第四話 青栖池の悪夢

青栖池の悪夢 1

 名取と出会ったノクターンの夜会から数日が経ったある日、ひばりはフラン・フルールのカウンターで項垂れていた。

 天板の上には、恋のまじないがかけられた編みかけのブレスレットが無造作に放り出されている。


 不覚にも名取の手で強制的に夢の中へ放り込まれてしまったあの夜。目が覚めると賢楼館の一室にある横長のソファーで横たわっていた。

 側にはノリスが控え、体調を気遣ってくれたのはいいが、名取のことを根堀葉掘り聞かれて辟易した。どうやら名取が部屋まで運んでくれたらしい。

 だが、何を聞かれたって、ひばりに答えることはできない。魔術師で、錬金術師で、副理事と関係が近そうな、それでいて猫のような奔放さを持った美しい男だったということしかひばりにはわからないのだ。

 なんとなく事を荒立てたくなかったので、名取の名前と、何かしらの魔術によって眠らされたことは伏せておいた。


 池の畔で休んでいたら見知らぬ男がやって来て、話しているうちに疲れて眠ってしまったということにした。

 嘘では無い。副理事長との一件で疲れていたのは事実なのだから。

 ノリスは不満と疑惑を持った視線を向けてきたが、ひばりはできるだけ刺激を与えないようにのらりくらりと躱したのだった。


 その後は夜会へ戻り、魔法薬学に精通した魔女から珍しい魔草の情報を聞いたり、摩研の研究員と魔術具談義をしたりと忙しなくしていたが、魔道具について詳しい知識を持った者はいなかった。副理事長である伏見もいつの間にか帰ってしまったらしい。

 それに、名取の姿も見えなかった。煙の様に消えてしまったのだ。謎多き男である。錬金術について指南を受ける約束を取り付けたかったというのに。


(マルスリーヌって誰なんだろう。資格って、一体何の資格なんだろう)

 名取の言葉を反芻し、ひばりは眉間にシワを寄せながらぐるぐると思いに暮れていた。一人で考えてもわからないことなのは間違いないのだが、誰に相談したらよいものか、ひばりは考えあぐねいていた。


「ひばり様、今日は一段と悶々としていらっしゃいますね。アンニュイな表情もとても素敵です」

「うん、ありがとう」

 普段なら小言のひとつでも言いたくなるようなリヒトの過剰な賛美に適当な相槌だけで全く動じないひばりに、リヒトの心配は大きくなる。店の奥の簡易キッチンでコーヒーをドリップしながら、横目でひばりの様子を伺っていた。


「やはりあの男の言葉は気になりますか」

「そうね…キーワードだけたくさん残して、ぱっといなくなちゃった。変な人」

 手の甲に視線を落として、ポツリと言葉をこぼす。ふにふにとした唇の感覚が、今でも鮮明に思い出せる。かけられた魔術のトリガーは、いつ引かれるのか。


「あの人、魔道具のこともよく知っているみたいだった。あなた達が私の血に住み着いていたなんて知らなかったわ。なんとなく感覚で、私の体のどこかにいる気はしていたけど」

「正直、私もよくわかっておりません。ひばり様の感情や感覚を自分も体験しているのですが、私がひばり様のお身体の中でどのような状況で居るのか、知りようもないのです」

「あなたでもわからないの。それなら、私にもわかるわけがないわね。仕方ないわ」

 眉を八の字にして笑うひばりに、リヒトはただ黙って淹れたばかりのコーヒーを差し出した。

「ありがとう。私、リヒトが淹れてくれるコーヒー好きよ」

「もったいないお言葉、ですね」

 淹れたての熱いコーヒーを慎重にすすり、ひばりはほうっと息を漏らす。

「次に名取さんに会った時は、縛り付けてでもいろいろ聞き出してやるわ。きっと、私が知りたいことも、なにか知っている気がするの」

「その意気でございます」


 ひばりが気を取り直し、作りかけのブレスレットの続きを編もうと手に持った時、カガミが店に飛び込んできた。


「カガミ? どうしたの? 何か見つかった?」

 今日は町に野生の魔草が流れ込んで来ていないか、カガミにパトロールを頼んでいた。森や川に魔性のものが誤って定着してしまうと、辺りの生命力を吸収してしまい、生態系を壊すことになる。箱守家はそれを防ぐために定期的に見回っていたのだ。


 カガミはそわそわしながらリヒトの袖をくんっと引く。そして見てきた事を伝えるように口をぱくぱくさせながら身振り手振りでリヒトに何かを訴えかけている。

「それは本当か? 間違いないか?」

 リヒトの表情は剣呑なものに変わり、問い詰めるようにカガミの肩を掴んだ。

 カガミはビクリとし驚いた様子だったが、すぐにこくこくと頭を縦に振った。


「ひばり様、お支度願います。青栖池あおすいけに魔草です。それも大量の魔草が確認できたそうです」

「わかった。ガラジ、店番お願い」

「かしこまりました。ひばり様、どうかお気をつけて」

 ひばりはカウンターの上で黙って成り行きを見守っていたガラジにそっと触れ、少し多めに魔力を流し込んだ。


 *

 軽装に着替え、店を飛び出すと、ちょうど学校から帰宅中の日和と出くわした。

「あれ、姉さん、どこか行くの?」

「青栖池に魔草よ。ママに知らせて」

「え、魔草が出たの!? 母さん今日仕事で東京だよ。俺も行く」

「リヒトとカガミも一緒だから一人で大丈夫よ。それよりガラジに店番頼んじゃったんだけど、日和君、手伝ってあげてくれる?」

「わかった。荷物を家に置いたらフラン・フルールに行くね。姉さん、無理は禁物だからね」

「はぁい。それじゃ、行ってくるね」


 ひばりは日和に向かってぶんぶんと音が聞こてくるほどに大きく手を振った。


 青栖池までは走って20分もかかる。初夏のじめっと湿った風が、この後起こる厄介な出来事を知らせてくれているかのようだった。

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