避暑地に佇む魔女の店 4

 どうやらリヒトは、ぐんぐんと伸び続け、今にもひばりを飲み込んでしまいそうな紫の植物を鎮める方法を、ひばりの母であるマリーに聞きに行っていたらしい。よほど急いだのだろう、リヒトの髪は乱れ、いつもは隠れている額がさらけ出されている。


「助かった……。ママはなんて?」

「楽しそうに一言『食べちゃえばいいのよ』とのことです」


 ――何の役にも立たない助言だった。

 部屋中にひしめいている、もはや植物なのか生き物なのかわからないこの謎の物体を食せと言う。マリーは一体何を考えているのか。リヒトも純も、事情をほとんど知らない森岡でさえも頭を抱えてしまった。そんな中、ひばりだけは目を輝かせる。

「なるほどね! さすがママ! 年の功だわ!」

 マリーに聞かれたら呪いでもかけられそうな恐ろしい言葉を吐きながら、ひばりは嬉々とした様子で逆さのままぶらぶら揺れている。

「ええ!? ひばりちゃん、まさかこれ食べる気なの!?」

「それが一番手っ取り早いと思う。さっきちょっとかじってみたら、香草のようで食欲をそそられたもの」

 同年代の女性から見てもだいぶ華奢なひばりだが、体の大きさの割にはたくさん食べる方である。しかし、どう見てもこの量を一人で食べきれるとは到底思えない。そもそもこんな得体の知れない植物を食べるだなんて正気ではない。純も森岡も顔を見合わせ肩を竦めた。

 そうこうしている間にも植物はうごめき成長し続けている。


「ひばり様、何をご用意すればよろしいですか」

「銀の鋏と扇を持ってきてくれる?」

「かしこまりました」

 リヒトは植物に埋もれた戸棚を無理やりこじ開け、銀色に輝く鋏と、閉じた状態でも長さ50センチほどもある大きな扇を取り出し、それを持ってひばりの前に立つ。


「リヒトさん、本気?! さすがにこんなよくわからないものをひばりちゃんに食べさせるなんて――」

「ひばり様が楽しそうに笑っていらっしゃるのですから問題ないのでしょう。それに、色々と手は尽くしたのです。切断、燃焼、真空化、罵声に水攻め、様々な方法を試しましたが、どれも大した効果は見られませんでした」

「え、罵声ってなんですか」

「切断してもまた伸びてきてしまうし、燃焼を試みた時は予想以上に一気に火が回ってしまったため、危うくひばり様ごと炭化させてしまうところでした」

「あの時はさすがに焦ったわね」

「ちょっと待って罵声ってなんなんですか」


 ――これは……面白いことになりそう。

 3人のやり取りを見ていた森岡は、なんだか非常に悪いタイミングで再訪してしまったことを後悔していた。

 ところが、前回来た時はお店の不思議な雰囲気に呑まれ、特に深く考えることもなくひばりの言う通りに品物を受け取り帰路についたのだったが、「そういえばここは魔女の店だった」と改めて認識せざるを得ないこのファンタジーな状況に、場違いながらもワクワクしていた。


「ひばりさん、この量どうやって食べるつもりなんですか? とりあえず千切りにでもしてみます? 私、料理は得意な方なんです」

「森岡さん、順応性高すぎません?」

 純は森岡の器の大きさに驚かされる。客であるにも関わらず、この摩訶不思議な状況をすんなり受け入れ、更にはひばりの手伝いまで進言しているのだ。

「実は私料理人なんです。新しい食材を見るとつい興味をそそられてしまって……」

 へへ、と照れたように笑う森岡に、純は半ば呆れたような声を漏らした。

「森岡さんはこの謎の植物を食材として見ることができるんですね」

 純はこの場は諦めて、とにかくひばりが助かる方法を、自分ができることだけを考えることにした。

「でもひばりちゃん、わざわざ食べなくてもいいんじゃない? 得体の知れない植物を食べるなんて危険すぎるよ。乾燥させて燃やすとか。あ、燃やしたら危険なのか。それならゴミ袋に入れて捨てちゃえばいいと思うんだけど」

