さいとうなおみとともに気合を入れた。この日は久しぶりにさやか達の開発した弁当が、開発部、企画部を通って、いよいよ商品化が決まる本会議まで通過してきたのである。さやかの弁当は、レタス、キュウリ、ミニトマト、ナッツ、鶏肉のささみ、ゆで卵などをプラスチックのボールに入れた野菜サラダ弁当である。鶏肉のささみ、卵が入っているので、タンパク質はまあまああるが、炭水化物はほとんどないと言っていい弁当であった。しかし、若い女性を中心に、炭水化物をとらないダイエットがブームで、このような料理を食べる人は意外と多い。社長を始め重役たちがそろった会議でさやかがプレゼンテーションを行う。

「今回提案したいのは、野菜サラダ弁当です。とりあえず“サラダボール弁当”としてください。コンビニのサラダより2倍以上も大きく、かつ野菜や卵は契約農家さんを通じて、厳選した素材を使っていこうと思います。主なターゲットは若い女性ですが、最近はダイエットを考える男性もこのようなサラダを食べる傾向にあります。コンビニのサラダは付け合わせ的な要素が強いですが、これは主食にすることを考えています。このような弁当は、うちのような弁当屋では出したことがほとんどなく、画期的ではないかと考えています」

その後会議室のみんなで提案されたサラダボール弁当を食べる。その後は質疑応答だ。

すかさず営業部の部長が異議を唱える。

「しかし、このほぼ野菜だけの弁当に1000円以上も出す人がいるのかね」

「素材を厳選し、野菜はとれたてのものを使っています。当日中に売れ残ったのなら廃棄にするしかありません。そういうことも含めてこの値段がぎりぎりだと思います。今の若い女性は夕食でこういう食事をする人も多いので、高すぎることはないと思います」

「毎日同じ野菜だと飽きるのじゃあないか」

「野菜は季節ごとに旬なものを取り入れて変えていく予定です。それにドレッシングは、和風、イタリアンから選べるので、女性からは支持されると思います」

その後、特に意見は出ず、司会役の専務が

「よろしいでしょうか。それでは皆様の意見をうかがいます。この「サラダボール弁当」新メニューに賛成の方は挙手を願います」

祈るような瞬間だった。賛成の手を挙げてくれたのは、会議に参加した15名のうち、8名であった。比較的若い社員、女性社員は手を挙げてくれた。なんとか過半数は取った。しかしまだ決定ではない。結局社長が「うん」と言わない限り商品化されることはない。たとえ社長以外の全員が賛成しても、社長がダメだといえばボツになる。理不尽だが、そう決まっている以上どうしようもない。その肝心な社長の藤田正光は、会議中ずーと、さやかのサラダボール弁当を食べていたが、箸を止めておもむろに言った。

「そうだなー。新しい路線ではあるが、今のままでは、楽しみがないというか、ダイエットのために我慢して食べているって感じなんだよなー。うちがつくるのであれば、せめて食事の時間は楽しみであってもらいたい。それが感じられないものは商品化できないな」

厳しい言葉であった。もともと藤田社長のような中年男性の趣向にあう弁当ではないと思われるが、しかし、藤田社長の言うことは正論だった。プレゼンが終わり、うなだれて退席しようかとするさやかのチームに藤田は声をかけた。

「しかし、この会議で過半数の賛成をとったことは間違いない。他にないコンセプトであるのでこのままボツにするのは忍びないと思う。そこで、改善点を修正すれば、サラダボール弁当の再挑戦を認めよう」

「はい!ありがとうございます」

絶望の中に一筋の光が差した瞬間であった。


 「ねえ、さかか。それでどうするの?」

さやかと同じ商品開発部の川田綾乃が話しかける。川田はさやかと同期入社でもあり、仲がいい。このチームで考えた弁当はなんとか商品化したいと思っていた。

「そんなの、まだわからないよ。でもこういう弁当は、ある程度需要はあると思うんだけどなー。レストランにわざわざ行かなくてもこれだけの物が食べられるんだよ。いいと思うんだけど、何がたりないかな」

