第11話 葉宮樹理 その2

 ただ、言ったのは茜ちゃんだけで、和実ちゃんは軽く会釈するだけで終わっていたが。

 ここまでは、いつも通りの光景だった。この二人は、勘が良い方ではない。いや、勘に関して言えば、遊ちゃんが飛び抜けているだけで、茜ちゃんも和実ちゃんも、普通なのだ。


 だから私も、気を抜いてふわふわと浮いているだけで済むと思っていたのだけど。


「――っ」

 不意に、視線を感じる。

 念のため、動きを止めて浮き続けているだけの状態にまではセットした。

 ――が、それで解決するかは、分からない。

「…………」


 私の沈黙と同じように、和実ちゃんも無言だった。

 じっと、見つめている。私を、見つめている。

 これって、自意識過剰なのかな? 私の方向にあるなにかを見ているだけのことだとは思うし。――でも、私は、和実ちゃんには見えていないはず。だから見えるのは壁だけで、なにも面白くはないはずなのに――彼女はそれでも、じっと見つめる。


 一ミリも動けない緊張が続いている中、茜ちゃんの騒がしい声だけが、この空気を和ませてくれる。もう少し、茜ちゃんの声がかかるのが遅ければ、私の緊張の糸が、ぷっちんと切れていただろう。そして、たぶんだけど、気づかれていた。

 和実ちゃんは――きっと、見逃すことなく、気づくはず。


「和実、なにを見ているの? 天井ばっかりをじっと見て」


「えっと……」

 和実ちゃんは、いきなりの質問に、困惑していた。

 しかし、冷静さを取り戻し、すぐに返事をする。


 さすがは、冷静さを売りにしているだけはある。

 誰よりも標準状態に戻るのが、安定していて、早かった。


「天井近くに飛んでいる虫がいて、それを見ていたのよ」


「ふーん、そんなのいないよー? 見間違いじゃないのー?」


「虫だって、ずっとそこにいるわけじゃないのよ。

 あんただって、一か所に止まっていたり、したくないでしょう?」


「うん――それもそうだね」


 そんな会話に変化していき――和実ちゃんは、やっと私から視線をはずしてくれた。


 どうやら、私ではなく虫を見ていたらしいけど。でも、あの視線は、嫌な視線だった。


 疑いの視線。そこいるだろ、と言外に言われている気持ちだった。

 すぐに自白したいほどの緊張感だったけど、どうにか、やり過ごすことができたのだった。


 すぐにその場から動き、和実ちゃんから距離を取る。

 それを、明吉くんが不思議そうに見ていたけど、私は、指を立てて、「しー」とする。

 口を塞ぐ仕草で、彼も理解したらしい。

 全てを察しているのかまでは、私も分からなかったが。

 彼のことだ。大体のことが、伝わったのだろう。


 和実ちゃんにとっては、なんでもない、気になったことを追い求めた行動だったのだろう。

 しかし、私とっては、今まで生きてきた中でベスト5に入るほどの、危機的状況だった。

 過呼吸のように、ハイペースで吸っていた空気。

 それを、ゆっくりと吐き出す。

 緊張感がなくなり、通常通りの呼吸に戻すことができた。


 恐い。


 理由はなく、恐い。


 相手はこの遊戯部の部員だ。明吉くんの大切な仲間だ。私だって、彼女たちのことは好きだし、見ているだけでも、仲間になったような気分を抱く。けれど――今日は、駄目だった。


