避暑地に佇む魔女の店 3

 森岡が来店してから2ヶ月後。

 フラン・フルール2階の工房の入り口に商店街で買ったコロッケが入った袋を持って立ち竦む女性がいた。

「ひばりちゃん……なんだかえらいことになってるね」


 彼女の名は「一杉純ひとすぎすみ」。ひばりの数少ない友人の一人である。

 純は大学が休みの日は必ずフラン・フルールに立ち寄り、時には命に係わるような得体の知れない研究ばかりしているひばりの無事を確認することが慣例となっていた。


「純ちゃん! 助けて~」

 工房を訪れると、案の定、今日もひばりは見たこともない植物に埋もれ、身動きが取れない状態で、辛うじて顔だけ覗かせていた。

 その植物は葡萄のような深い紫色をし、一見柔らかそうな見た目をしているが、茎は一本一本が細く互いに絡み合い、中に閉じ込められればそこから抜け出すのが困難であることは容易に想像がついた。

 ひばりはもぞもぞと手足を動かし懸命に抜け出そうとしているが、無理に動くと蔓が皮膚に食い込み痛みを伴うため、純が来るまでかれこれ30分近くこうして埋もれていた。


「助けると言っても……これ、触っても大丈夫なのかな」

「毒は無いし、棘があるわけでもないから大丈夫だと思う。でも実の部分はまだ調べてないから触らないように気を付けてね。それよりも、こうなった理由とかこの植物は何なのかとか聞かないの?」

「ひばりちゃんを救出してからゆっくり聞かせてもらいます」

「さすが純ちゃん、潔い。かっこいい」


 純は植物を鷲掴みにし、ぐんっと引っ張るが、強固に絡まった蔓はまるで結ばれているかのように離れず、ひばりから引きはがすことができない。いっそ引きちぎってしまおうかとも思ったが、繊維が固くそれすらも叶わない。

「ぐぐぐぐ! はぁ……ごめんひばりちゃん、私の力じゃ難しいや。リヒトさんはいないの?」

 純は手をぱんぱんと払いながらひばりの救出を早々に諦め、いつも陰からひばりに熱視線を送るリヒトの姿を探す。ひばりがこんな大変な状況になっていれば、いの一番で助けに来そうなものだが、今日は姿も形も見えない。

「リヒトはお遣いに行かせちゃってて、もう少しで戻ってくるはずなんだけど――」


 ――リン


 計ったように来店を知らせるベル鳴った。

「ん? 誰か来たね。リヒトさんかな? 私見てくるね!」

「ありがとう純ちゃん……」

 純はひばりが苦しくないように顔の周りにへばりついた蔓だけ掻き分け、足早に工房から出ていった。


 階段を降り入口の扉を見るとリヒトの姿はなく、そこには20台半ばの物静かそうな女性が立っていた。

「こんにちは。あの、ひばりさんはいらっしゃいますか」

「い、いらっしゃいませ。ひばりちゃんは今工房で……えっと、研究中でして。手が離せなくて……」

 リヒトが戻ってきたとばかり思っていた純は、予想外の来客に動揺した。しどろもどろになりながら言い訳めいた挨拶をする。すると女性は少し残念そうに視線を落としたが、

「終わるまで待たせていただいてもよろしいですか? 私、森岡と申します。どうしてもひばりさんとお話がしたくて」

 と言い、店内へと足を踏み入れた。

 純は森岡がただ店主に挨拶に来ただけではない、何か事情がありそうな雰囲気を感じ取り、どうしたものかと考えを巡らせる。


 すると、コの字型のカウンターの上に置かれた鳥型の水差しが仄かに光り、地震でもないのにカタカタと揺れ始めた。その様子は、まるでホラー映画の序盤で、主人公に不安を植え付けるためのポルターガイスト現象のように、不穏で不気味な光景だった。

「え? なに?!」

 森岡はその異様な状況に狼狽え、一歩後ずさった。以前感じた気持ちの悪い感覚が背筋をすっとなぞる。

「大丈夫ですよ」

 純は森岡とは正反対に、落ち着き払った様子でカウンターの上で揺れている水差しを手に取る。そしてその水差しの中の水を一滴カウンターに垂らし、その上にまた水差しを置いた。

「こんにちはガラジさん」

 突然、純は水差しに向かってニコニコと笑顔で話し始めた。森岡は予想外の純の行動に驚き、不思議そうにその様子を見ている。


「こんにちは、純さん。ひばり様が呼んでいるよ。森岡様もご一緒に工房へどうぞ、と」

 どこからともなく声が聞こえた。それは年季の入った透かし硝子のような、少しざらついていて、しかしどこか温かみのある紳士の声だった。

 突然名前を呼ばれた森岡は声の主を探すが、店内には純一人しか見当たらない。

「森岡さん、工房へ行きましょう。ひばりちゃんが待っているそうです」

 純は森岡を手招きし階段を上っていく。森岡も、不思議な声のことは一先ず頭の端に置いて、急ぎ足で純の後を追う。


 そして、工房に入って思わず固まった。先日訪れた時には無かった紫色の蔓の様な物体が工房中にひしめいていたのだ。


「ひばりさん?!」

「こんにちは森岡様。あの、こんな格好ですみません」

「あわわ、ひばりちゃん、さっきより大変なことに?!」

 ひっくり返った状態のひばりは、はにかみながら森岡にご挨拶をする。なんと、純がほんの少し工房を離れている間に、足元に巻き付いた蔓が伸びて盛り上がり、どんどん下から押し出されたせいで、ひばりは逆さに吊るされた形になっていた。

 とてもではないが、先日優美な所作で森岡を持て成した女性とは思えないあられもない姿だった。

「この植物、困ったことに私の魔力を吸って伸びてるみたいなの。おかげで力が抜けて思考も回らなくなってきた」

「魔力……ですか」

 耳慣れない言葉に、不思議そうな顔をしながら首を傾げる。

「あーっと、森岡さん、魔力というのはですね、えっと――」

「純ちゃん、森岡様は私のお客様よ」


 魔力という単語に過敏に反応した純は慌てて注釈を入れようとするが、それはひばりの言葉に遮られる。という言葉にハッとし、口を噤んだ。ひばりが『私の客』と称する時は、魔女の力を頼ってきた客を指す時である。


 普段フラン・フルールへやってくる客といえば、雑貨店だと思って気軽に入ってくる人がほとんどだ。そういう客には、ひばりは普通の雑貨しか売らないし、おまじないの話も一切しない。魔術なんてもっての外だ。

 過去に、この地に修学旅行にやってきた男子学生達がいた。日々受験勉強に精を出す彼らのため、ひばりは”集中力を高めるまじない”をサービスで渡したらしい。ひばりは善意でやったことだが、まじないを受け取った彼らは店を出た途端に「うさんくさ」「まじないとか言って、なんか呪いとかかかってんじゃねえの?」「こわ、捨てちゃいなよ」と心無い言葉を吐かれ、いらない世話は焼かない方が互いのためだと知った。

 それからは、ここがおまじないを商品にする店だと知らずにやってきた客には、ひばりは一切魔術関係の話はしない。

 時に例外として、噂を聞きつけ魔女の力を頼ってやってくる客もいる。そういった客には特別なもてなしをし、魔女の力を貸すのだ。


 ――森岡さんは魔女のお客さんなんだ。そういえば何か事情がありそうだったもんね。


 その時、純と森岡の背後から音もなくリヒトがやってきた。


「ひばり様、マリー様より助言をいただいてまいりました」

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