「そうね。でもちゃんと理由があるの。まず、この植物に魔力を吸われてしまったから、食べることによって少しでも取り返したいのが一つ。次に、得体の知れない物だから、安易に外に持ち出せないというのが一つ。そして最大の理由が――」


 ひばりが言い終えるよりも先に、地鳴りのような低い音が部屋中に響いた。

「私は今、とってもお腹が空いているということ」

 頬をほんのり赤く染めながら、しかし力強い声でひばりは言い切った。


「さすがにこのまま食べるのは物理的に難しいので、乾燥させて小さくしてみようかと思っています」

「なるほど、水分を抜いて体積を小さくした状態で食べようということですね」

「その通りです」

 理屈はわかる。だが、この量の植物をどのように乾燥させるというのだろう。ひばりが巻き込まれてしまっている状態では、自然に乾燥するのを待つほど時間は無いし、ドライフラワーを作成する時に使う乾燥剤のようなものがあればいくらか早く乾燥させることができるが、用意している余裕などない。電子レンジでも乾燥させることができると聞いたことはあるが、細かく切ったとしても、この量を処理するのは現実的ではないだろう。先ほどリヒトが言っていたように、どこかに損傷を与えてもまた伸びてくるのだから、一気に乾燥させなければならない。


「風でまとめて乾燥させてみます。リヒト、扇を」

 ひばりに命じられたリヒトは手に持っていた鋏を右手に構え、ひっくり返って垂れ下がったひばりの黒い髪に触れる。そしてほんの数本を束にし、鋏でその髪を切り取った。「え!」という純と森岡の驚いた声は無視し、切り取った数本の髪を、扇の要に付けられた飾り紐に縛り付けていく。すると扇は淡く光を帯び、蜃気楼の様な揺らめきを放ち始めた。

 そしてその扇を純に差し出し、にこっと笑って見せる。


「……これは?」

「魔術具の一種です。純様、その扇で力いっぱい風を起こしてみてください」

「私が?」

「純ちゃん、ソフトボール部キャプテンの力を二人に見せてやって」

「とっくに現役引退してるんですけど……。でもひばりちゃんのためなら、任せて」

 純はリヒトから扇を受け取りそっと開いてみると、穏やかな表情の天女が優しい色合いで大きく描かれていた。その美しさに一瞬魅入ってしまったが、気を取り直し、バッターボックスに立った打者のように大きく扇を振りかぶり構える。そして、すぅっと息を吸い込み、ひばりにまとわりつく植物を睨んだ。

「リヒト、森岡様を守って。さぁ、純ちゃん、思いっきりどうぞ」

「うぉーりゃあ!!」


 ひばりのゴーサインを聞いた純は、構えていた腕を弧を描くように大きく動かし、ぶぉんっという風切り音を発しながら振り抜いた。すると、仄かに光っていた扇はその強さを増し、目が眩むほどの光を放った。それと同時に扇沿から猛烈な風が生まれ、部屋中に犇めいていた植物をなぎ倒す勢いでぶつかっていった。


「きゃあ!」

「素晴らしい威力です!」

 森岡を庇う様に背を向けているリヒトは、首だけで振り向きキラキラした笑顔でその光景を見ていた。ひばりも何か言っているようだが、突風に巻き込まれているため純の耳には全く届かない。


 風に煽られた植物はその反動で数本ちぎれたが、蔓同士が絡み合い何とかその場で耐えているように見える。しかし不思議なことに、純の一振りで起こった風は消えることなく、それどころか威力を増し、球の形をした竜巻のように植物の取り囲っている。


「ひ、ひばりちゃん! 大丈夫!?」


 自分が起こした風がここまでの威力になると思っていなかった純は、慌てふためきながら竜巻に飲み込まれたひばりの姿を探す。同時に、室内でこんな風を起こしてしまったせいで、ひばりの研究道具や資料が大変なことになってしまっているのではないかと青ざめた。

 よく見ると、植物の根元の方が茶色く変色している。少しずつ水分が失われ、茎も葉も細く萎れていっているように見える。


「あと少しだと思う~」

 竜巻の中から微かにひばりの声が聞こえ、一先ず無事であることが確認できた純は安堵の息を吐いた。

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