 全身が縛られているかのように、固まっている。


 明吉くんに抱き着く、という回避行動さえもできず、ただ部屋の隅で固まり、危機の方から去ってくれるのを待つだけの女になってしまっていた。


 これしかできない。

 現段階で、冷静ではない頭で考えた結果――私の行動は、これだけだった。


 眺めるだけ。傍観するだけ。これで、危機が私に襲ってきても、私は、恐らくなにも言わないだろう。文句を言わず、ただ状況を受け入れる。


 明吉くん――。


 助けてほしい、とは、言わなかった。


 彼を、私の問題に関わらせたくない。言えば、彼は私を助けてくれるだろう。落ち着かせてくれるだろう。それを利用し、私も、明吉くんに触れることができるだろうけど――、

 私の選択肢の中に、それはなかった。


 彼は彼。私は私。踏み込んで良い場所と、悪い場所がある。

 今回の場合は、そんな境界線はなかったと思うが――これは私の、わがままのようなものなのだ。彼を関わらせたくない。ただそれだけの理由なのだった。


 すると――、


 私が思考の波に飲まれそうになっている、まさにその時のこと。


「先輩! いつもいつも、こうやってダラダラしてるだけじゃないですか!」


 茜ちゃんが、今更なことを言う。

 この騒がしい声を聞いて――ああ、いつも通りに戻ったんだな、と実感した。


「そろそろ部活動、始めましょうよっ!」


「そうだね――」

 明吉くんは、腕を組み、考えている体勢になる。

 考えているのだろうか――考えていなさそうな表情だ。

「テキトーに、ボードゲームでもしていれば?」


「……ここの部、一年も所属しているけど、なにをする部なのか全然分からない……」


 茜ちゃんが肩を落とす。後ろから、さっと前に出てきたのは、和実ちゃんだった。


「『遊戯部』なんだし――遊んでいればいいんじゃないの?」


 和実ちゃんにしては珍しく、真面目ではないことを言う。


 その言葉に驚いたのか、茜ちゃんがぽかんと口を開けていた。いつも一緒にいるだろう彼女が驚いているということは、相当な異常事態なのかもしれない。

 和実ちゃん、なにか変なものでも食べたのだろうか? 

 様子が変――いや、変ではない。異変まではいかず、これはまだ、違和感の範疇だった。


「あの真面目だけが取り柄の――」

「誰が真面目だけが取り柄だ。他にもあるでしょう」


「――じゃあ、いつもわたしのことを説教する?」

「それは取り柄ではないんじゃない?」


 そうかー、と茜ちゃんが笑う。

 同時に、和実ちゃんも笑っていた。しかし、不気味過ぎる笑いだった。

 無理して、相手に合わせて笑っているのが丸見えな笑い方だった。

 いつ、その溜めに溜めた怒りが爆発するのか、少し、楽しみでもある。


 茜ちゃん、気づいてなさそうだなあ。


 あなたの親友――取り柄はたぶん、がまん強いところだと思うよ。 


 それにしても――二人が曖昧な答えしか知らないこの『遊戯部』、私も、詳しいことは分からなかった。なにを活動するのか……。いや、部名通りに、『遊ぶ』ってことらしいけど。


 だが、遊ぶにしても、範囲が広過ぎる。ボードゲームとか、テレビゲームとか。この際、他の部と被ってしまうが、スポーツでもいい。そういう括りがあれば絞りやすいのだけど。

 残念なことに、括りはなかった。

 それは、選択肢が多大にあることを意味しているわけで、多過ぎると決められないのだ。

 まず、一歩目が踏み出せない状況に陥っている。それが、今だった。


 一応、部室にはボードゲームがあるけど。これは、ボードゲームをしろ、と言われているのかな? 言葉なき命令――か。部屋のレイアウトで気づけ、という無茶を要求してくる。


「活動が分からないのなら、時代を遡れば分かるんじゃないの?」

 と、和実ちゃんが閃いた。


 つまり、去年、一昨年を振り返ってみれば? ということか。


 その手は良い手だ。普通の部活ならば、あっという間に方針が決まることだろう。


 いや、普通の部活の場合、前提として、まず方針が決まらないことは、あり得ないとは思うけど。――すっ、と決まるところだ、ここは。


 だが、その手は使えない。使ったところで――時代を遡ったところで、この部活が活動していた時期なんて、あまりないのだ。

 活動していても、結局、悩んだ末に、今みたいにテキトーにボードゲームでもしようか、と遊んでいただけなのだ。


 なにがしたいのか――この部活。


 明吉くんなら知っていそうだ。いや、知っているべきだ。この部活を作ったのは、明吉くん。

 色々と、手と足と頭を動かして作った、彼の努力の結晶みたいなものなのだから。


 だが、彼は本を読んでいるだけで、活動に参加しようとはしない。しかも、自分で部長もしたがらないし。今は茜ちゃんが部長らしい。腕に『部長』、と腕章を巻きつけているわけじゃないけど、彼女のオーラがもう、部長をアピールしてくる。し過ぎている。