「社長は、若い子の食べものの好みなんて、わかってないんじゃあないの」

やはり同じ部署の斎藤直美が不満げに口をはさんだ。さやかが答える。

「そうかもしれないけど、社長の言うことも一理あるんだよねー。なにかもう一工夫ないとヒット商品にならないというか」

社長は「食事が楽しみにならなければいけない」と言ったのだ。そこが改善点のヒントになるはずだ。

「ローストビーフなんか、思い切って乗せちゃえばいいんじゃない。高級感上がるし」

「そういう手もあるかもしれないけど、ダイエットを考える人は逆に離れていっちゃわないかな。それに値段も上がるし」

「じゃあ、パスタなんかをちょこっと付けたら?」

「そういう弁当にしたら、他社の商品と、どこが違うのか分からなくなるよ。あの社長を納得させることはまず無理ね。こんどこそボツになるのが目に見えてるわ」

安易なところに逃げ込もうとすれば、コンセプトがなくなり、カスタマーから見放される。3人ともそれがわかっているだけに、難しい課題だ。やがて川田が思いついたように言った。

「ドレッシングを2つ付けるのはどうかしら?今の和風、イタリアンに加えて、フレンチ、ゴマ、サウザンアイランドを付けて5つのうち2つを選んでもらうようにするの。味が変わっていいと思うんだけど。変えたくない人は同じのを2つ選べばいいんだし」

「それは、いいアイディアかもしれないわね。じゃあそれ採用」

サラダボール弁当は少しだけ進歩したように見えたが、さやかは社長を納得させるにはまだ不十分と考えていた。

「でも、これだけじゃあ、きっとだめだわ。もっとコンセプトは曲げず、食べることが楽しみな弁当。そういうのをめざさないとだめよ」

しかし、さやかは自分で言っていて、そんなものがあるのか懐疑的かいぎてきになっていた。

まあ、カロリーを抑え、ヘルシーで、低価格、それでいて満足感もある弁当。いわば矛盾だらけのようなものが本当につくれるのか。その日は、会社では答えが出ずに帰宅の途についた。


 さやかはその夜の夕食に、余ったサラダボール弁当を颯太に食べてもらっていた。さやかは管理栄養士の資格もあり、弁当屋の開発もやっているだけあって料理は得意である。結婚して、その味に贅沢にも慣れてしまった颯太は、最近は料理の感想もほとんど話さなくなっていた。今日もテレビを見ながら無言で食事を食べている颯太にさやかは話しかけた。

「ねえ、そのサラダ、どう?」

「サラダ?ああ、うまいよ。いろいろ野菜やナッツなんかも入っていて豪華だね」

「それ、うちの新商品の試作品なんだ。どうかな」

「へえー、いいんじゃあない」

「うーん、そうじゃなくて、どこがいいのか、どこを改善すればもっと良くなるかとか、そういうのないかなー」

「いや、今のままでもうまいよ。まあ、ぼくとしては肉とかラーメンが付いていたほうがいいと思うんだけどね」

聞いた相手がまずかったかもしれない。颯太は陸上選手であり、食事のカロリーやバランスには気遣っていて、決して一度に大食いはしない。走るためにタバコはもちろん吸わないが、アルコールもほとんど飲まない。従って、外食してもコース料理や、アルコールの入る居酒屋などには行かず、せいぜいファミリーレストランくらいで、デートしているときも食事に関してはあんまり面白みがなかった記憶がある。颯太にとって、食事は味よりもエネルギー補給の意味が大きいかもしれない。まあ、素人に今の課題を打開するような画期的アイディアを求めるのは無理か。「何か悪いこと言ったかな?」というような顔をしている颯太の前で、さやかは小さくため息をついた。

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