避暑地に佇む魔女の店 5

「さて、お食事にしましょう」


 純のフルスイングによってもたらされた突風のあと、見事に萎れて小さくなった植物はリヒトと森岡によって刈り取られ、今、食卓に並んでいる。

 森岡が工房の奥にあるキッチンで謎の植物を調理している間に、ひばりと純は、竜巻のせいで散らかった部屋を大急ぎで片付け、ダイニングテーブルを置きテーブルクロスをかけた。

「この植物、味見してみたらローズマリーに近い風味だったので、乾燥したものは粉砕して瓶に詰めておきました。お肉料理なんかに振りかけるといいアクセントになると思いますよ。それと、乾燥しきれなかったものは今夜のお食事にたくさん使わせていただきました」

「ありがとうございます森岡様。何からなにまですみません」


 結局、刈り取った植物は想像以上に量が多く、そのうえ全ての乾燥は叶わず一部はそのまま水分を保って残ったせいで、ひばり一人では食べきれない量が収穫できてしまった。純と森岡はこれを全て平らげなければならないひばりを不憫に思い、危険なものでないなら一緒に食すことを申し出た。

 初めは断固として拒否していたひばりだったが、しばらく逡巡したあと何かを思いついたようで「それではお言葉に甘えて」と2人の親切心を頼ることにし、一緒に食卓を囲む運びとなった。


「どうなることかと思ったけど、みんなが無事でほんとによかった」

 森岡の作った料理を見ながらひばりがため息をひとつ。食卓が全体的に紫色に彩られている。

「ほんと、ひばりちゃんが竜巻に飲み込まれた時は思わず息が止まったよ」

「心配かけてごめんね。でも、すごくいいスイングだったわ」

 ぐっと親指を立てるひばり。

「ひばりさんはよくこんな修羅場に遭うんですか?」

「ここまでのことはめったにありませんねぇ。というより、あっては困ります」

 あはは……とひばりは苦笑を浮かべた。


 3人で先ほどの死闘を振り返りながら、食事に口をつける。

 謎の植物をふんだんに使ったサラダ、紫色のポタージュ、刻んですり潰して牛肉と一緒に練りこんだハンバーグなど、謎の植物尽くしである。

 一口含み、三人は驚く。これが存外、美味だった。三人とも昼過ぎから何も食べておらず、空腹のせいで余計においしく感じた。この分なら大量に刈り取られた葉も茎も蔓も食べ切ることができるかもしれない。


「ひばりちゃん、この植物は結局何なのか、聞いてもいい?」

「これは、正式な名前はまだわからないのだけど、魔草の一種なの」

「魔草……ですか」

 聞きなれない言葉に首を傾げる森岡に、ひばりは人差し指を唇に当てながら説明する。

「一般的にはあまり知られていない――というより、存在自体を秘匿されている植物のことです。主に魔術師と魔女が薬や魔術具を作るための素材に使います。多くは魔術師のコミュニティ内で管理され、特定の薬草園で栽培されますが、時折外界に出てしまって、今日の様な騒動を引き起こすのです。魔草にはそれぞれ特性があって、抗炎症効果のあるもの、睡眠誘発効果のあるもの、傷の治りを早めるものなど様々です。魔力を含んでいるので、効能は通常の薬草の5倍以上ともいわれています」


「へぇ、そんな植物があったなんて初めて聞きました。でもどうして秘匿されているんですか?」

「効果が高いものには、やはり強い副効果、所謂いわゆる”副作用”があるものなんです」

「副作用……」

「例えば、その壁に垂れ下がっている植物ですが――」

 窓のすぐ横に掛けられた大振りの葉が垂れた植物を指す。

「今食べている植物に見た目がそっくりですね。ポトスのような葉ですけど、大きいし、ちょっと色が黒っぽい」

「あれは『イスリル』という植物で、鎮痛作用と炎症を鎮める効能があります。すり潰すと粘りが出るので、主に痛み止めの湿布薬の原料として使われます」

「便利な葉っぱだね。筋肉痛にも効く?」

 心配そうな表情をしながらも上品に食事を進める森岡とは対照的に、純がにこにこと楽しそうな笑顔で問いかける。上唇には紫色のポタージュを啜った跡がついていた。「効くよ」と言いながら、ひばりは手元のナプキンで純の口をぬぐいながら続ける。