「ねえ」

 私は、小声で、明吉くんに声をかける。


「ん?」

 彼が、喉を鳴らして、応じる。


「そろそろ、なにか目的を作ってあげないと、茜ちゃん、暴れちゃうんじゃない?」

 まるで、駄々をこねる子供のように。


 けど、たぶん、和実ちゃんに止められて、暴走は一瞬で鎮静化されるとは思うけど。

 できることなら、暴走前に止めてあげたいものだ。


「目的――ねえ」

 明吉くんは、不満そうに、眉をひそめる。


「ここはそういう部じゃないんだよ。目的なく、だらだらと過ごす。

 自分勝手に己を貫ける場所。そういうところなんだよ、ここは」


「……そう、なんだ。初めて知ったよ、それ」


 この部を作った時、彼は、そんなことは言っていなかった。


『今日からここが、僕の家だ』


 しか言っていなかった。

 ああ――そうか。明吉くんにとって、ここは自分の家なのだ。


 自分が自分らしくいられる場所なのだ。だから目的を作って、それに向かって一生懸命に進む。そんな、悪くはない緊張感を、家に持ち込みたくないのだろう。


 自由の空間を、欲したのだった。


「目的がないって――そんなのつまらなくない!?」

 茜ちゃんが、私と明吉くんの会話を聞いていたらしく、

(ただし、聞こえていたのは明吉くんの声だけだろう)

 当然のように吠える。


 まあ、誰も彼もがぐーたらしたいわけではない。比較的、だらだらしたい人が多いとは思うけど。それも、男の子に多くて、女の子は意外と、目的を重視している。


 そして、茜ちゃんは目的を目指し、努力をするタイプなのだ。

 明吉くんとは、合わないタイプだった。

 となると、私は明吉くんと相性が良いのかもしれない。

 目的とか、全然ないし。なくても生きていけるしね。


 でも、それは幽霊でいた期間が長過ぎたため――かもしれない。

 生前の私は、どうだったのだろうか。もしかしたら、今の茜ちゃんみたいに、我武者羅に突っ込んで行く性格をしていたのかもしれない。


 けれど――今更、か。

 生前の私を追い求めることは、数十年前――数百年前に、諦めたことだ。

 今頃になって、探し求めようとはしない。今の私が全てなのだ。


 過去を断ち切る。思い出せないのならば、それまでの記憶だということ。

 気にするまでもない、ただの事実だ。


「目的がない、ですか。そういうことですか」

 和実ちゃんが、納得した様子で、うんうん、と頷いていた。


「目的がないことが目的なんだよ――茜」


 それは――ギリギリの言い訳ではないのだろうか? 

 さすがに茜ちゃんでも、その言葉には疑問を持つんじゃ――、


「あーなるほど」

 いや、心配は必要なかったらしい。


 納得している様子で、すっきりとした表情をしていた。


「じゃあ――」

 茜ちゃんは、明吉くんが示したボードゲームに、視線を向ける。

 棚から取り出し、大きなテーブルを用意し、その上に置いた。


 駒やらカードやらが散らばり、準備はオーケーと言った様子だった。


「目的なく、ぐーたらしよっか」


「そうね――」

 頷く、和実ちゃん。

「先輩も、一緒にどうですか? 人生ゲーム」


 明吉くんは、一瞬だけ私の方をちらりと見た。

 気遣っている、のかな? だとしたら、すごく嬉しい。


 私は幽霊だから、一緒にゲームをすることができない。でも、見守ることはできるんだよ。

 後ろで、ずっと。張り付くように、抱き着くように。

 そんな思考を蓄えてから、彼を送り出す。


「行ってきなさい――お姉さんが見守ってあげる」


「…………君らしいね」


 明吉くんは笑い、立ち上がる。

 手を振りながら、茜ちゃんと和実ちゃんの元に向かって行く。

 私も、彼の後ろから眺めていようか、ゲームを。

 そう思って、動き始めようとした時、


 ばちッ――、


 脳の中、一部分が弾けたような感覚がした。

 音も、共に発生する。


 くらくらと頭が揺れて、ふらふらと浮遊する私の体が一瞬よろめき、だが、

 なんとか体勢を整えることには成功した。


 ――今の、感覚。


 勘違いとは思えない。勘違いにしては、反応が強過ぎだ。

 しかし――この感覚は、『あれ』を示しているわけだけど、

 そんなこと、あり得るのだろうか――?


「…………」

 理由は、まだ明かされなくていい。そんなものはあとでも構わない。

 いま知ろうが、あとで知ろうが、結局、脳に染み込むのは同じことだ。


「――ごめん、明吉くん。少しはずすわね」


 一応、断りを入れて、私は窓から、すぅ、と外に出た。彼からの返事はなかった。

 私が小声で言ったのだから、仕方ないけど。これから人生ゲームで、わーきゃー楽しくする明吉くんに、余計な心配をかけたくなかったし。それに、分かっているはずだと思う。彼は。


 彼はなんでも知っている。

 自称ではなく、私から見ても、そう思う。

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