第51話 惑星生物

「あーもうっ! 次に見つけたら泳いでいいから、そういう遠回しな攻撃やめろ!」


 なッ――、と彼女は面食らったように表情を引きつらせて、


「そ、そんなに強く言う事ないでしょッ!」


「プリムムがしつこいからだ。

 優しく言ったってどうせやめないだろ。

 だったら一回、がつんと言った方がいいしね」


 ――っ! と、言葉にならずに口を閉ざしたプリムムが、背を向けて力強く足を踏み出し、先に進んでしまう。弥は、はっとしてすぐに追いかけた。

 彼女の後ろに追いつき、手を伸ばしかけて、吊るされているのだと思い出す。

 ……声をかけるしかなかった。


「ごめん、僕が言い過ぎた。プリムムもストレスが溜まっているはずなのに――」


「……それは弥も一緒でしょ」


 まったく感じていない、とは言えない。

 でも比較的、少ないだろうとは思う。


「私に気を遣ったそういう感じ、いらないから。

 イライラが爆発した乱暴な時の弥の方が……、その、本当の弥って感じがするし」


 僕ではなく、俺である弥が良い、とプリムムは言っている。


 無理をしていない、という意味では、『俺』である弥が本物だ。

 その時の彼は、年相応なのだから。

 だが、弥には大人のようにならなければいけない理由がある。


 プリムムの一声で生き方を変えられるほど、

 乗り換えやすい人生を歩いているつもりはないのだ。


 だから弥はこう言った。

『僕』のままの言葉で、まったくそうする気はないのだが、


「善処するよ」


 場の空気がぴりっとしたので、怒鳴り散らすのかと思ったが――、

 振り向いたプリムムは、にこっと笑顔を見せた。


「そうね、じゃあ頑張りなさい」


 ――背筋が凍るとは、これの事を言う。


 弥の足が自然と止まり、思わず呟いた。

 それは僕であり俺でもある、本音だ。


「…………恐っ」


 ―― ――


 拾った道具は一式、洞穴に置いている。

 あまり荷物を増やしたくない。

 それに持ち運びたくとも、カバンがないため、どうせ無理なのだ。


 二人は足を止めて昼食を取る事にする。

 疲れが見え始めたのだ。

 朝、遅いとは言っても、登り続けて三時間は経っただろうか。

 空腹もあり、一歩が重く感じている。


 柵がない断崖絶壁の近くに腰を下ろす。

 小さな落石がちょうど良い大きさの椅子になっている。

 見上げれば、まだ山頂までは遠い。ぐねぐねと、蛇の道が続いている。


 プリムムが差し出したのは赤い果実だった。

 しゃりっと歯応えが良い。

 腰を下ろしたこの場所は、草木のない岩壁ばかりだが、下の方は森に囲まれているため、果樹があったりしたのだ。プリムムがその時に獲っていたものである。


 二人で合わせて十個ほど。

 どこにそんな数をしまってあったのだろうと口に出して、弥は咄嗟に口を閉じた。

 カバンがなければしまえる場所は一つしかないだろう。


「? どこって、服の下だけど」


 なにを当たり前の事を、みたいな感じで言われた。こちらが悪いみたいである。

 果実から滴る液体は、元々の果汁なのか、それとも……。


 弥は思考を振り払った。


 ……まあ、プリムムが気にしていないのであれば、弥も気にしない、ようにしよう。


 じっと果実を見つめる弥に気づくプリムム。


「あ、そうよね。……齧りつく?」


「そのまま持っててくれれば――ん、ありがと」


 両腕を骨折しているため、プリムムの介護がなければ、弥は食事もまともにできない。


 無理をすれば、持てない事もないのだが、

 朝食を一人で食べようとしたらやはり時間がかかってしまう。

 がまんしていても表情が痛みで歪んでしまうらしく、

 プリムム曰く、見ていられない、らしい。


 二回目という事もあってか、弥も慣れたものだった。

 差し出された果実に素直に噛りつく。思い返してみれば、一回目は酷かった。


 果実を丸ごと、というのは感覚的に餌やりに近い。