「とても便利なんですけど、副効果が凶悪なのです」

 目をやや細めて、僅かに声を潜めるひばりに、2人はゴクリと喉を鳴らした。


「凶悪、ですか。毒があるとか、発作を起こさせるとか?」

「それ以上です。イスリルは、月の光を一定以上浴びると甘い匂いを発するようになります。その時点ではただそれだけなので問題はないんですが、その状態で少しでも自分以外の魔力が触れると、その匂いは強烈に濃くなり、嗅いだ人間に幻覚や幻聴の症状をもたらします」

「うわぁ、麻薬みたいな感じ?」

 一般的に知られている植物の中にも、似たようなものはある。アヘンの原料にもなる芥子や大麻などが代表的だろう。加工や使用方法によってその効果は良くも悪くも転ぶものだ。もっともそれらは"大衆が知りうる一般的な物"という枠から出ることはない。


「それを5倍濃くしたものっていうイメージ。森岡様、人間がそんなものを体に取り込んだらどうなると思いますか?」

「そうですね、中毒症状を起こして、最悪死にますかね」

「その通りです。でもそれだけじゃない。イスリルの毒は遅延性で徐々に体を蝕んでいくんです。最初は軽い幻聴に始まり、次に幻覚、神経に影響を与え、精神と行動に異常をきたします。自分を傷つけ、他人を傷つけ、最終的には自死に至るのです。そして恐ろしいことに、その症状は他人にも感染します」

「え!? 感染って、細菌とかウィルスとか、そういうものをばら撒いているってことですか?」

 森岡は元々大きな目を更に広げる。

「魔力によって、が正解ですね。イスリルは空気中を漂う匂いと一緒に、自身の魔力も放ちます。そしてその魔力を取り込んだ宿り主の行動範囲に、またあらたな種を植え付けるのです」

「お、恐ろしすぎませんか。そんな危険なもの、残しておいてよいものなんでしょうか」

 感染症を引き起こす病原体の他にも、そんなものがこの世界に蔓延っているとは露にも思っていなかったのだろう。森岡はそれを今の今まで知らなかったという事実にも驚きと不安を隠せないでいる。

「だから秘匿するのです。魔薬まやくや魔術、魔女の儀式には欠かせないものなので絶滅させるわけにはいきませんし、なにより、魔草に罪はありません。ただ生存していくための本能なのです。魔術というのは、自然界の力を借り、恩恵を受けることによって成り立ちます。それを扱う我々は、守る立場にあるのです」

「なるほど、恵をいただくからには、こちら側も守っていかなければない。相互協力の関係なんですね」

「ギブアンドテイクってことだね」

「そんな感じかな。説明が長くなってしまったのですけれど、今食べているこの魔草、おそらくイスリルの仲間だと思うんです」

「えぇ!」

 魔草の恐ろしさを聞かされた後に、それをまさに今、食していると改めて認識させられ、純と森岡は思わず喉をきゅっと締めた。食卓に並んでいた紫の魔草は、ほとんど胃の中に収められている。

「前回の満月の夜に、この近くにある『青栖池あおすいけ』で、甘い匂いのする植物を見つけたと隣の喫茶のオーナーから情報をいただいたのです。もしやと思って魔力を込めたら、あの有様です」

 えへっと照れながら笑うひばりに、純と森岡は苦笑いを浮かべた。


 食卓に残ったのは、空になった器と、詳しい事情を聞かずに魔草を平らげた二人の、乾いた笑い声だった。

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