第12話 枠内一陣 その1

「待てぇええええええええええええええっ!」


「待つかボケぇええええええええええッッ!」


 大声を上げながら追いかけてくる少女に、俺はそう言い返す。

 動く足は、がくがくだった。

 膝が笑うほどには、もう、相当の距離を全速力で走っている。


 町中を駆け抜ける。裏道を上手く使いながら撒こうと努力するが、少女は引き剥がされることなく、ついてくる。大した運動神経をしている。――あいつ、女子だよな?


 疑心が生まれるが、どこからどう見ても、女。それは変わらない。

 見た目では、分からないのかもしれない。


 着痩せするのと同じ要領なのだろうか――。

 見た目では、普通の女子と変わらないが、

 隠れた筋肉が、膨らむことなく、力を発揮しているのかもしれない。


 隠密なのだ。その体質にどういう意図が含まれているのか、予測はつかないが。


 この鬼ごっこ――はじまりは、学校だった。

 放課後、どのクラスよりも早くホームルームが終わり、誰よりも早く教室を出て、速攻、階段を下りたはずなのに。他のクラスの奴は、まだ教室の中で駄弁っていたり、ホームルームをしているというのに。

 最近、俺に付きまとっている少女だけは、例外的に、敏感に俺を発見した。

 そして、いつも通りに追いかけてきたのだ。


 授業はどうした。友達との付き合いはどうした。コミュケーションは放棄なのか、お前は。


 部活の勧誘を目的として、追いかけてくるのは分かっている。ここ最近、毎日のように勧誘され続けていた――というか、俺は、一番初めに断ったはずなのだ。

 なのにもかかわらず、少女は何度もしつこく、勧誘してくる。どんな部活なのか聞いても、『遊戯部』という部名しか言ってくれないから、俺は今、どういう部活に誘われているのか、大ざっぱにしか分からなかった。


 この少女がいる部活――『遊戯部』、名前通りには展開していないんだろうなあ、と思う。

 不気味なのだ、なにもかもが。


 得体の知れないもの――当然、入りたいとは思わなかった。

 それに、そもそもで、部活に入る気なんてなかったのだ。別に、この先輩のしつこい勧誘のせいで、この部活に入りたくなくなったわけではない。

 たとえ、綺麗なお姉さんで、興味のある部活だったとしても、俺は入ることはないだろう。

 

 元々から、心に決めていることなのだ。そう簡単に、覆すことはない。


 昔、俺を助けてくれた『あの人』――、

 高校に入れば、いくらか情報があるかもしれないと思った。

 だから、その人を探し出すまでは、部活動なんて余計な時間を使っている暇がなかったのだ。


 俺が、憧れている人だ。俺が、人生の目標として、目指している人。


 元々からある情報は、小学生の時のものしかない。しかも、ただの記憶。


 俺から出た情報――それは、間違っている可能性もある。手がかりはこれしかなく、信憑性も薄いという、頼りない素材だった。

 中学三年間では、情報を集めることができなかった。それっぽい人が、いたにはいたが――情報が混乱しているのか、噂が、変な風に盛られているのか、本当なのか、嘘なのか、判断に困るものばかりだった。


 なので、高校に入ればもっとマシな情報が手に入ると思ったが――、


 結果は、大して変わらず。

 中学の延長戦でしかなかった。

 もしかしたら、もうどこにもいないのではないか――最悪な想像が頭をよぎる。すぐに、頭を振って、思考を振り払う。きっと、いる。あの時、俺を助けてくれたんだ。

 他の子が困っていれば、きっと、あの人は同じように助けているはずなのだ。


 俺に、元気を分けてくれた。生きる目的を与えてくれた――だから、会いたい。


 いじめられていて、なにもできなかったあの時の俺とは違うと、見せつけたかった。


 そんな想いがあるからこそ、勧誘は断り続けているのだが――しかし、目の前の少女は、諦める気配がまったくない。小学生のような体型をしていたから、俺も少しなめてしまっていたところもある。まさか、ここまで走れて、根気があるとは思わなかった。

 すぐに、諦めると思っていたのに――。もっと、全力で拒んでおけばよかったな……。


 変に、気を遣ってしまうから、なめられてしまうんだ。

 俺も、不良としては、まだまだ甘いということか。


 俺の半分ほどしか身長がない少女――これでも先輩だと言う。


 まあ、勧誘しているのだから、年上であることは分かったが――。それにしても、世界は広い。こんなに小さい子が、俺の年上だって言うんだもんなあ。

 中身は、完全に高校二年生だけど。

 中学の時には、中学生みたいな先生がいたから、それと同じ系統なのかもしれない。


 走りながら、ちらりと、後ろを見てみる。こういう時、バックミラーでも体についていれば、振り向く動作をしなくていいのに、と思うが――いや、すぐにいらないと気づく。


 どうせ、邪魔になる。体が動くならば、動かすべきだ。

 動かしたくても動かせない、思い通りにいかない人間だって、世界にはたくさんいるのだから。幸せを不幸と嘆くのは、勿体ない。


「……っていうか、あれ?」


 俺は、思わず足を止める。


 ちらりと後ろを見てみて――結果、そこには誰もいなかった。


「……あいつが、いない?」


 あいつ――いや、一応、先輩だが。

 少女が、突然、消えた。


 もしかして、俺がいつの間にか、気づかないほど上手く、撒いてしまった……とか? 

