第18話 久我山茜 その4

 足が重い。筋トレ用のおもりでも靴下の中に入っているのかと思ってしまうほどに、足が重かった。上げるのが億劫。下げるのも、億劫。歩行がもう、めんどくさい。


 しかし、それでも、親の命令を拒否するわけにもいかないので、言われた通りに家に帰っているわたしだった。家とは言っても、和実が起こしに来てくれた家とはまた違い、この家は、仕事用の家なのだった。


 そして家に着いて、まず見えるのが――大きな、門。


「…………」


 こんな大きな門――いるのか? と思ってしまう。

 けれど、わたしの一族的には、これはこれで、雰囲気としては合っているのかもしれない。

 それにしても、家に帰ることに、ここまで緊張するなんて……。


 自分らしくいられる場所っていうのは、今は、和実の隣くらいなものだった。

 思いながら、門を開く。


「ただいまー」


「――遅い! なにをちんたらしているの、茜!」


 門を入って、敷地内。そこに、お母さんがいた。

 そして、まず、怒りをぶつけられた。


「ひぅっ」


 反射的に、目を瞑ってしまった。だから、次になにをされるのか分かったものではない。

 目を開けろ、というのは分かっているけど……わたしには、できそうになかった。


「ご、ごめんなさい……。普通に、歩いてきたんですけど」


「……まあ、いいわ。それよりも、目を開けなさい、茜」


 お母さんは、そう言った。


「どんな状況でも、たとえ、絶命のその瞬間でも、目は瞑ってはだめよ。

 最後まで、しっかりと見るの。それが、『ゴーストバスター』久我山一族なのだから」


「…………はい」

 目を開けて、わたしは頷いた。

 そして、お母さんの後ろ姿を見つめながら、歩く背中の後をついていく。


 それから聞いた。予想はついているけど、一応の、確認だ。

「今日は、なにをするんですか?」


「茜には、はじめての幽霊退治、を、させてあげられるかもしれないわね」

「――え? でもわたし、全然、まだなにもできなくて――」


「できないのではなくて、なにもしないのでしょう、あなたは」


 痛いところを突かれて、なにも言えなくなった。


 そして、続けて追い打ちするように、お母さんは攻めてくる。


「自分が落ちこぼれだからって、それを理由にして、なにもしてこなかった。

 努力をして、追おうとしなかった。だから、お姉ちゃんにもお兄ちゃんにも、年下の妹にも実力で抜かれているのよ、あなたは。

 才能は、まったくないってことはないのよ。あなたの中にも、確実にあるはずなの――。

 そう、埋もれている。埋まっている、と言うべきなのかもね。掘り起こす過程を、あなたはまだしていない。だから――しないのならば、無理やりに、危険を承知で、実践をさせながら、起こしていくしかないんじゃないの。才能を、抉り起こすしかないじゃないのよ」


 つまり、わたしはこれから幽霊退治――すなわちゴーストをバスターして、わたしの中に眠る才能を、無理やりに起こしてやろう、とのことだった。

 そんなこと、できるのだろうか? 

 まったくないことはない――と、お母さんは言ったけど。

 例外というものはあって、わたしは、その例外にはまっているのではないか。


 ずっと、昔から言われていること。証明だってされている。


 久我山一族の次女として生まれた、わたし。しかし、姉に全ての才能を奪われたのか、わたしには、幽霊を退治するために必要なことがほぼ全部、足りていなかった。

 そう――欠けていた。


 式神は操れない。術だって、満足にできやしない。そもそもで、幽霊が見えない。


 見えない相手を、どうやって退治するのだろうか。

 努力でどうこうするレベルを、とっくのとうに越えてしまっているのではないか。


 にもかかわらず、お母さんは、それに一族のお偉いさんは、わたしをこの道を進めたがる。

 それのために、色々とプログラムを練っているらしいけど、わたしからすれば、いい迷惑だった。迷惑だなんて、本当は言いたくないけど、言える言葉は、これしかなかった。


 お母さんの後ろをついて行くのも、玄関までだった。

 そこからは別れて、わたしは自分の部屋へ向かう。階段を上り、二階へ。

 その途中、誰にも会わなかった。誰の声も聞こえなかった。


 ――おかしいな、と思った。いつもならばやかましい声が聞こえるはずなのだけど。

 わたしに色々と、文句を言ってくる、というか、

 からかってくる人がいるのだけど、それもなかった。


 ふむ――。ゴーストバスターの仕事、なのかな? 

