集う魔性 運命の遭逢 4

 ひばりは突然掛けられた声に驚き、ぱっと顔を上げ目を注いだ。

 いつの間にか傍らにしゃがみ込んでいたのは、赤みがかった柔らかそうな髪に、色素が薄い三白眼が印象的な男だった。長袖のシャツの袖をたくし上げ、額に少し汗が滲んでいる。よく見ると、まなじりに目の輪郭に沿って黒子が2つ。右側の口角を僅かに上げ、どこか余裕のある表情をこちらに向けていた。

 綺麗な人だな……儚げで夜が似合う、まるで睡蓮みたいだと考えながら、じっと男の顔を見つめる。


「おーい、聞こえてるかー?」


 ひばりの顔の前で手のひらをひらひらと振り、顔を覗き込まれる。整った顔立ちがぐっと近づき、ひばりは思わず半身後ろに仰け反った。

「は、はい、すみません。少し驚いてしまって」

「よかった、俺の事見えてないのかと思った」

 ははっと苦々しく笑いながら、柔らかそうな髪をくしゃくしゃと掻き、男はもう一度ひばりの顔を覗き込んだ。ひばりは照れくさくなってふいっと視線を池の水面に写った自分に戻し、すみません、と男に聞こえるかどうかわからない程の小さな声でつぶやいた。

「どこか具合でも悪い?」

「いえ、そんなことは……ちょっと疲れてしまったので、新鮮な空気を吸いに来たところでした」

「あぁ、そういや伏見の奴に絡まれてたな。奴の相手は疲れる」

 魔研の副理事のことをずいぶんフランクに呼ぶのだな、と少し驚いたひばりは、つい男の顔を見てしまったが、すぐにまた目を反らした。

「見てたんですか」

「注目の的だったよ」

 副理事が若い女性と何やら言い争いをしている、と会場中の視線を一気に集めていたことを知ったひばりは、顔をしかめた。できるだけ目立たぬよう会場の端をキープし、壁の花に徹していたというのに、伏見とのやりとりで台無しになってしまったのだ。

 ひばりは膝を抱え込み、深い溜息を吐いた。

「俺も地下の空気に酔ってきたからちょっと息抜き。ご一緒しても?」

「どうぞ」


 男はひばりの傍らにドカッと座り胡座をかくと、首に掛けた大きなオパールの付いたループタイを弛めてから胸元のボタンを2つ開けた。

 ゴルフボールのような白い球をズボンのポケットから取り出し両手で包むと、玉は仄かに光を放ち始めた。恐らく魔術具だろう。それをひばりと男の間に置いて微笑を浮かべた。

 ひばりは、隣で男が深い呼吸をし、ただ池を見つめていることに何故か心が安らぐ感覚を覚える。


「優しい灯りですね」

「実は虫除けも兼ねてるんだ。おかげで蚊に刺されなくて済む」

「それは便利」

「だろう? いつも持ち歩いてるんだ」


 夜会を抜け出し、池の畔でぽつりぽつりと話しながら肩を並べている。どういう訳か警戒心なんてものは働かず、隣にいることを許している。


 ――不思議な人。

 ひんやりした空気が漂う夜の庭園。絢爛豪華に咲き誇っていた花達はその美しい花弁を閉じ、眠りについている。遠くでクラクションが鳴り、池の淵に佇んでいた蛙がぴょんと水に飛び込んだ。水面には小さな波紋が広がり、次第に小さくなっていく。


「そういえばまだ名乗ってなかったな。俺は名取一紗なとりかずさ。魔術師であり錬金術師もしてる」


 錬金術。何かをにえとすることで、同等の価値のものを錬成する知識。それは精霊や自然の力を借りることで成立する魔術とは似て非なる知識であり、ひばりが今一番興味を持っている学問だった。ひばりは胸を鷲掴みにされた気分で瞳をらんらんと輝かせる。