 だが――それはない、と言える。


 勘ではあるのだが――さっきまでの身のこなし、そして、圧倒的な体力。

 俺の行動を先読みするかのようなルート選択。

 初心者ではない。俺よりも経験が豊富な、手練れだ。


 そんな少女を、俺が、撒けるはずもない。なにかの間違いだと思うが――しかし。


 もしも、本当に撒けていた場合。このチャンスを、俺は棒に振ってしまうことになる。


 それは、さすがに勿体ないことだ。そう思うが――罠の可能性も、捨て切れない。


 誘われているとしか思えないこのシュチュエーション。

 ちょうど、裏道の途中だ。なにかが飛んできたとしても、暗闇(……見える程度ではあるが)のせいで、反応が遅れてしまうだろう。


 動くか、否か。考える時間は、あまりない。一瞬に近い時間で決めなければならない気がする。この感覚を、無視することはできなかった。


「よし――」

 一瞬で、すぐに決めて、俺は走り出す。


「突っ切ってやるっ!」



 すると――、


「よっ」


 横から、声が聞こえた。

 視界に一応、入っているので、顔を動かさなくとも見えるが、俺の位置からでは、相手の頭しか見えなかった。


「下だっつうの!」


「――いっ!?」


 理解している時には、俺は空中で一回転している状態だった。

 相手が、すっ、と出した足が、俺の足を引っかけた。

 引っかけた、というよりは――蹴った、感じだったが。


 足首に激しい痛みが残っている。

 その場で痛みが爆発すればいいものを――。


 しかし、痛みは拡散され、声を上げるほどではないが、

 だが、顔をしかめるほどには苦しい痛みが、長く続いている。


 一回転し、背中から地面に着地。そして、勢いは残っていたらしく、前転しながら前に進んでいってしまう。地面を削りながら――、俺は、その勢いを殺さないようにした。

 流れ作業のように、無理やりに立ち上がる。


「あっ!」

 後ろから、慌てた声が聞こえる。


 俺が、あのままノックダウンするとでも思っていたのだろう。さすがに、あの程度で終わるほど、弱い体の作りをしているわけではない。昔は、確かに弱かったが――人は、成長するのだ。

 今なら、金属バットで殴られても、がまんできる。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおっっ!」

 

 震える足を、無理やりに動かして、どうにかここ――裏道から出ようと、もがく。

 見えない綱を、手繰り寄せるように。

 そのおかげか、心は折れなかった。

 折れずに、いま尚、固く、しっかりと存在している。


「――見えた!」


 裏道の出口。この先は、商店街のはずだ。

 あの少女も、商店街という人の流れが出来ているところで、無茶はしないだろう。

 だから、あと二十メートルくらい。そこまで到達できれば、俺は、勝ったも同然――、


 だが、そこで――。


「ぐうぅ!?」


 視界の位置が低くなる。顎が地面についていた。

 目線を上げると、指先が見えている。

 頭に、少女の手が乗っていた。


「なっ――いつの間に!?」


 俺の全身は、地面をベッドと勘違いしたのか、うつ伏せになっていた。

 そして、俺の体の上には、小柄な少女。


 さすが、軽い。体重なんてもの、ないと思えてきた。

 筋肉すらないように思える。じゃあ、あんたの力の源、どこなんだろう?


「つーかーまーえーたー」


 ゆったりとした言葉は、死刑宣告のように思えてきた。


 ――勧誘だよ、ね? それ以上の行為がありそうな雰囲気が、伝わってくるんだけど。


「やっと捕まえたぞ、一年坊主!」

「っ、一体、俺をどうするつもりなんだよ!」


「なにって、かん――いや、さあ? なにをするんだろうねえ?」


「今! 勧誘って言おうとしてただろ!?」


 アドリブが弱いなら、するなよ……。


「うるさいっ! いいから、お前は文句を言わずに――」


 その後の言葉は、俺は分かっていたが、しかし、聞くことはなかった。


 途切れた。そして、視界から、光が消える。


 ぶんッ――、



「あ?」


「――え?」


 俺と、少女の声が、重なった。


 世界が、真っ暗になる。

 目が慣れていないのか、近くにいる相手の顔すらも、見えなかった。


 なんだ、これ。まるで、テレビの電源がいきなり切れたような感じ――。


 裏道にいたはずなのに、今は、この暗闇の世界にいる――状況。


 これも、この少女の仕業――いや、それはないか。

 だとしたら、もっと悪役っぽく振る舞っているはずだ。


 今までのやり取りで、それくらいの人格は掴めている。

 それがないということは、こいつだって、戸惑っている。

 そして、どうすればいいのか、分かっていないのではないか――、


「ふっふっふ……。どうだ? この未知なる状況から抜け出したければ、

『あなたの部活に入ります』――と言え!」


 ……あれ? もしかして、こいつの仕業じゃねえの、この暗闇。


 やがて、目が慣れてきたらしい。

 相手の顔を、なんとか認識できるようになってきた。


 そして、不敵に笑う少女を見る。

 やっぱり、こいつの仕業なのか……。とりあえず、この状況、さっさとやめさせないと。


「はあ……ったく、いい加減に――」


「――とまあ、冗談は置いておいて」


 ――さらっと、冗談とか言いやがった。


「この暗闇、なんなんだ?」


「なっ――お前も知らねえのっ!?」

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