 もしかしたら、これがお母さんの言う――、

『幽霊退治をさせてあげられるかも』、なのかもしれない。


 カバンと制服を放り投げて、巫女服を羽織るわたし。

 巫女服――何回も着ているが、しかし、慣れないものだった。


 なんだか、着心地が悪いのだ。なにもしないくせに、服だけは汚して――。

 そんな声が聞こえてくるような気がして、ストレスだけが毎日溜まっていく。


 自己嫌悪も含めて、溜まっていく――。


 毎日着ているから、着ることに手こずることはなかったけど。


 すると、こんこん、とノック音がした後、扉が開いた。入ってきたのは、お母さんだ。


「準備はできたかしら?」

「ええっと――あと少し、です」


「そう」

 言って、お母さんはその場で待ってくれている。

 嬉しいけど、そこにいて、ずっと見られているのは、こちらとしては、なんだかやりにくい。

 できるだけ気にしないようにして、服を着ることは、すぐにできた。


「それじゃあ、行くわよ」


 すぐさま部屋を出て行こうとするお母さんに、聞く。


「……どこにですか?」


「――霊界」

 さらりと、すごいことを言ったのではないか、お母さん。


「今、みんなは霊界に行っているわ。なんでも、幽霊の中でも一位二位を争うような、強力な幽霊が出た気配がしたとか、なんとか――」


「だから、こんなにも家が静かなんですね……」

 やはり、みんなは仕事だったらしい。

 しかし、幽霊退治は、普通、二、三人で済むはずなのだけど。

 一族のほぼ全員が出払っているということは、その幽霊は、久我山一族、全員の力がなくては、退治できないほどのものになるのではないか。


 となると――さっきの、お母さんの言葉が引っ掛かる。


「もしかして、わたしが、退治するんですか――その幽霊」


「んー、うん。もちろんよ」

「できるわけないですよっ!」


 わたしは、思わず吠えてしまった。


「そんなの――不可能です!」


「どうして?」

 お母さんは、子供のように、聞いてくる。


「なんで? なんで? なんでなの? 一体、それは誰が決めたの? 常識が? 常識に従うって言うの? 茜は。お母さんの言葉よりも、常識を信じると――そういうことなのね」


 散弾銃のように飛んでくる疑問符を含めている言葉に、わたしは、なにも言えない。


「普通に考えれば、まあ、不可能よね。一位二位を争う幽霊に、落ちこぼれと自分で言ってしまっているあなたが、勝てるわけないものね。

 でも、それくらいのリスクを請け負わなくちゃ、欲しいものは、手に入らないのよ、茜」


「わたしは、欲しいものは、別に――」

「このままでいいのかしら。停滞したままで?」


「…………」


「悔しくはないの? 妹にもお姉ちゃんにもお兄ちゃんにも、負けて。馬鹿にされたままこのまま過ごして。言っておくけど、この『久我山』の名は、ずっと背負っていくものよ。

 同時に、この力だって、微量なものでも例外なく、背負っていくものなのよ。

 だったら――足掻いて、手に入れても、いいんじゃないかしら?」


「でも――恐い、です」

「知らないわよ、そんなの」


 お母さんは、冷たく言い放つ。

 子を子と思っていない、清々しい言葉だった。


「自分のことは自分でやりなさい。お母さんにできることは、サポートだけよ。あなたを補助することしかできない。それ以外はなにもしない。全て、あなたに任せるわ」


 言ってから、お母さんは、自分のポケットを探る。そして、取り出した紙――おふだのように見える。確認してみれば、お札だった。それを投げて、わたしはそれをキャッチする。


「武器もなにもないのは、可哀そうでしょう。

 というわけで、式神でも持っていなさいな。使えるか、どうかは、あなた次第だけど」


 お札を見る。式神を見る。俯いたわたしは、すぐに顔を上げる。


 その時、お母さんの背中は、もう視界の中にはいなかった。微かな音だけど、とんとん、と聞こえてくる。階段を下りている音――。どうやら、もう先に行ってしまったらしかった。


「お母さん……」

 聞こえないとは思うが、けれど言う。

「……ありがと」


 久しぶりに感じた、お母さんの優しさだった。


 しかし、いつもは厳しく、優しさなど欠片も見せないお母さんだからこそ、今の優しさは、逆に不気味だった。

 これから先の不吉さを、浮き上がらせるための、布石のような気がしてならない。


 それでも、たとえ、まやかしだったとしても。今の優しさには、救われるものがある。

 少しの優しさで、救われるなんて――。単純なんだなあ、わたし。


「……えい」

 持っているお札に、念を込めてみる。

 霊力があるのならば、このお札が反応して、式神(……このお札は確か……小さな鬼だったはず――)が出てきてくれるらしいけど、わたしには、例の如く、霊力はない。


「――だめ、か」


 なので――言葉通り。なにも、出てこない。


 反応すらしないのは、心が空っぽになっていく気分だった。


 なにも反応しない、ただの紙を前にして、唸るわたし。


 なにをしようとしているのか、分かってはいても、虚しくなる行為だった。


「今はまだ、ってこと……か」


 遠くない未来、きっと出てきてくれるはず――。

 無理やりにでも出させてやる、と決意を固めて、お札を、ポケットにしまう。

 それから、部屋から飛び出した。先に行ってしまったお母さんを追いかける。


 向かうは、霊界。


 久我山一族、唯一の無能力者。

 幽霊すらも、現実世界では見えないわたしは、霊界では――幽霊を見ることができる。


 少しだけど、同じステージ上に立っているような気分を、味わえる場所。

 とは言っても、そこからまた、何段も高く、身内のみんなはいるだろうけど。


 でも、見えている。

 見えないほどじゃない。


 手を伸ばして、しがみついて、上り詰める。

 それでやっと、辿り着く場所。


 才能の壁に、しがみつく。

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