「錬金術ですか! 素晴らしいです! 私もすごく興味があって、ママ――師匠から教えを請うているところなんです! 鉱物錬成も楽しいんですけど、個人的には植物錬成にすごく惹かれるんです。でも師匠はあまり乗り気じゃなくて、他に師事してくれるような方もいないので行き詰まっているんですけど……。名取さんは魔法陣は使われるんですか? 錬金術の魔法陣って特殊だから組み甲斐がありますよねぇ。特に贄の元素を並べた後の組織の配列を組むところなんかパズルみたいで、もう一日中羊皮紙の前にかじりついちゃって――」

「くっふふ」

 名取は目をキラキラさせながら突然捲し立てるように話し始めたひばりに、たまらず吹き出した。これではまるでオタクだ。いや、魔術オタクであることに違いは無いが、なんとも恥ずかしい。


「す、すみません、錬金術師の方にお会いする機会が滅多にないのでつい興奮してしまいました」

「いや、ふふ、いいんだよ。くふふ」

 先程まで青白い顔で小さく丸まり物憂げな顔をしていたというのに、まるで人が変わったかのように生き生きしているひばりに、込み上げてくる笑いが収まらない。

 ひばりは羞恥心から全身が沸騰するほど熱くなり、「うわ〜」と小さく呻きながら赤くなった顔を両手で覆い隠していた。

「ごめんごめん。君は思っていたより考えていることが表情に出やすいんだね」

「そ、そうでしょうか。恥ずかしい……」

 淑女はいつでも微笑みを絶やさず、優雅に振る舞うものだ。界隈に名を轟かせるほどの名家である箱守家の人間なら尚さらである。

「それにしても、やっぱり錬金術に興味があるんだね。熱の入り方がすごかった。さすが、あの魔術具……魔砂製造機的なやつ? を作っただけのことはある」

「私のことをご存知なんですか?」

「もちろん。あの魔術具を完成させるより前から、ずっとね」

「……? 前からって――」

 名取の言葉に引っかかりを感じ、どういう意味か訪ねようとすると、名取はひばりの唇に人差し指を当て、塞ぐようにして言葉の続きを閉じ込めた。

 先程までの穏やかな空気をかき消し、鋭い眼光がひばりを捉える。突然一変した雰囲気に、くん、と緊張が走り、ひばりの頬は強張った。

「ちょっとだけ俺の質問に答えてもらえるかな」

「ど、どんな……」

 引きつった頬を無理やり動かしながら言葉を返す。それに対し、名取は再び柔らかい笑みを浮かべた。

「そんなに構えなくてもいいよ。大したことじゃない」

「わかりました、私に答えられることであれば」


 名取はひばりに向き直し、ひばりもつられて名取のいる側へ向かって座り直す。二人は互いに向き合う形となり、間に置かれた小さな丸い照明具だけが辺りを灯している。


「まず、君は自分が運がいいと思うかい?」

「う、運ですか。ん~それほど悪くはないと思います。大きな怪我や病気もしたことないし、事故に遭ったこともない。あ、研究費の為に年末の宝くじを毎年5枚買うのですけど、少額ながら当たります」

「それ、すごい確率だと思うけど」


 片側の口角を上げてニヤリと名取は笑う。

 確かに、これまで高額当選は無いが、毎年必ず当たるのだから幸運なのだろう。ひばりは他にも、福引で温泉旅行を当てたり、ガチャガチャを回せば毎回欲しいものを引き当てる。よくよく考えてみれば、よほど運が良くなければ起こり得ないことばかりだ。

「そうですね。そう考えると、運がいいんだと思います」

 先程走った緊張が、心なしか解されたように笑顔で答える。


「じゃあ次。君は魔道具を使役しているよね?」


 ひばりは大きく目を見開いた。ひばりが魔道具を体内に取り込んでいることを知っているのは、マリーに日和、それと純と森岡だけだ。その4人が他言するとはとても考えられない。リヒトを知っている非魔術師にしたって、それが魔道具だなんて露にも思っていないだろう。ひばりの世話役や執事の人間だと思っているのではないだろうか。