 主従関係、ではないが、そう誤魔化せる。

 しかし一回目はスープだったので、プリムムが持っていたのはスプーンである。


 弥はちょっと躊躇ったし、抵抗した。

 その行為は、カップルのあれを思い出す。


 ……相互認識になって初めて照れが生まれるから、プリムムが気づいていない以上、僕もポーカーフェイスでいれば問題はなかったんだけど……。


 言うほど簡単ではなかった。

 差し出されたスプーンを咥える、あの敗北感。


「美味しい?」


 朝と同じように、プリムムがそう聞いた。

 美味しいよ、としか言えない空気感であり、彼女の表情である。


 その上で、素直じゃないひねくれた答えを返そうと思ったが、

 口から出たのは素直な、美味しいよ、という言葉だった。


 朝と同じだ。

 よかったっ、という弾んだ声と幸せそうな笑みを、見たいがためである。


「…………」


 弥は自覚している。プリムムとは違って。


 そんな食事をしばらく繰り返していると、


「っ!」


 ――プリムムが突然、立ち上がった。

 断崖絶壁から見える見晴らしの良い景色。

 緑色が地面を覆う、森しかない……、

 その先を、プリムムは目を細めて観察していた。


 どうした? とは聞かない。

 どうかしたから行動している。

 敵だろうか。弥には音だって感じ取れなかったが、

 電波のようにアーマーズ同士でしか分からないなにかがあるのかもしれない。


「なにか見――」


 弥の言葉が途中で途切れた。変化は足元からだった。


 地面を突き破って現れたのは、巨大な四足歩行の両生類である。


 全身が深い青であり、ブツブツの皮膚が見える。

 だが、見た目はつるつるに見えるほど、光っている。

 まるで油でコーティングされているようだった。


 弥やプリムムの三倍はある。

 桁違いではないが、じゅうぶん、巨大な部類だ。


 球体のようなシルエットである。

 そんな化物が、弥たちに気づいた。


「あ、あぁ……っ」


 一番近くにいたプリムムは、なぜか逃げようとせず、その場に座り込んでしまう。


 なぜか、なんて考えるまでもない。

 驚きに面食らったが、冷静になれば心の奥へ追いやられていたものが戻ってくる。

 冷静だからこそ、じっくりと感じてしまうのだ。


 弥は心無い人間じゃない。彼だって同じく、恐怖する――。


 地面に縫い付けられた足がはずれたのは、その巨大生物が動いたからだった。

 巨体を動かした振動で、体が跳ねた……、その一瞬を狙って弥が駆け出した。


 腕を吊るしているツタを力強く引き千切って。


 その化物は弥とプリムムの間に、割り込むように現れたのだ。

 彼女の元へ行くには、化物の横を通り過ぎなければならない。

 そして単純な思考回路をしている化物は、動くものを優先的に攻撃してみる傾向にある。

 とりあえず攻撃してみた、という気軽さで、だ。


 滴る唾液と共に、ピンク色の舌が垂れ下がった。

 芯のない脱力した舌が急速に伸びる。

 舌の中に真っ直ぐな金属板でも入れたように、鋼鉄の舌先が、弥の足元へ突き刺さった。


 うッ、と足を止めた弥は、直撃を免れた。

 しかし舌が砕いた地面の破片が弥を襲う。


 砂利や小石であればダメージは少ないが、舌の大きさによって、破片も大きさを変える。

 弥の体に食い込む破片は、握り拳よりも大きく、鋭いものである。


 弥の体がふわりと浮き上がった。

 受け身も取れない彼の体が、地面を転がり岩壁に勢い良く突撃する。

 彼はすぐには起き上がらなかった。化物は元々、弥に興味を持っていない。


 倒れる彼には目も向けず、足元で震える少女に興味を向けたままだった。


「ひィッ……っ」


 ――前にもこんな事があった。

 というか、彼女にとっての始まりとも言える。

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