 特殊な状況なので、魔術師界隈へ情報が流れて騒がれないように注意を払っていたのだ。今日初めて会う名取が知るはずもない。


 それなのに名取は知っていた。

 当てずっぽうで言ってくるような人間ではないだろう。


 そもそも魔道具は大変貴重な物であり、名家とはいえ、ただの魔女であるひばりがそれに関わっているなんて発想が浮かぶはずがないのだ。ある程度確証を持って言っているのだろう。下手に隠しておくのは悪手な気がする。そう考えたひばりの頬に、再び力が入った。


 解けかけた緊張の糸が再び張り詰められる。


「なぜ、それを」

「あぁ、俺の血にも魔道具が巣食ってる。君からも似た魔力を感じたんだ」

「血 ……」


 ――へぇ、魔道具って血に住んでるんだ。血は魔力たっぷりだもんね。リヒトやカガミもそうなのかしら。


 なんて呑気なことを考えた自分にひばりは驚いた。今はそれどころじゃない気がする。だが、不思議なことに、名取には全て話したい気持ちになってしまう。猫のようなふにゃりとしたこの男の様相に毒気を抜かれてしまっているのかもしれない。


「居ます。3体ほど」

「3体も?!」

「は、はい」

「えぇ〜、それは予想外だ。そんなに住まわせて、体は平気なの?」

「特に不調はないですけど……え、あの、何かまずいんですか」

「いや、そんなに気にすることでは無いと思うから聞き流してくれていい」

 リヒトやガラジ、カガミを取り込んでから、体調にこれといった変化はない。それどころか、3人ともよく働いてくれるものだから、ひばりは楽をさせてもらっていると感じている。これも運がいいからだろうか。


「最後に、君は『マルスリーヌ』を知っているか?」


 ドクンと胸が跳ねた。聞き覚えの無い名前だったが、それを

 頭の中に何かが浮かんでいるが、靄がかかったようにそれが何かを認識できない。

「……存じ上げません」

「……そうか。うん、大体わかった。君はまだ何も知らないんだね」

「知らない? 何をですか?」

「俺から教えることは許されていない。君の魔性が熟した時、きっと開示されることだろう」

「待って、話が読めないんですけど――」

「あ~、結構風が冷たくなってきたね。そろそろ会場に戻らないと、家族が心配するんじゃないか?」

「それはそうなのですけど、気になります。質問に答えたのだから、せめて何のための質問だったのかだけでも教えて下さい」

「そうだな……君に資格があるかどうかの質問だった」

「資格ってなんの――」


 ひばりが問いただそうと名取のシャツを掴んだその時、名取はひばりの伸ばした手を救い上げ、手の甲にキスをした。

 その動作はまるで、騎士が令嬢にするような、敬愛の籠もった恭しい行為だった。


「な、な、なにを」

「君が困った時、この手の甲に願いを込めれば、きっと素敵なことが起こるよ。そういう魔術を仕掛けておいた」

 そんな魔術をひばりは聞いたことがない。他人の体に直接仕掛ける魔術など、マリーが教えてくれた魔術の知識にはなかったはずだ。

 動揺を隠せず狼狽えるひばりに、名取は最初と同じ余裕に満ちた笑顔を向けた後、ひばりの手をぐっと引き寄せ耳元で囁いた。


「さて、そろそろ時間だな。会場まで送る。君は一度目を閉じて」

 ひばりはいきなり近づいた距離に殊更に動揺するが、すぐに指先やつま先から力が抜けていく。

 そうしなければいけないような、そうした方がいいような、思考に靄がかかったような状態のひばりは、名取に言われるまま目を瞑った。

 しばらくすると、おでこに指が当てられたのを感じた。そこから名取の熱が伝わり眠気を誘う。「このままもたれて」という名取の声が遠くに聞こえた気がした。


 ――まだ眠りたくない。錬金術のことや、魔道具のこと、さっきの質問の意味も詳しく聞かなきゃいけないのに。


 次第にひばりの意識は遠のいていく。


「また会いに来る。それまで、ゆっくりおやすみ、ひばり」


 再び手の甲に柔らかい感触を感じ、ひばりは完全に意識を手放した。



 集う魔性 運命の遭逢 終

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